ジョー・スタッフォード (ヴォーカル)

Jo Stafford (Vocal)

ジョー・スタッフォード

フルネーム:ジョー・エリザベス・スタッフォード Jo Elizabeth Stafford
1917年11月12日カリフォルニア州コアリンガ生まれ。
2008年7月16日カリフォルニア州ロスアンゼルスにて死去。

『ジャズ人名辞典』未収録
元はオペラ歌手になるための声楽の訓練を受けていたが、後にポピュラー音楽の道に進み、12歳で初めてステージに立ったという。
中学生の頃、彼女は二人の姉とスタッフォード・シスターズというヴォーカル・トリオを結成し、ラジオや映画などに出演したという。
映画では、20世紀フォックス制作の「世紀の楽団」などへの出演が知られている。
ジョーはその後にザ・パイド・パイパースに加わり、リード歌手となった。
1939年このグループは、トミー・ドーシー楽団の専属ヴォーカル・グループとなる。
ジョーはドーシー楽団で後にザ・パイド・パイパース以外にもソロとして歌うようになる。
1944年ドーシーの下を独立し、ポップス歌手としてキャピトル・レコードやコロムビア・レコードで吹込みを開始する。
第二次大戦中はユナイテッド・サービス・オーガニゼーションとの慰問コンサートを行い、G.I.ジョーのニックネームを得た。
1945年から、スタッフォードはNBC(全国放送会社)のラジオ・シリーズ「チェスターフィールド・サパー・クラブ」のレギュラー・ホストを務め、
後には米国で1954年に、英国で1961年に放送された二つのシリーズ「ジョー・スタッフォード・ショー」などのテレビの特別番組に出演した。
1952年に吹き込んだ「ユー・ビロング・トゥ・ミー」は米国と英国のチャートで首位になり、全英シングルチャートでは女性アーティストによる初の第一位のレコードとなった。
タッフォードは二度結婚した。
一度目は1937年にミュージシャンのジョン・ハドルストン(John Huddleston、1943年にカップルは離婚)と、
再婚は1952年にポール・ウェストンとで彼とは二人の子どもをもうけた。
スタッフォードは1960年代の半ば女優業などはほぼ引退したが、音楽は続け、70年代以降もレコーディング活動は継続した。
トミー・ドーシーの1940年の録音に名前が見える。

レコード・CD

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ11/ザ・サウンド・オブ・スイング」RCA RA-62
「オリジナル・トミー・ドーシー」(RCA RA-9008)