レオラ・ウィルソン (ヴォーカル) 

Leola Wilson (Vocal)

レオラ・ウィルソン

本名はレオラ・B・ヘントン(Leola B Henton)かレオラ・B・ペティグリュー(Leola B Pettigrew)
1893年6月17日アラバマ州バーミンガム生まれ
1970年12月26日カリフォルニア州リヴァーサイドにて死去

『ジャズ人名辞典』未収録。
クート・グラント(Coot Grant)、パッツィ―・ハンター(Patsy Hunter)、カットジュース・チャーリー(Catjuice Charlie)、
キッド・ウィルソン(Kid Wilson)、など多くの変名を使った。
15人兄弟の一人として生まれた。芸名の一つ“Coot”子供の頃のニックネーム、キューティー(“Cutie”)に由来する。
1900年にジョージア州アトランタのヴォードヴィル・ショウで働き始め、翌年メイミー・レミントンのピカニニーズ(Mayme Remington’s Pickaninnies)
と共に南アフリカとヨーロッパをツアーした。
1913年歌手のアイザイアI.グラント(Isiah I. Grant)と結婚したが、後に離婚、1920年ウェズリー・ウィルソン(Wesley Wilson)と結婚した。
ウエズリーとデュオを組み、彼女がギターを弾き、歌い、踊り、彼はピアノとオルガンを弾いた。
このデュオもグラントとウィルソン、キッドとクート、ハンターとジェンキンスなど様々な名前で舞台に立った。
その後フレッチャー・ヘンダーソン、メズ・メズロウ、シドニー・ベシェ、ルイ・アームストロングなどとも共演した。
彼らは別々にそして一緒にヴォードヴィル、ミュージカル・コメディー、レヴューなどに出演し、1933年には映画「ジョーンズ皇帝」(The Emperor Jones)に出演した。
夫婦で作詞作曲も行い、ベッシー・スミスによって録音された“Gimme a Pigfoot(and a Bottle of Beer)”や“Take Me for a Buggy Ride”、
フレッチャー・ヘンダーソンの“Find Me at the Greasy Spoon”や“Prince of Wails”など約400曲以上を書いたという。
1926年ブラインド・ブレイクとレコーディングを行ったが、それらはブレイクの最初の録音だった。
彼女たちは1930年代中頃には人気を失っていった。
後にメズ・メズロウの設立したキング・ジャズ・レコード・レーベルに二人はソングライターとして雇われた。
1946年二人はシドニー・ベシェとメズロウらの伴奏で最後のレコーディングを行った。
1948年12月、二人はニュージャージー州ニューアークで“An old time revue called 'Holiday in Blues.”という新しいショーを開いた。
夫のウエズリーはその後まもなく健康を害して引退したが、レオラは1950年代まで演奏を続けた。

レコード・CD

”Blind Blake/Remastered”(JSP 7714A〜E)