フランク・ウエス (リーズ) 

Frank Wess (Reeds)

フランク・ウエス

フルネーム:フランク・ウェリントン・ウエス Frank Wellington Wess
1922年1月4日ミズーリ州カンサス・シティ生まれ
2013年10月30日ニュー・ヨークにて腎不全による心臓発作で死去

学校の校長の父親と教師の母親の息子として生まれた。彼はクラシック音楽のトレーニングから始め、
オクラホマの高校時代から演奏を始めた。
その後ワシントンに引っ越してジャズに転向、19歳までビッグバンドで仕事をしていた。
ミュージシャンとしてのキャリアは一旦第二次世界大戦によって中断されましたが、彼はその間も軍楽隊でプレイしていた。
除隊後、ビリー・エクスタインのオーケストラに加入するが、しばらくしてワシントンDCに戻り、
市の音楽学校でフルートの学位を取得した。
次いで1953〜1964年までカウント・ベイシーの楽団に入ってテナー・サックスとフルートをプレイした。
この時代、彼は最高のジャズ・フルート奏者の一人と見なされ、1959〜1964年まで、彼はダウンビート誌の
評論家によるフルート部門の投票で1位を獲得した。
1964年ベイシーのもとを離れ、66年3月までブロードウェイのショウ「ゴールデン・ボーイ」のピットで演奏した。
次いで1967〜1970年代までクラーク・テリーのビッグバンドのメンバーとして活躍、またローランド・ハナの
ニューヨーク・ジャズ・カルテットに加わった。
またテレビ業界においても活躍する一方1968年、アルバム“The Jazz Composer's Orchestra”にも参加した。
1980年代、1990年代はケニー・バロン、ルーファス・リード、バック・クレイトン、ベニー・カーター、
ビリー・テイラー、ハリー・エディソン、メル・トーメ、エルネスティン・アンダーソン、ルイ・ベルソン、
ジョン・ピッツァレリ、ハワード・オルデン、ディック・ハイマン、ジェーン・ジャービス、フランク・ビニョーラら
と幅広く活動し、秋吉敏子のジャズ・オーケストラの中心メンバーでもあった。
2000年代、ウェスはハンク・ジョーンズと2枚のアルバムをリリースし、2007年米国国立芸術基金からNEAジャズ・マスターに選出された。
アルバータ・ハンターの1980年のアルバムに名前が見える。

レコード・CD

「アルバータ・ハンター/アムトラック・ブルース」(CBS 25AP 1914)