ババー・マイレイ (トランペット)

Bubber Miley (Trumpet)

ババー・マイレイ

1903年1月19日サウスカロライナ州アイケン生まれ。
1932年5月24日ニューヨークで死去。

6歳からニューヨークで育った。ハイスクールではトロンボーンを吹いていたという。
21年秋マミー・スミスの伴奏で楽旅、23年9月エルマー・スノウデンの率いるワシントニアンズに加入した。
リーダーがスノウデンからデューク・エリントンに替わった24年以後も行動を共にした。
初期エリントン楽団のジャングル・スタイルの基調となったプランジャー・ミュートによるワウ・ワウ奏法はこの時期のマイレイが創始したものとされる。
ガンサー・シュラー氏によれば、「エリントン効果」の出現におけるマイレイの演奏家としてばかりではなく作曲家としての偉大な貢献は特定の作品に尽きるものではなかったとする。
”Blue bubbles”や”The blues Ilove to sing”(1927年)、”Black beauty”(1928年)、並びに”Doin' the Voom Voom”、”Goin' to town”(1929年)などの作曲に協力した。
またその偉大なソロは、”Jubilee stomp”、”Yellow dog blues”、”Red hot band”、”The mooche”、”Rent party blues”、”Immigration blues”、
”New Orleans lowdown”などでエリントンのバンドのスタイルに拭い難い足跡を残した。
さらにマイレイは、コットン・クラブで夜毎に無数の即興演奏を行い、エリントン・バンドの最初の真に独特なトレード・マークだった「ジャングル・スタイル」を
ナントンと共に作り出した。
スイング・ジャーナル社発行『ジャズ人名辞典』によれば29年1月エリントン楽団を退団、柴田浩一著『デューク・エリントン』によれば3月に退団。29年5月にノーブル・シスルと渡仏、帰国後ズッティ・シングルトン楽団やレオ・ライスマン楽団に参加した後31年末に自分の楽団を結成したが、
病気のため29歳という若さで他界した。

レコード・CD

”The Duke”(History 204141-302)
”Archive of Jazz/Duke Ellington”(BYG 529.071)
「ベニー・グッドマン秘蔵名演集」(PDTD-1046)
「RCAジャズ・クラシックス/ジェリー・ロール・モートン」(RCA RA-9〜12)