チャーリー・パットン(ギター&ヴォーカル)

Charlie Patton (Guitar&Vocal)

チャーリー・パットン

1891年4月ミシシッピ州ハインズ・カントリー生まれ。
但し1881年、1885年、1887年生まれ説もある。
1934年4月28日ミシシッピ州サンフラワー・カントリーにて死去。

「デルタ・ブルースの父」と呼ばれ、ほとんどのデルタ・ブルース・ミュージシャンに影響を与えたとされる。
肌の色があまり黒くないため、祖先の中にインディアンの存在が推測されている。
当時の水準としてはハイ・レベルな教育を受けていたといわれるが、生涯の大半をミシシッピ・デルタのサンフラワー郡で過ごした。
1897年、彼は家族とともにミシシッピ州のドッカリー・プランテーションに移動した。パットンはドッカリーや近くのプランテーションなどで演奏していたという。
1933年にミシシッピ州ホリーリッジに、内縁の妻でレコーディング・パートナーのバーサ・リーと共に定住した。
しかし二人の夫婦仲は最悪で1934年初め激しい夫婦喧嘩の末、二人とも刑務所に投獄されるほどだった。
ヴォーカリオン・レコードのW・R・キャラウェイは二人を刑務所から救い出し、パットンの最後のレコーディング・セッションを行うためにニューヨークに連れて行った。
彼らはレコーディングの後ホリーリッジに戻った。
彼は身長約5フィート5インチ (1.65m) ほどの小さな男だったが、その声は500ヤード先にも届くほど大きかったという。
彼はまた時にはギターを膝の上、頭の後ろ、または背中の後ろで演奏したりとショーマンシップで人気を博したという。
彼の墓碑は1990年7月にミュージシャンのジョン・フォガティ(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル)が建てたという。
2021年5月、ロックの殿堂入りを果たした。

レコード・CD

“Charlie Patton/The Immortal No.1”(Origin Jazz OJL-1)
“Charlie Patton/The Immortal No.2”(Origin Jazz OJL-7)