ガス・キャノン(バンジョー)

Gus Cannon (Banjo)

ガス・キャノン

フルネーム:ガスタヴス・キャノン (Gustavus Cannon)
1883年9月12日ミシシッピ州レッド・バンクス生まれ。
1979年10月15日テネシー州メンフィスにて死去。

ミシシッピ州レッド・バンクスのプランテーションで生まれた。12歳の時に当時W.Cハンディの本拠地だったクラークスデールに移住した。
正式な音楽教育を受けたことはなく、フライパンとアライグマの皮から作ったバンジョーを独学で覚え、演奏するようになった。
15歳で家出し、世紀の変わり目にミシシッピ・デルタの製材所や堤防、鉄道キャンプなどで演奏活動を開始した。
クラークスデールにいる間、2人の地元のミュージシャン、ジム・ターナーとアレック・リーの影響を受けたといわれる。
W.C.ハンディのバンドで演奏するターナーのフィドルに感銘を受け、フィドルを学びはじめた。またギタリストのリーは、彼に最初期の
フォーク・ブルース「ポー・ボーイズ、ロング・ウェイ・フロム・ホーム」で、ナイフ・ブレードをスライドとして使う方法を教え、
反対にキャノンはバンジョーの演奏テクニックを教えたという。
1907年頃にクラークスデールを離れ、テネシー州メンフィスの近くに定住し、ジム・ガフィン率いるジャグ・バンドで演奏を始めた。
またジム・ジャクソンともメンフィスで演奏を始めた。さらにハーモニカ奏者のノア・ルイスと出会い、若いギター奏者のアシュリー・トンプソンとも知り合った。
後にルイスとトンプソンと共に「キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ」を結成し、パーティーやダンス・パーティーで演奏を行った。
1914年にキャノンは、メディスン・ショウのツアーを開始した。彼はシェアクロッピングによる溝掘り、庭仕事など様々な仕事で家族を養っていたが、
音楽も大きな収入源であった。
1927年にパラマウント・レコードで“バンジョー・ジョー”としてレコーディングを開始した。そのセッションはブラインド・ブレイクのサポートを受けたものだった。
メンフィス・ジャグ・バンドの最初のレコードの成功の後、すぐにルイスとトンプソンをフィーチャーしたジャグ・バンド、「キャノンズ・ジャグ・ストンパーズ」を結成した。
1928年1月、メンフィス・オーディトリアムでビクター・レコードに初めてレコーディングを行った。
彼らの最後の録音が行われたのは、1930年だったが、彼のジャグ・ストンパーズは1930年代を通じてビール・ストリートで最も人気のあるジャグ・バンドの一つだった。
1930年代の終わりまで、キャノンは時折ソロ・ミュージシャンとして演奏を行うこともあったが、事実上は引退していた。
しかし1956年にフォークウェイズ・レコードにいくつかの録音を行った。1960年代のブルース・リヴァイヴァルの間、ファリ―・ルイスやブッカ・ホワイトと
大学やコーヒー・ハウスなどに出演したこともあった。しかし生活は苦しく暖房費を得るために、バンジョーを質に入れなければならなかった。
しかし彼の作曲した「急がば回れ」(Walk right in)がヒットし、1963年にスタックス・レコードにアルバムの録音を行った。

レコード・CD

”Blind Blake/Remastered”(JSP 7714A〜E)
「MCAブルースの古典」(Victor VIM-22)