ポール・メアーズ(コルネット)

Paul Mares (Cornet)

ポール・メアーズ

1900年6月15日ルイジアナ州ニューオリンズ生まれ。
1949年8月18日死去。

初期のデキシーランド・ジャズのコルネット奏者として、ニュー・オリンズ・リズム・キングス(以下N.O.R.K.)のリーダとしても有名。
父もニューオリンズの軍楽隊でコルネットを吹いていたという。
多くの他のコルネット奏者と同様にジョー・“キング”・オリヴァーの影響を受けた。
1919年同じコルネット奏者のアビー・ブルニーズがシカゴでの仕事のオファーを受けたが、彼はそれを断ったためメアーズに仕事が回りシカゴに向かった。
ブルニーズがシカゴ行きを断ったのは、当時タクシー運転手をしながら音楽ができるニューオリンズでの生活に満足しており、ことさらリスクを冒してシカゴに行く
必要を感じなかったからという。
メアーズはシカゴで20年代最も重要なバンドの一つN.O.R.K.を率い、ミュージシャンとしての地位を確立した。
1924年ニューオリンズに戻り、毛皮のビジネスで家族を養いながら音楽をやっていこうと決めていた。彼の商売はうまくいき3件の家を持つまでになったという。
その内のメテリー(Metairie)の家は1929年ビックス・ベイダーベックを初めとするポール・ホワイトマンの楽団員たちによるジャム・セッションを行われたことで有名となる。
彼はニュー・オリンズに「シカゴ・バーベ・キュー」というレストランも開店、30年代初頭には再度シカゴへ行き、同店のシカゴ店をオープンさせた。
この店はシカゴのミュージシャンが集いジャム・セッションを繰り広げる場となったという。もちろんメアーズ自身も時たま参加した。

レコード・CD

「白人草創期ジャズ音楽 ディキシーランド」(APCD-6001)