僕の作ったジャズ・ヒストリー 2 … 誕生とラグタイム

前にもご登場いただきましたが、大和田俊之氏は『アメリカ音楽史』(講談社選書メチエ)において、「これまでにジャズの起源について様々なことが書かれてきたが、実ははっきりとしたことはまだわかっていない」と書いています。きっとそうなのだと思います。しかし何人かの評論家、研究者の方はこのように生まれたのではないかということを発表しています。それをものすごく乱暴にまとめると次のように表せるのではないかと思います。

ジャズの形成

ではこの図を解説していきましょう。
ところで『ジャズを発明した』という人物がいます。皆さんご存じかもしれませんが、それはジェリー・ロール・モートン(Jelly Roll Morton 1885/10/20〜1941/7/10)という人物です。モートンはジャズ史上極めて大きな存在なので、彼の音楽等については項を改めて書いていこうと思います。ここではこの『ジャズを発明した』という発言についてだけ書いていきたいと思います。

ジェリー・ロール・モートン

このジェリー・ロール・モートンという人は、ジャズ史に偉大な功績を残した人ですが、人物的には「品行方正」などという言葉がこれほど不似合いな人物も珍しいくらいのヤマ師的人物です。その人物がしばらくジャズ界で顧みられなくなってしばらく経った頃、突然「ジャズを発明したのはワシじゃ」と言って現れたのですから、当時のジャズ界でもまたあのお騒がせ男がまた騒ぎを起こそうとしているくらいの反応しかなかったようです。しかし何と言っても19世紀の末にはニューオリンズの紅灯街として有名なストリーヴィルでピアノを弾き始めたというジャズ草分けの人物であることも間違いありません。ということで彼の人となりには目をつぶって、彼が言う「ジャズを発明した」とはどういうことかを聞いてみましょう。 その前にそもそもこのモートンの発言の背景について簡単にみておきましょう。
時は1938年、世はまさにスイング時代の絶頂期で、毎日毎晩ラジオからはベニー・グッドマンやトミー・ドーシー、グレン・ミラーなどの白人バンドやデューク・エリントン、カウント・ベイシーの演奏が流れ、レコードも次々に発売されていました。一方彼らよりも先輩であり、革新的な演奏を記録したモートンは、時流に合わなかったのかこのころは、完全にジャズ界から消え去り、消息不明の過去の人物と捉えられていました。その間1936年暮れから1938年まではワシントンの黒人街にある小さな「ジャングル・クラブ」でピアノを弾き糊口を凌いでいたといいます。そんな状態の中突然「ジェリー・ロール・モートン」の名が人々の口に上るようになります。
それは、当時ラジオの人気教養番組だった「信じますか、信じませんか(Believe it or not)」という番組で、司会者のロバート・リプレイ氏がW.C.ハンディを取り上げ、「ジャズとブルースの創始者」としてその業績をたたえたのです。多分その放送を聞いたのでしょう、モートンの怒りは爆発します。そもそも彼は自分の境遇とスイング時代などと言って浮かれまくる周囲とのギャップに腹を立てていたのです。

モートンの記事を掲載した「ダウンビート」の広告

彼はすぐさまペンをとり、ボルチモア・アフロ・・アメリカン新聞に「W.C..ハンディは嘘つきだ(W.C.Handy is a liar)」という書き出しによる、抗議文を投稿し、さらに4000字に上る長文の抗議文をリプレイ氏に、またそのコピーをジャズ専門誌「ダウンビート」にも送り付けたのです。その中で彼は、この放送でW.C.ハンディをジャズ、ブルースの創始者として紹介したことは、自分への侮辱であると抗議し、ジャズ発祥の地はニューオリンズであり、自分がその創始者なのだと大見得を切ったのです。
こうしたこれの行動は当時どのように受け取られたかというと、もちろん直接ではなく書物等で仕入れた情報ですが、独りよがりの放言で、「大ボラ吹きの嫌な奴」として大方の顰蹙を買ってしまったそうです。さもありなんです。しかしこの件に関して今度は時代が味方をします。
ちょっと時代は遡りますが、1929年10月ウォール街での株式大暴落に端を発する世界大恐慌が発生します。この恐慌はその後も回復する兆しが見えず、1933年大統領に就任したフランクリン・D・ルーズヴェルトは、政治が介入しない限り経済の復活はないと判断、有名なニューディール政策を施行します。
このニューディール(新規まき直し)政策は、日本では中学時代の教科書には、テネシー川に作られたダムなどTVAが有名で、主に政治経済の分野で語られることが多いです、実は文化的にも大きな影響を及ぼす政策でした。
例えば「フェデラル・ワン」と呼ばれる芸術家支援策には、「連邦作家計画」、「連邦劇場計画」、「連邦音楽計画」などが含まれ、多くの作家や音楽家が地方のコミュニティに派遣され、地方のブルースやワークソング、それにエスニック文化などの採集を命じられたのです。
また南部農村の惨状を記録するために新設された「再定住局」も民謡のフィールド・レコーディングを行うチームを派遣しています。すでに議会図書館にはアメリカのフォーク・ソングを管理・保存する「アーカイヴ・オブ・アメリカン・フォークソング」が民間の基金によって1928年に設置されていましたが、ジョン・ローマックスがディレクターが就任する1932年以降(後に息子のアラン・ローマックスも加わる)、蒐集活動はさらに活発に展開されるようになっていました。つまりニューディール政策の一環には、ダムなどの建築・建設ばかりではなく、アメリカ固有の文化の発見、蒐集という「ディスカヴァリー・アメリカ」のような活動も活発に行われていたのです。
一般には顰蹙を買うような行為によって、モートンの存在はこの音楽評論家であり民謡の収集を行っていたアラン・ローマックスにも知られるようになります。ローマックスは早速行動を起こします。ローマックスはモートンと連絡を取り、1938年5月から7月までこのアメリカ文化収集事業に協力していくことなるのです。

ガンサー・シュラー

モートンは、この3か月間にピアノ演奏とヴォーカル、そして語りによってジャズ創世記の回顧談とジャズ音楽の形成などについて12インチSP盤48枚に吹き込み、ジャズ初期の貴重な証言を残しました。この記録は最初サークル・レーベル(ジャズ・マン・レーベル)で発売され、後にリヴァーサイド・レーベルから30センチLP盤12枚として世に出され、さらにはイギリスのモートン研究の権威ジョン・R・T・ディヴィーズ監修の下クラシック・ジャズ・マスターズ・レーベルから8枚のLPにまとめられて出ていたそうです。僕の記憶では、フォークウェイというレーベルからも出ていたように思います。実は僕はこの録音を持っておらず聴いていないのですが、まじめにジャズの歴史を研究しようという方には第1級の史的価値があると思います。シュラー氏などのネタ元もとどのつまりこの録音です。
といって彼の発言の重要性を発見したのは、僕ではありません。自身がミュージシャンであり、評論家でもあるガンサー・シュラー(Gunther Schuller)という人物です。シュラー氏の記述は、アメリカ知識人独特の修辞と特有の回りくどい言い方なので(僕にはそう思える)、まとめてみます。出典は『初期のジャズ―その根源と音楽的発展(Early Jazz-Its roots and musical development)』(湯川新訳:法政大学出版局1968年出版、日本訳1996年出版)P186周辺です。
まずモートンは次のように主張します。「ラグタイムとブルースは、長い不変の伝統を持つ音楽のスタイルだ。自分は、ラグタイムとブルースを発明したとは言っていない。」ではモートンは何を以って「ジャズ」を発明したと主張するのでしょうか?「ブルース、ラグタイムだけではなく、オペラ、フランスやスペインの通俗歌謡や舞踏曲などの多様な音楽素材に対して、一層滑らかにスイングするシンコペーションを加え、即興的な要素を増やした。そうして出来上がったものは、ラグタイムとかブルースという言葉では覆い切れないものである。それを『ジャズ』と名付けたのだ。」というのです。これに対し、シュラー氏は、「この主張はあながち無理とは言えないように見える」と肯定してます。
ヨアヒム・ベーレント氏は、その著『ジャズ』の中で、「モートンは、1902年ジャズを発明したのは自分である」と主張するとともに、「ラグタイムの創始者」でもあると名刺に書き込んでいたと書いていますが、これは勇み足ではないかと思います。僕の範囲で調べてもモートンはラグタイムの創始者であるとはどこでも言っていませんし、自分は古くからあるラグタイムとブルースを合わせてジャズを作ったのだと言っているところに意味があるのです。

ラグタイム

「ヨアヒム・ベーレント/ジャズ」

さて、その主張を吟味するには、まず「ラグタイム」とは何かを見ていきましょう。というわけで図@「ラグタイム」です。
最初に「ラグタイム(ragtime)」とはどういう意味でしょうか?丸山繁雄氏はその著『ジャズマンとその時代』で、「楽譜が読めてピアノが弾けたクレオールは、西洋音楽を黒人独特のシンコペーションでアレンジした音楽、「ラグタイム」を生み出した。”ragtime”とは”ragged time”すなわち<”Ragged”=「ごつごつした」”time”=「リズム」>ともとれるし、<”Ragged”=「ぼろをまとった、みすぼらしい」”time”=「時代」>ともとれる」と記載しています。
こういうことの常として、ラグタイム音楽の作曲家たちが自分の作った音楽を「ラグタイム(ごつごつしたリズム)」などと呼ぶわけはなく、例えばスコット・ジョプリンの作った音楽などを聴いた白人たちが、「ごつごつしたリズムだなぁ」と感じて名付けたのではないでしょうか?
つまり「西洋音楽を黒人独特のシンコペーションでアレンジした音楽」を白人たちは「ごつごつしたリズム(ragged time)」と感じたということでしょう。もう少し詳しく言えば、19世紀のヨーロッパのピアノ音楽の伝統に基づきながら、そこに黒人特有のリズミックでダイナミックな要素が付け加えられた音楽ということになるでしょう。では評論家の方々はどう記述しているのかを見てみましょう。
先ずは、ヨアヒム・E・ベーレント氏はその著『ジャズ』で次のように述べています。
「ニュー・オリンズ・スタイルは、ジャズにおける最初のスタイルと言われている。しかし、ニューオリンズ・スタイルが起こる前にラグタイムがあった。ラグの首都は、ニューオリンズではなく、ミズーリ州のセダリアであった。
(中略)
ラグタイムについて決定的な特徴は、作曲されたピアノ音楽であるということである。作曲されたものであるから、ジャズの本質的な特徴であるインプロヴィゼーションがない。ただラグタイムはスイングするので、ジャズの一部と考えられている。ラグを譜面通りに演奏するだけでなく、これをジャズ・インプロヴィゼーションのテーマに利用することもかなり早くから始められていた。
例えばルイ・アームストロングは1930年、34年の2度「タイガー・ラグ」をレコーディングしているが、これは完全にジャズだ。いわゆるラグタイムをジャズ・インプロヴィゼーションの素材として利用したものである。」

ミズーリ州セダリア

氏が、ラグの首都はミズーリ州のセダリアと述べるのは、ラグタイムで最も有名で重要な作曲家スコット・ジョプリンが住んでいた場所だからだと思われます。
さらに氏はジョプリンについて、「スコット・ジョプリンは、メロディづくりの名人だった。恐ろしく多作家であった。その作品は600以上と言われるが、中には『メイプル・リーフ・ラグ』のように生命の長いものもある。ジョプリンの作品の作品を含めて、ラグタイムは、古いヨーロッパの伝統と黒人のリズム感との混血音楽である。他のどんなジャズ形式にもまして、<黒人によって演奏された白人的音楽>と言えるかもしれない。ジョプリンが、いかにヨーロッパ音楽の伝統に明るかったかは、ラグのほかに、交響楽を一つ、オペラを一つ作ったという事実でも明らかである」と述べています。
またエドワード・リー氏もその著「ジャズ入門」(音楽之友社)で、ジャズ誕生に当たって、ラグタイムが果たした役割は大きいとし、ラグタイムの時代を4つの期に分けています。
ラグタイム時代 … 1895年〜1920年
第1期は、ラグタイムの最初で最大の作曲家、スコット・ジョプリンが名を上げたミズーリ州の町の名に因み”シダリア”スタイルと呼ばれる。
次の発展は、トム・ターピンやアーティー・マシューズのようなプレイヤーのいたセント・ルイスで繰り広げられた。
ジャズにとっておそらくもっとも重要なのは、傑出した作曲家ジェリー・ロール・モートンのいたニュー・オリンズでの第3期
そして最後(第4期)が1920年代、30年代に大人気を博したニュー・ヨーク時代である。
とした上で次のように解説しています。

「エドワード・リー/ジャズ」

「以上のような地域別、時代別、あるいは演奏テクニックのいずれの観点から見ても、ラグタイムは、19世紀のクラシックのピアノ音楽を勉強したミュージシャンによって始められたということが理解できる。その演奏スタイルはショパンやリストの曲を簡素化したもので、かなり高度なテクニックが必要とされるものだ。リズムの基本は左手で弾かれる。」
ただその源のヨーロッパの音楽についての考え方は評論家によって若干の差異が見られます。
ヨアヒム・E・ベーレント氏は、「ラグタイムは19世紀のピアノ音楽の伝統に従って作られた。時にはメヌエットのトリオ形式に従い、あるいはヨハン・シュトラウスのワルツ風に、幾つかの楽句が、順繰りに並べられた。ピアノ音楽としても、ラグタイムには19世紀音楽の影響が大きい、シューベルト、ショパン、特にリストから行進曲やポルカに至るまで、すべての要素がこの中に織り込まれている。そしてこれらすべては、黒人のリズム感とダイナミックな演奏法で作り変えられたのである。ラグタイムは19世紀音楽へのヴァイタリティ付与であったと言ってもよい。活力源は、黒人音楽に秘められた力であり、根性であった」と述べているのに対し、ガンサー・シュラー氏はベーレント氏を意識してか、「ラグタイムの形式がロンド形式にいささか類似しているという考えは間違いだ」とした上で、「行進曲(マーチ)やクイック・ステップ(ダンス?)から発展したものだと述べています。
エドワード・リー氏も「ラグタイムの曲にはふつういくつかのテーマがあって、そのやり方はクラシック音楽から受け継いだものかもしれないが、ガンサー・シュラー氏が指摘しているようにマーチからきていると見た方が妥当なようにも思える。どちらにしても元になっているものはヨーロッパ的だということは間違いないであろう。」とまとめています。
リー氏はさらに「ラグタイムの際立った特徴はシンコペイションの使用にあり、しかもそれが19世紀のヨーロッパ音楽のような一時的な効果としてではなく、黒人音楽と同じように表現方法の基本的な要素として用いられていることにある。ウィレスロップ・サージェントはその著『ジャズ―ホット&ハイブリッド』の中で、ポピュラー音楽にみられるこのようなシンコペイションの使い方を論じ、分析している。以上を大まかに要約すれば、ラグタイムの特徴的なリズムは、強いビートの置き換えということになるであろう」と述べています。
リー氏はさらに上記の時代分けを次のように解説しています。「スコット・ジョプリンのスタイルは、シンコペイションを純然たる2ビートの曲に、どちらかというと遅いテンポで用いたが、次のセント・ルイス時代のピアニスト達は曲のテンポを速くし、さらに低音部に4音を追加したため、曲のリズムに一層弾みがつくことになった。ニュー・オリンズでは、これらの低音部がハーモニー的に、より味わい深いものに仕上げられたが、なかでもモートンは従来よりはるかに自由にメロディ・ラインを扱ったことは特筆に値する。最後のニュー・ヨークでは、テンポがさらに速くなったために、高度な技術が要求されるようになり、ついには名人芸の域にまで達するに至った。それ以来、彼らの流れをくむミュージシャンの大部分が、本家よりも機械的で狂信的なサウンドを聞かせるようになっているが、やはり本家本元の方が聴きごたえがある。それがあの抜きんでた黒人ピアニスト、ジェイムズ・P・ジョンソンの演奏ともなれば、言うには及ばない。曲としては『キャロライナ・シャウト』と『ディンティネス・ラグ』を挙げておこう」と通常ストライド奏法で括られることの多いジェイムズ・P・ジョンソンをラグタイム・ピアニストに含めています。
さらに「モートンの作品は、ラグタイムがジャズとして形を成しつつある見事な例だ。そこにおいてラグタイムは、表現方法の限定され様式化されたものから無限のニュアンスを持ったものへと変貌しています。この極めて重要な出会いによって変わったのは、ジャズではなく、ラグタイムの方である。確かにラグ・スタイルはリズムやメロディの面でジャズにいくつかの定式を与えはしましたが、それもジャズのもっとも重要かつダイナミックな特性、つまりリズム及び表現上のアプローチの複雑さによって逆に変形させられてしまったのである。
むしろラグタイムの定式は、力強く複雑な発想を持つ黒人音楽を受け入れる体制になく、どのようにし対応してよいか分からなかったヨーロッパに強い影響を与えたと言える。ヨーロッパ人は聞きなれない快活なリズムをもって、このダンス形式にたちまち惹かれていった。ラグタイムは、リズム型の繰り返しによってすぐにそれとわかるので、有名な曲を含めどんな曲でも、元のメロディ・ラインをラグタイムのシンコペイションの定式に当てはめるだけで、”ラグ”化することができた」と述べています。

スコット・ジョプリン

スコット・ジョプリン

先ほどから何度か名前が登場しているラグタイム最大の作曲家がスコット・ジョプリン(写真左)です。前章でクレオールが教育もあり、ピアノを弾ける人も多かったと書きましたが、ジョプリンはクレオールではなく、元奴隷の両親を持ちテキサス州に生まれています。独学でピアノを習得し、セントルイスに移り住んでからは、サロンや売春宿でダンス音楽を演奏していました。ミズーリ州のセダリアに住んでからは旺盛に作曲活動を行ったと言われています。代表作は何といっても『メイプル・リーフ・ラグ(Maple leaf rag)』で、そのシート・ミュージック(楽譜)は大いに売れたと言います。因みに(Maple)は「楓」という意味なので「楓の葉のラグ」と訳されることがありますが、このタイトルは当時彼が出演していたセダリアのクラブ、「メイプル・リーフ・サロン」に因んで名づけられたものなので、カタカナ表記『メイプル・リーフ・ラグ』の方がいいでしょう。
日本で多分最も知られた彼の作品は”The Entertainer”で、これはポール・ニューマン主演の映画「スティング」の主題歌として有名になりました。
彼の活躍した時代には、まだ残念ながらレコードはありません。しかし先ほども登場したように「ピアノ・ロール」というものがあったのです。これは実際の演奏をロール紙に記録して、その再生装置が付いたピアノに装着すると、ロール紙に付いた信号(穴)を読み取り、鍵盤が動くというものです。これだとほぼ本物の演奏と変わりないのではないでしょうか?実はジョプリン自身が撃ち込んだロールが3曲残っています。そしてそれを再生したものを録音したものがレコード、CD化されています。
ヨアヒム・ベーレント氏は、「ラグタイムの作曲者たちは、その作品を自動ピアノロールに打ち込み、これらのピアノ・ロールは何千も売りさばかれた。」とし、「スコット・ジョプリンのほかにも、多くのラグタイム・ピアニストがいた。セントルイスの酒場経営者だったトム・タービン、カンサス・シティの劇場オルガン奏者ジェイムズ・スコットやチャールズ・L・ジョンソン、ルイ・ショヴァンといった人たちである。中には数人の白人もいたが、専門家でさえ、演奏スタイルで黒人と白人を識別できなかったということは重要である。オリン・キープニュースの言うようにラグタイムはホットというよりクールな音楽と言えるかもしれない。」と書いている。しかし僕はこれまで、ラグタイムのピアノ・レコードとしては「スコット・ジョプリン」関連のものしか見たことがないような気がします。そして僕の持っている音源は2つでどちらも輸入CDです。

1."ScottJoplin/The entertainer"
2."WilliamAlbright/The complete rags of ScottJoplin"

ピアノ・ロール・プレイヤー

ヨアヒム・ベーレント氏は、「ラグタイムの作曲者たちは、その作品を自動ピアノロールに打ち込み、これらのピアノ・ロールは何千も売りさばかれた。」と書いていますが、このピアノ・ロールが残っていれば、オリジナルに近い印象は得ることはできます。実際にジョプリン自身が作曲し、ピアノを弾いたピアノ・ロールが残っています。その貴重な音源が上記1.のCDに3曲ほど収録されていますし、奏者が異なるロールも11曲収録されています。

以下ラグタイムに関する記事を少し並べてみます。
ヨアヒム・ベーレント氏は、「鉄道敷設工事に従事していた労働者の飯場が、ラグタイムの温床となった。シダリア、カンサス・シティ、セントルイス、そしてジョプリンの故郷テキサスなどいたるところでラグタイムは演奏された」と述べていますが、「鉄道敷設工事に従事していた労働者」が好んで聴いたというのは意外ですね。
ジェイムズ・M・ヴァーダマン・里中哲彦共著「初めてのアメリカ音楽史」ではこんなことが書かれています。
「ニュー・オリンズのストーリーヴィルの高級娼館で演奏されていたのがラグタイム。左手で4分の2拍子の低音リズムを刻みながら、右手でシンコペートする高音のメロディーを弾く。クラシックの音楽と同じように楽譜通りに演奏されます。シンコペートするリズムは、セクシーな踊りにぴったりでした。ピアノは最も遅れて黒人の手に入ったヨーロッパ楽器。ピアノでスイングはしづらかった。」
19世紀末に始まって大流行し1930年代に廃れたと言われる<ラグタイム>。なぜ廃れたのでしょうか?丸山繁雄氏はその著『ジャズマンとその時代』で「スコット・ジョプリンなどラグタイムの巨匠の音楽は、左手がベース音と肉声を交互に弾き、右手が旋律を弾く、明らかに後にストライド・スタイルに受け継がれるジャズ・ピアノの原型を思わせる。」と書いているように廃れたのではなく時代に主流となるピアノ奏法<ストライド>などジャズに吸収されっていったのでしょう。ともかくラグタイムは瞬く間に国中に広まって、特にニューヨーク、アトランティック・シティ(ニュー・ジャージー州)ボルティモア(メリーランド州)などで大流行します。後にシカゴの黒人街で流行したブギ・ウギもラグタイムの影響を受けているという見方もあるようです。
最後にどの評論家も書いていない僕の疑問と推測です。疑問は「解放前教育水準が高く経済的にもゆとりがあったクレオールの一部はヨーロッパに渡り、音楽活動をつづけた人々もいた。そのままクラシックを演奏すればよいのになぜ19世紀末の黒人たちは<ラグタイム>を作らねばならなかったのでしょうか?」その答え(推測です)は「解放前は大プランターの主人のためにクラシックを演奏する黒人ミュージシャンがいたが、奴隷制度が無くなると黒人たちは安酒場でしか演奏できなくなってしまった。白人たちは黒人がクラシックを演奏するなんて絶対に許さなかった。黒人に許されたのはブルースと黒人霊歌だけだった。」(マイルス・ディヴィス自叙伝:中山康樹訳 JICC出版局)つまり黒人たちはクラシックを演奏することが出来なかったのです。そこで身に付いたクラシックの教養と生まれながらに持っている黒人としての特質を生かした音楽を創り出していったのではないでしょうか?この辺りの黒人ミュージシャンの苦悩は2018年のアカデミー受賞映画『グリーンブック』にも描かれていましたね。

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