チャールズ・マグナンテ (アコーディオン&ピアノ) 

Charles Magnante (Accordion & Piano)

チャールズ・マグナンテ

1905年12月7日ニュー・ヨーク州ニュー・ヨーク生まれ。
1986年12月30日ニュー・ヨーク州ウエストチェスターにて死去。

『ジャズ人名辞典』未収録。
父親は有名なアマチュアミュージシャンであり、イタリアの結婚披露宴やその他のダンス会場で演奏していたという。
チャールズは5歳から父親と一緒に歌い、7歳で密かに父親のアコーディオンを弾き始めた。
そしてイタリアン・レストランやスタテン島フェリーでプロとしてのキャリアをスタートさた。
しかし、彼は多くの聴衆が期待するイタリアの楽曲「オー・ソレ・ミオ」のイメージから脱却したいと考えていたという。
16歳の時には、アコーディオン奏者としての評判が高まり、ステージ・バンドとのツアーから数多くの誘いを受けるが、継続的な音楽研究のために断ったという。
1940年、ギタリストのトニー・モトーラとオルガニストのジョージ・ライトとトリオを結成した。
このグループは非常に成功し、NBCのラジオ放送で定期的に演奏を行った。
彼はまた、人気のスタジオ・ミュージシャンでもあったという。
また、アメリカ・アコーデオン演奏者協会(1938年に設立)の12人の創設メンバーの1人であり、この組織の会長を3期務めた。
また、アコーディオン奏者のためのメソッドブックと、現代の人気のあるスタンダード作品の数多くの編曲を行った。
彼の編曲の多くは、今でも世界中のアコーデオン奏者の標準的なレパートリーになっているという。
1930年にベニー・グッドマンが参加したベン・セルヴァンなどの楽団のレコーディングに参加した可能性がある。

レコード・CD

”The young Benny Goodman”(Timeless CBC 1-088)