ジャズ・ディスク・ノート

第301回2019年2月9日

スイング時代の幕開け
ベニー・グッドマン入門12 1935年 その1

ご覧いただきありがとうございます。定年オジサン<のたり庵>のジャズ学習帳です。

今回は2月7日、関東地方では4月下旬の気温となった日に家の近くで撮影しました。以前HPをご覧になっていた方からも何故ジャズに関するサイトで森?という質問をされたことがあります。それも追々書いていこうと思いますが、やはり緑のある風景(今回はほとんどないですが)が最も心を癒してくれると思っているからです。写真が下手で癒されない?スイマセン、何かと至らないことが多いですがご勘弁ください。
前回第300回を1月6日にアップしてから1か月以上経ってしまいました。この間何をしていたのかというと、僕がHPでお願いしていたYahooのジオシティーズというサービスが3月末を以ってサービスを中止するというので、移転先を探し移管作業をしていました。通常こんなに時間はかからないのかもしれませんが、HPなどを開設していますが実はものすごいネット音痴で、ネットは作業は苦手中の苦手なのです。初めてHPをアップするにも4か月くらいかかりました。この遅さから自分のペットネームを<のたり庵>と思い付きで付けたくらいです。
前回ともかくどんどん進めたいと書きながらこの為体、情けないですが、アップ先がはっきりしないとどうも落ち着いて、HPを書く気になれません。更に告白すると今回から週一アップの記事はブログにしようと思ったのでですが、ブログのアップが果たせませんでした。もう少し時間がかかるかもしれません。

残り5週

2月3日から始まる週は4月下旬並みに暖かくなったかと思うと観測史上記録的な寒気団が襲うなど不順さが半端ではありません。インフルエンザが猛威を振るっています。僕はインフルエンザは今のところか買っていませんが、花粉症がひどい状態になりつつあります。
2月9日東京都区内でも雪が降ったようですが、僕の住む辺りはちらほらと舞う程度で今のところ雪害も免れています。しかし寒い、寒い。でもおかげで近所への買い物の他外出はせず何とか別のプロヴァイダーさんでHP表示させるところまでこぎつけることが出来ました。
僕のサラリーマン生活も終わりに近づきつつあります。今週は最後の通勤定期を買いました。来週辺りから送別会も増えて来ます。

では今回からは“1935年のジャズ”に入りましょう。

No.301 Benny Goodman 1935 Vol.1

スイング時代は1935年ベニー・グッドマンとともに始まった。
と言われます。
つまりこの1935年という年はジャズ年表上、ベニー・グッドマンによって一つの時代を画する「スイング・イーラ」、「スイング時代」の幕が開いた年であるということでしょう。
こういう言い方をすると、ベニー・グッドマン(以下BG)がスイングの生みの親みたいに聞こえるかもしれませんが、もちろん音楽的にはそうではありません。ではなぜこのような言い方をされるのでしょうか?
ともかく今回(第301回)からしばらくはBGのレコードを聴きながら1935年について学習していきましょう。
1934年までのBGについては、かなり前HP第119回でまとめて触れたが、少し復習しておこう。
繰り返しになりますが、BGは1934年当時週に300ドル稼ぐニューヨークきっての高ギャラ・プレイヤーの一人でした。自己のバンドを持つことを決意したBGは、最初のレギュラー・バンドを組織してビリー・ローズのレストラン・シアター(「ザ・ミュージック・ホール」)に出演しました。
この背景には、1933年世紀の悪法という人もいる「禁酒法」が1933年に撤廃されたことがあると相倉久人氏は述べています(『ジャズの歴史』新潮新書)。つまり禁酒法がなくなれば、酒を自由に買うことができるようになります。飲みたければ、近所の店で買えば安く飲むことができます。そして裏商売だった酒を売るキャバレーやナイト・クラブも裏商売ではなく表商売となります。表商売となったナイト・クラブは、切実に客集めのためのエンターテイメントを求めていました。それもひときわ人目を引くようなものを。それは30年代にはラジオが一般家庭にも普及して、客の出足が悪くなっていたからです。
折から規模の大きいクラブ経営に乗り出したあるオーナーが、呼び物になる白人バンドを探していました。そこで選ばれたのがBG率いるオーケストラでした。このオーナーとナイト・クラブ名、年代を相倉氏は明確に書いていないのですが、他の記述から推測すると、オーナーはビリー・ローズという人物で、ナイト・クラブとは、「ザ・ミュージック・ホール」だったと思われます。

因みにその時のBGバンドの楽器編成は、リードが4本(BGはテナー・サックスを吹いたという)、3本のトランペット、2本のトロンボーン、それにリズムという編成だったといいます。これはスイング・バンドの標準的な編成でしたが、クラブ側の要求でさらにヴァイオリンが加わっていました。
The RCA years 全曲集の原盤の解説を担当するのはモード・グッド(Mort Goode)氏です。彼はジャズ評論家というよりは、ミュージシャンでありBGのバンドに加入して一緒に演奏したこともある人物です。グッド氏は、自己紹介として次の様なくだりを書いています。
「当時のダンス・バンドにはヴァイオリンが2人居ると思われていた。ベニーは、ヴァイオリニストを一人雇っていたが、もう一人二番手としてヴァイオリンもできるアルト・サックス奏者がいると考えていた。それがつまり私だった」と。つまりグッド氏は、内部事情に詳しい人間ということになります。
また、グッド氏はBGのバンドは、すんなりとビリー・ローズの「ザ・ミュージック・ホール」のオーディションに受かったわけではないとし、ヴォーカリスト、ヘレン・ウォードの存在が大きな力になったと書いています。
「彼女はウォルドフ・アストリアに出演中のエンリケ・マドリゲラのラテン・バンドで歌っていたが、ローズのオーディションのために歌いに来た。それはBGの2回目のオーディションの時で、ヴォーカリストを加えることによって契約に成功したのだった。
だが、ザ・ミュージック・ホールがオープンした時、そこにはヘレンの姿はなかった。ブロンド美人のアン・グレアムがBGと共に幕を開けた。ヘレンはウォルドフ・アストリアに戻っていたのである。しかし2か月後には、ヘレンはBGのバンドに参加し、ラジオ番組“レッツ・ダンス”にも出演した。ハイミー・シャーツアーは、「彼女はあの時のバンドにぴったりだった。彼女は何をやってもナチュラルで魅力的だった」と語っている。また、1935年4月に設けられた『メトロノーム』誌でダンス・バンド評を担当していたジョージ・サイモンの『ザ・ビッグ・バンズ』によれば、「声と同時に見た目もまた魅力的な歌手。彼女のスタイルは、温かみと官能的なジャズ・ビートを体現したもので、彼女の身体は非常にセクシーに動いた」という魅惑の女性ヴォーカリストでした。
しかしこの時の演奏について油井正一氏は、世評は散々なものだったと書いていますが、相倉氏は、BGにとってはそれが次のステップに繋がったと書いています。ともかく「ザ・ミュージック・ホール」での仕事は1934年10月まで続きます。

さて、この後BGの出世の第1ステップラジオ番組出演となるのですが、その経緯についてはちょっとばかり記述が異なる点があるのでご紹介しておきます。
前出の相倉氏は、「さてそのクラブの出演契約満了の日、広告代理店の男が新たに始まるラジオ番組のオーディションの話を持ってきました」としているのに対して、グッド氏は『1934年10月に「シアター・レストラン」の仕事が終えてから間もなくして…』と書いています。まぁ余り大した違いではないですが。
その番組とは、ナショナル・ビスケット・カンパニー(略してナビスコ)をスポンサーとして、ラジオ・ネットワークの最大手NBCが企画したニューヨーク時間で土曜の夜10時30分開始の3時間の音楽番組です。出演バンドは3組、ザビア・クガートのラテン・バンド、ケル・マレイのソサエティ・オーケストラ、そしてBGのバンドでした。各バンドの持ち時間は約1時間弱ですが、毎週それだけの時間をこなすには相当なレパートリーが必要です。
そこで登場するのがフレッチャー・ヘンダーソンです。ヘンダーソンはその当時、「バンドが経営に行き詰まって解散したばかり」(相倉氏)、「バンドは仕事がなく、マネジメントのまずさもあって、解散に瀕していた」(モード氏)。ともかくヘンダーソンは、編曲の売り渡しに同意し、新たな編曲も手掛けることになりました。
こうして1934年12月1日ラジオ番組『レッツ・ダンス』が、BGの演奏するテーマ曲に載って全米に向けて放送を開始しました。因みにこの番組は翌1935年5月25日まで続きます。BGにとってこのラジオ番組出演は、1935年後半に起こる熱狂的なBG人気を下地を作ったという意味で非常に重要です。

BGは「レッツ・ダンス」放送中の1935年1月と2月に、コロンビアに8曲を録音しましたが、その演奏は日増しに充実していった」とグッド氏は書いています。
まずは、スイング時代幕開け直前、BG人気沸騰直前に吹き込まれたコロンビアへの吹込みを聴いていきましょう。といっても僕は1935年コロンビアへの吹込みは2曲しか持っていません。その内の1曲はBG名義ではなく、イギリスの作曲家でピアニストのレジナルド・フォーサイスのレコーディングに参加したもので、この曲をグッド氏が含めて8曲としているのかどうかは分からないのですが。

「新たなる宝庫・黄金時代のベニー・グッドマン」(The protean Mr. Goodman) ノスタルジア・レコード CSM 890・1

<Contents> … 1935年1月15日 ニューヨークにて録音

record2A面4.ブルー・ムーンBlue moon

<Personnel> … Benny Goodman and his orchestra

Clarinet & Band Leaderベニー・グッドマンBenny Goodman
Trumpetピー・ウィー・アーウィンPee Wee Erwinジェリー・二アリーJerry Nearyラルフ・ムジロRalph Muzzillo
Tromboneレッド・バラードRed Ballardジャック・レイシーJack Lacey
Alto saxハイミー・シャーツァーHymie Shertzerトゥーツ・モンデロToots Mondello
Tenor saxアート・ロリーニArt Rolliniディック・クラークDick Clark
Pianoフランク・フローバFrank Froeba
Guitarジョージ・ヴァン・エブスGeorge van Eps
Bassハリー・グッドマンHarry Goodman
Drumsジーン・クルーパGene Krupa
Vocalヘレン・ウォードHelen Ward

ロレンツ・ハートの作詞、リチャード・ロジャース作曲の今でもよく取り上げられるいわゆるスタンダード・ナンバー。歌手のヘレン・ウォードはBGファンにとってはかなり有名な歌手。一時期BGと恋愛関係にあり、結婚寸前までいったが、結婚までは至らなかった。その原因を油井正一氏は、1936年ころBGは、思いのたけを打ち明けて結婚してくれと迫ったのだが、振られてしまった。変に真剣に思いのたけを打ち明けたりせずに、クラーク・ゲーブルやジェイムズ・ギャグニーのように、彼女の髪の毛をわしづかみにしてグイグイ引きずり回していたら(中略)。とにかくヘレンはBGを振り切りバンドを去って行ったと書いています。しかしウォード自身の告白によると、BGは自分のキャリアのことを考えて、つまりキャリアにプラスにならないと考えて求婚を断念したのだと話しているそうです。こういった人間臭いエピソードは面白いですよね。って僕だけ?でもどっちが本当なのでしょうね?何の根拠もないですが、僕にはウォードの言っていることが本当のような気がしますが。
肝心の演奏ですが、BGのソロもほとんどなく、いかにもこの時代の雰囲気を漂わせる、ソフトでビロードのような柔らかさを感じさせるアンサンブルとヴォーカルを楽しむナンバーだと思います。ヴォーカルのウォードは当時まだ21歳のはずですが、その歌いっぷりには”初々しいセクシーさ”というよりも、”熟女的なセクシーさ”をぼくは感じてしまいますが、これは録音のせいかもしれません。

「新たなる宝庫・黄金時代のベニー・グッドマン」(The protean Mr. Goodman) ノスタルジア・レコード CSM 890・1

<Contents> … 1935年1月23日 ニューヨークにて録音

record2A面1.ダッジング・ア・ディヴォースDodging the divorcee

<Personnel> … The new music of Reginald Foresythe

Piano & Band Leaderレジナルド・フォーサイスReginald Foresythe
Clarinetベニー・グッドマンBenny Goodmanジョニー・ミンスJohnny Mins?
Alto saxハイミー・シャーツァーHymie Shertzerトゥーツ・モンデロToots Mondello
Tenor saxディック・クラークDick Clark
Bassジョン・カービーJohn Kirby
Drumsジーン・クルーパGene Krupa

この吹込みはBG名義ではなく、作曲・編曲家でピアニストでもあるレジナルド・フォーサイスというイギリス生まれの音楽家の率いるバンドとBGバンドともコラボのような形で吹き込まれたもの。フォーサイスはフランスやハワイなどを渡り歩いてアメリカにやって来たという変わり種。非常にいろいろなタイプに興味を抱くような好奇心旺盛なタイプの音楽家だったと思われる。30年代から種々の木管楽器を用いて斬新な響きを追求していたと言われます。この録音について語られた記事をほとんど見かけたことがありませんが、後にエディ・ソーターをアレンジャーとして招いたり、ストラヴィンスキーやバルトークと共演したりと新しいサウンドに取り組むBGの創造性と合致して行われた重要なセッションのような気がします。
パーソネルについてもレコードのライナー・ノートにはほとんど触れられていませんが、クラリネットにBGの他にジョニー・ミンスという人物が加わっていますがこの人とバスーンのソル・ショーエンバックそしてピアノの御大フォーサイスはフォーサイス側他はBGバンド側からの参加ではないかと思われます。ここでもリズム・セクション以外はすべて木管で金管のトランペットなどは加わっていません。アンサンブルはクラシックを彷彿とさせるユニークなものです。


最後に付け足しの用で恐縮ですが、この間ジャズとも大きく関わりのあったフランスの音楽家ミッシェル・ルグラン氏や講演を聞きに行きHPでも取り上げた元スイング・ジャーナル編集長だった評論家の児山紀芳先生が亡くなられました。謹んでご冥福を申し上げます。合掌。

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