アンドリュー・ヒレイアー (ドラムス) 

Andrew Hilaire (Drums)

アンドリュー・ヒレイアー

フルネーム:アンドリュー・ヘンリー・ヒレイアー Andrew Henry Hilaire
1899年2月1日ルイジアナ州ニュー・オリンズ生まれ。
1935年8月3日イリノイ州シカゴにて死去。

『ジャズ人名辞典』未収録
ニュー・オリンズのフレンチ・クォーターの比較的中流階級のクレオール家庭に生まれるが、家族と共に1910年代にシカゴに移住した。
1917年までフローレンス・ミルズが率いるテネシー・テンのジャズ・バンドの一員としてヴォードヴィル・ショウのツアーに加わっていた。
シカゴの「狂騒の20年代」の音楽シーンで活躍し、フレディ・ケッパードやリル・ハーディン・アームストロング、キャロル・ディッカーソンの
バンドなどで演奏を行い、ドク・クックのバンドで8年間演奏した。
最も有名な活動はジェリー・ロール・モートンのレッド・ホット・ペッパーズにおけるレコーディング・セッションであろう。
1930年代は自分のバンドを率いたり、ジェローム・ドン・パスクォールやエディ・サウスと共演した。
ただ彼は体が弱く、特に呼吸器系に問題があり喘息または結核であったといわれている。そのためかシカゴの自宅で36歳の若さで亡くなった。
モートンのお気に入りの名手と言われる。

レコード・CD

「ジャズ・クラシックス/ジェリー・ロール・モートン」(RCA RA-9〜12)
"The chronogical/Jimmie Noone 1923-28"(Classocs records 604)