フルネーム:アラン・ウォーレン・ヘイグ(Alan Warren Haig)
1922年7月19日ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
1982年11月16日ニューヨークにて死去。
ビ・バップの先駆者の一人として知られる。
7〜8歳のころからピアノを始め、1940年、オーバリン大学でピアノを専攻。
1945年にディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーと共演し、
1945年から1946年までは主にガレスピーのバンドでプレイした。
1946年にはファッツ・ナヴァロが加わっていた"Eddie Davis and His Beboppers"に加わった。
1947年には"Eddie Davis Quintet"に、1948年から1950年までパーカー及びスタン・ゲッツなどのレコーディングに加わった。
ヘイグを加えたガレスピー・クインテットが1945年5月にギルド・レコードへの吹込み4曲は、
成熟したビバップ・スタイルのすべての要素を示す最初の録音と言われている。
その後マイルス・デイヴィスの『Birth of the Cool』の最初のセッションにも参加した。
しかし1950年代から1960年代にかけては、忘れられた存在となり、ニューヨークのバーで、
セミ・カクテル・ピアニストとして生計を立てていたという。
1968年10月9日ニュージャージー州クリフトンの自宅で3人目の妻ボニーを絞殺したとして起訴されたが、1969年無罪となった。
ヘイグは、暴力的な性格と言われ、特に家庭内においてはその傾向が強かったという証言があり、
妻ボニーの死は事故だったというヘイグの証言に疑いを持つ向きもある。
1974年、オファーを受け行ったヨーロッパ・ツアーが大成功を収め、レコーディングも行った。
このアルバム「インビテーション」以降ヨーロッパを中心に強力なファンを獲得し、
主にイギリスやフランスでレコーディングを行い、ツアーも行った。
ディジー・ガレスピーの1945年の録音に名前がある。
"Charlie Parker/A Studio choronicle"(JSP RECORD JSP915)
"Dizzy Gillespie-Charlie Parker"(Uptown UPCD-27.51)
"Charlie Parker/Lotusland"(Spotlite SPJ123)
「クラシック・テナーズ Vol.2」(Flying Dutchman RJL-2572)>
「ディジー・ガレスピーとビ・バップ・イーラ」(RCA RMP-5119)
"Dizzy Gillespie/Dizziest"(RCA 5785-1-RB)
「ディジー・ガレスピー/シングス・トゥ・カム」(Columbia YW-7534-EV)
"Dizzy Gillespie/Professor bop"(Atlantis ATS-11)
"Dizzy Gillespie/Groovin high"(Savoy MG-12020)
"The Fats Navarro story"(Properbox 11)
"Fat Navarro/The 1946-49 small group sesions"(Blue moon BMCD 1016)