1904年8月21日ニュー・ジャージー州生まれのビル・ベイシー(正式名:ウィリアム・ジェイムズ・ベイシー)は元々はドラマーを志望していたという。13歳の時学校の仲間とバンドを作り、リーダーとなったが、そこでポジション争いが起こる。もう一人ドラムスを志望するものがいたのである。そして残念なことにそのライヴァルの少年の方がベイシー少年よりもはるかにドラムの腕が達者だった。それが長年エリントンの楽団で活躍することになるソニー・グリアーであったという。仕方なくドラムをあきらめピアノの道に進むことにするが、それが結局はあの独特の「間」を生かしたピアノ・スタイルへと発展していくのである。
1922年ベイシーはニュー・ヨークに出るが、思うように仕事にはありつけなかった。そこでファッツ・ウォーラーと知り合い、やがてファッツを始めとするハーレム・ピアニストたちから多くを学んでいくのである。クラブ出演がしばらく続いたが、その後まもなく巡回劇団やヴァラエティ・ショウの一座に加わって各地を回るようになった。いくつかのバンドのローカル・ツアーに次々と参加したが、Gonnzelle White and his big jamboree revueに加わってカンサス・シティ(KC)にやって来た時にこの一座は資金が尽き、ついにそこで解散という憂き目にあってしまう、1927年のことであった。しばらくKCで仕事をしていたが、1928年夏ベイシーは、KCにやって来たウォルター・ペイジの率いるバンド「ブルー・デヴィルズ」(写真右)というバンドに加わる。そしてこのブルー・デヴィルズを率いるウォルター・ペイジは当時当地で最強を謳われるベニー・モーテンのバンドと合戦をするという野心を持っていた。モーテンは長い間出来る限りこの対決を避けてきたが、ついに1928年とうとう対決が行われ、ペイジのブルー・デヴィルズがモーテンのバンドを粉砕したというのである。敗れたモーテンが次に打つ手は何か?何とブルー・デヴィルズを買収して、引き継ごうとしたというのである。しかしこれは失敗に終わる。すると今度は大がかりな引き抜きに出るのである。まず、エディ・ダーハムとカウント・ベイシーを強奪する。そうしてベイシーはブルー・デヴィルズのライヴァル・バンド「ベニー・モーテン」のバンドに加わることになるのである。こうしてダーハムとベイシーが加わった後期モーテン楽団の吹込みが、1929年10月に行われることになるのである。この辺りの詳しいことは「ベニー・モーテン 1929年」を参照ください。
Band leader & arranger | … | ベニー・モーテン | Bennie Moten | |||||||
Trumpet | … | エド・ルイス | Ed Lewis | 、 | ブッカー・ワシントン | Booker Washington | ||||
Trombone | … | タモン・ヘイズ | Thamon Hayes | |||||||
V-Tb、Gt & arrange | … | エディー・ダーハム | Eddie Durham | |||||||
Saxes & Clarinet | … | ハーラン・レナード | Harlan Leonard | 、 | ウッディ・ウォルダー | Woody Walder | 、 | ジャック・ワシントン | Jack Washington | |
Piano | … | カウント・ベイシー | Count Basie | |||||||
Accordion | … | バスター・モーテン | Buster Moten | |||||||
Banjo | … | ルロイ・ベリー | Leroy Berry | |||||||
Tuba | … | ヴァ―ノン・ペイジ | Vernon Page | |||||||
Drums | … | ウィリー・マックワシントン | Willie McWashington |
A面1曲目 | ルンバ・ニグロ | Rumba negro | 10月23日録音 |
A面2曲目 | ジョーンズ・ロウ・ブルース | Jones law blues | 10月23日録音 |
A面3曲目 | バンド・ボックス・シャッフル | Band box shuffle | 10月23日録音 |
A面4曲目 | スモール・ブラック | Small black | 10月23日録音 |
A面5曲目、A面1曲目 | エヴリディ・ブルース | Everyday Blues | 10月23日録音 |
A面6曲目、A面2曲目 | ブート・イット | Boot it | 10月23日録音 |
A面7曲目、A面3曲目 | メリー・リー | Mary Lee | 10月23日録音 |
A面8曲目 | リット・ディット・レイ | Rit-Dit-Ray | 10月23日録音 |
A面9曲目 | ニュー・ヴァイン・ストリート・ブルース | New vine street blues | 10月23日録音 |
A面10曲目、A面4曲目 | スィートハート・オブ・イエスタディ | Sweetheart of yesterday | 10月23日録音 |
Webで検索できるデータでは、録音は全て「10月23日」となっているが、“Bennie Moten K.C. Orch. 1929-31/Harry Dial quartet 1946”のライナー・ノートでは「A-6、A-2.ブート・イット」以降は「10月24日」となっている。10月23日に開始されたレコーディングが日付を越えても行われたのかもしれない。
瀬川氏は、強力なメンバーの入団により大変革が行われたと書いているが、シュラー氏は7月に比べて「多少改善された」程度としている。では具体的に聴いていこう。
A_1.ルンバ・ニグロ
カウント・ベイシーが参加した初吹込みで、曲はモーテンとベイシーの共作。「スパニッシュ・ストンプ」というサブ・タイトルが付いているようにエキゾティックなナンバーで、当時大いにヒットしたという。未だ独自のスタイルは確立されないと言われるが、ベイシーのピアノはモーテンに比べて数段上である。
A-2.ジョーンズ・ロウ・ブルース
ベイシーの短いソロが入るが、彼らしくない古臭いスタイルで、ジェリー・ロール・モートンに酷似しているとは瀬川氏。
A-3.バンド・ボックス・シャッフル
新加入のエディー・ダーハムがそのアレンジ力を発揮した作品。リズムも新鮮で、彼自身の素晴らしいギター・ソロも聴ける。アコーディオン・ソロも今となっては新鮮である。エンディングのセクション合奏の新鮮さが傑出している。
A-4.スモール・ブラック
アメリカのジャズ評論家マーチン・ウィリアムズ氏は「スイングというよりも元気さが溢れているという感じ」と余り高く評価していないが、瀬川氏はルイス(Tp)、バスター・モーテン(Acc)、ダーハム(Tb)、ウォルダー(Cl)、レナード(As)のソロは一級品だとしているが、Cl、Tbソロはない。瀬川さん、本当にレコード聴いたの?。
構成は、アンサンブル⇒レナード(As)⇒アンサンブル⇒ピアノ・ソロ1⇒アンサンブル⇒ピアノ・ソロ2⇒アンサンブル⇒ルイス(Tp)⇒バスター・モーテン(Acc)⇒アンサンブル⇒ダーハム(Tb)かなり短い⇒アンサンブルである。
ベイシーのアンサンブルを挟んだ2つのピアノ・ソロは2つのテイクのピアノ・ソロを編集で結合したもので、前半は新しいアール・ハインズ、後半は従来のファッツ・ウォーラーのスタイルで弾いており、当時どちらかのスタイルを取るか迷っていたと言われるベイシーの姿をとらえているという。ピアノ・ソロの結合はいつ行われたのだろうか?1929年という時代にそのような編集技術があったということだろうか?
A-5、A-1.エヴリディ・ブルース
この頃から合奏部分が多くなり、洗練されてきたが、もう一歩厚味に欠けるとは瀬川氏。「この頃から」と書いているが、A-1〜A-10までは同一セッションなんですけど。
ダーハムのギター・ソロが単調感から救っているという。僕はアレンジが効いていて結構面白いアンサンブル展開だと思う。
A-6、A-2.ブート・イット
珍しくアップ・テンポで合奏もまとまりスッキリした演奏。ウォルダーのクラリネットに続き、バスター・モーテンのアコーディンが出る。その他ダーハム(Gt)、Ts、Tbなどソロ回しが楽しい。
A-7、A-3.メリー・リー
Bsがメロディ・ラインをリードする。アコーディオンが合奏に、ソロにと活躍しているのが珍しい。Cl、Tb、Ts、Tpとソロイスト総出演の形だ。
A-8.リット・ディット・レイ
後半にウィリー・マクワシントンのヴォーカル(スキャット)が入る。Ts(”High society”の旋律を引用)、エド・ルイス、ベイシーのソロなどリズミックな迫力に満ちている。
A-9.ニュー・ヴァイン・ストリート・ブルース
1924年の初吹込みで演奏した曲の再演。この期の演奏の中では非常にダイナミックで優れている。ソロはタンギング奏法のBs、ベイシー、ダーハム(Gt)、エド・ルイス(プランジャー・ミュートTp)といずれも個性的である。
A-10、A-4.スィートハート・オブ・イエスタディ
アルトがリードする甘いサックス・アンサンブルが美しい。ダーハムのギター・ソロも良い。他にウォルダー(Cl)、ワシントン(Bs)、ヘイズ(Tb)、ルイス(Tp)と続き、そのままルイスのリードでエンディングに移る。