コーネル・スメルサー(アコーディオン)

Cornell Smelser (Accordion)

コーネル・スメルサー

当初「ジョー・コーネル・スメルサー(Joe Cornell Smelser)と名乗っていたが後に「チャールズ・コーネル・スメルサー(Charles Cornell Smelser)」と名乗ったらしい。
1902年8月7日ハンガリー・ブダペスト生まれ。
1993年アメリカにて死去。

『ジャズ人名辞典』未収録
最初ピアノを学び、ブダペスト音楽院でクラシック音楽のトレーニングを受け、16歳で地元のオーケストラで演奏した。
1920年に米国に移住し、ニューヨークで最初はヴォードヴィルやブロードウェイ、次いでミュージカル・コメディー、ホテル、劇場オーケストラなどで演奏した。
1927年自身のオーケストラを設立し、ニューヨークのBeauxArtsCafeで演奏した。この間、アコーディオン奏者としてジャズ・ミュージシャンと仕事を始め、
ニューヨークで最も需要の高いジャズ・アコーディオン奏者の一人になり、レコーディングやラジオのショーなどで活躍した。
1929年からレコーディングにも参加し、トニー・パレンティやジーン・ゴールドケット、アーヴィング・ミルズ、ベン・セルヴァン、ボズウェル・シスターズなどの録音に参加した。
そして1930年デューク・エリントン・オーケストラで自身作曲の「アコーディオン・ジョー」と「ダブルチェック・ストンプ(ブランズウィック4783と6846)」をレコーディングした。
1931年、ジョージ・ガーシュウィンから、オーマン・アーデン・オーケストラとラジオで「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏する許可を得た。
1931年半ば結核を患い、ミュージシャンとしての活動を終え、作曲活動に専念するようになった。
1930年のデューク・エリントンの録音に名前が見える。

レコード・CD

”The Duke”(History 204141-302)
”The young Benny Goodman”(Timeless CBC 1-088)