アーロン・ベル (ベース) 

Aaron Bell (Bass)

アーロン・ベル

1921年4月24日にオクラホマ州マスコギー生まれ。
2003年7月28日ニュー・ヨークにて死去。

子供の頃はピアノを弾き、高校時代は金管楽器を学び、ザビエル大学に入学後ベースを始めた。
1942年の卒業後海軍に入り、1946年に除隊。除隊後はアンディ・カークのバンドに加わったが、
翌1947年ニュー・ヨーク大学の大学院に入学するために退団した。
そこで修士号を取得した後、ラッキー・ミリンダーのバンドに加入し、テディ・ウィルソンなどと共演した。
後にコロンビア大学のティーチャーズ・カレッジでも教育の博士号を取得した。
1950年代には、ビリー・ホリデイのアルバム「レディー・シングス・ザ・ブルース」に参加、他にレスター・ヤング、
スタン・ケントン、ジョニー・ホッジス、キャブ・キャロウェイ、カーメン・マクレエ、そしてディック・ヘイムズなどと共演した。
1960年デューク・エリントンのオーケストラに加入するが、1962年に退団。
その後ディジー・ガレスピーと共演した後、ブロードウェイでピット・ミュージシャンとしての仕事に就いていたが、
1967年にビリー・ストレイホーンへのトリビュート・アルバムで再び共演した。
また「ラ・ママ実験劇場クラブ(La MaMa Experimental Theatre Club)の常任アーティストになり、
1969〜1972年にかけて演劇などのために作曲を行い、自身舞台で演じることもあった。
1970〜1990年までニュー・ジャージー州ニュー・アークのエセックス・カウンティ・カレッジで教鞭を取り、
1970年代には、ノリス・ターニィ、ハロルド・アシュビー、キャット・アンダーソンらエリントニアンとツアーに参加した。
1980年代にはピアノに戻った。1989年に現役を引退していた。
アルバータ・ハンターの1980年のアルバムに名前が見える。

レコード・CD

「アルバータ・ハンター/アムトラック・ブルース」(CBS 25AP 1914)