レオン・ラポロ(クラリネット)

Leon Rappolo (Clarinet)

レオン・ロポロ

1902年3月16日ルイジアナ州ラッチャー(Lutcher)生まれ。
1943年10月5日ニューオリンズにて死去。

ジャズ草創期のクラリネット奏者。ニュー・オリンズ・リズム・キングス(N.O.R.K.)での演奏が最も知られている。
ニューオリンズの上流域で生まれたが、1912年家族と共にニューオリンズの近郊へ移住した。もともとヴァイオリンをプレイしていたが、
ニューオリンズの街で聴かれるマーチング・バンドを気に入りクラリネットをプレイし始めたという。
忽ちクラリネットの腕前を上げ、若いころは友達のポール・マレスやジョージ・ブルニーズと共にパレードやパーティーなどで演奏し金銭を得るようになった。
15歳の時にビー・パーマー(Bee Palmer)のバンドと楽旅に参加するため家を出ることを決心した。
そして1920年代シカゴにおいて最もホットな楽団と言われるN.O.R.K.の中核メンバーとなった。
彼の演奏スタイルはベニー・グッドマンなど多くのシカゴのミュージシャンに影響を与えたと言われる。
N.O.R.K.の解散後は、ポール・マレスと共にニューヨークに向かった。そこでいくつかのレコーディングに参加した後、マレスと共に故郷のニューオリンズに戻った。
彼はそこでもいくつかのレコーディングなどに参加していたが、気性が激しくまた異常な行動をとるようになり、家族から1925年精神病院に入れられる。
後年年齢に増して老けて見えるようになった。彼は梅毒にかかっていたと言われる。
家に戻り、家族や友人囲まれて地方のバンドでクラリネットやサックスを吹いて暮らしたかったようだが、それは叶わなかったようだ。

レコード・CD

「白人草創期ジャズ音楽 ディキシーランド」(APCD-6001)