ジューン・コール (チューバ) 

June Cole (Tuba)

<h1>ジューン・コール

フルネーム:ジューン・ロウレンス・コール June Lawrence Cole
1903年オハイオ州スプリングフィールド生まれ
1960年10月10日ニュー・ヨークにて死去。

『ジャズ人名辞典』未収録。
名前、写真から判断すると女性のように思えるが、英文の紹介では“He−His−Him”が使われているので、男性か?
いわゆるジェンダーであろうか?もし女性としたらチューバ奏者というのは極めて珍しいと思う。
最初に加わった重要なバンドは、オハイオ州のシンコ・ジャズ・バンド(Synco Jazz Band)で、
このバンドが後にマキニーズ・コットン・ピッカーズ(McKinney‘s Cotton Pickers)になる。
1926年にコットン・ピッカーズを辞めてフレッチャー・ヘンダーソンの楽団に加入、1928年まで在団した。
ヘンダーソン楽団在団中様々なレコーディングに参加した。
1928年にベニー・ペイトンとヨーロッパをツアーし、そのままヨーロッパに残り10年以上滞在した。
その間サム・ウッディングとウィリー・ルイスのバンドで演奏していたが、1936年から1939年にかけての大半は、病気のため音楽から離れていた。
1941年に米国に戻り、ニュー・ヨークで自分のバンドを率い、1947年にウィリー ・"ザライオン"・スミスとカルテットを結成し演奏した。
その後1950年代までニュー・ヨークで演奏を続け、ハーレムでもレコード・ストアを経営していた。
フレッチャー・ヘンダーソンの楽団1926年の録音に名前が見える。

レコード

"Fletcher Henderson /A Study in frustration" CD-2(Essential・JAZZ・Classics EJC55511)