ジェイ・シー・ジョンソン (ピアノ) 

Jay Cee Johnson (Piano)

ジェイ・シー・ジョンソン

通常J.C.ジョンソン(J.C.Johnson)と表記される。
1896年9月14日イリノイ州シカゴ生まれ。
1981年2月27日ニュー・ヨーク州ワーツボロにて死去。

『ジャズ人名辞典』未収録
1920年代初頭にニュー・ヨークに移住し、歌手のエセル・ウォーターズの伴奏ピアニストとして働き始めた。
作詞曲も行い、作曲家としてはヘンリー・クリーマーやアンディ・ラザフなどの作詞家と作詞家としては、ファッツ・ウォーラーに歌詞を提供した。
ジェイムズ・PとJ.Cはお互いに混同されることが多かったが、二人はファッツ・ウォーラーを通じた友人だった。
1929年イタリア系アメリカ人のギタリスト、エディ・ラングとブルース・ギタリストのロニー・ジョンソンのコラボレーションにキング・オリバーと
ホーギー・カーマイケルと共に参加した。
このバンドは、グループの人種構成を隠すためか「ブラインド・ウィリー・ダン&ヒズ・ジン・ボトル・フォー」というバンド名がつけられた。
20年代から30年代にかけては、エラ・フィッツジェラルドなど彼の作を取り上げている。
30年代以降は、作詞作曲、多くの歌手の伴奏者として活躍した。
しかし、第二次世界大戦中は陸軍の救急車運転手として志願し従軍した。
1943年にウォーラーが亡くなると、クイーンズ州セントオールバンズに移住し、ジ・インク・スポッツのために作曲を行い、しばらくの間彼らのマネージャーとしても活動した。
1950年代初頭以降はハーレムやブロードウェイのナイト・クラブなどで演奏した後、大きなミュージカル・レビューに加わって、
イギリス・ロンドンのウエストエンドのピカデリー劇場でも公演を行い、3年間イギリスとヨーロッパをツアーして回った。
その後、ニュー・ヨーク州北部のワーツボロ村移り静かな余生を送ったという。

レコード・CD

「ブルー・ギターズ」(P-vine BGO CD327)