アレン・イーガー(リード)

Allen Eager (Reed)

アレン・イーガー

1927年1月10日ニューヨーク生まれ。
2003年4月13日フロリダ州デイトナ・ビーチにて死去。

13歳の時にニューヨーク・フィルハーモニックのデイヴィッド・ウェーバーからクラリネットのレッスンを受けたのが、音楽を始めた最初という。
15歳の時にウッディ・ハーマンと共演歴があるという。またその年初めてヘロインを摂取したともいう。
16歳の時、ソニー・ダナム、ハル・マッキンタイアなどのバンドで演奏していたが、1943年にウッディ・ハーマンの楽団に加入した。
1945年にトミー・ドーシーの楽団に加わった。
第二次世界大戦後、ニューヨークの52丁目周辺の舞台の常連となり、1945年から1947年まで自身のバンドを率いた。
初のリーダー作を1946年2月のサヴォイ・レコードに吹き込んだというのでかなり早熟と言える。
イーガーの演奏スタイルは、レスター・ヤングの影響を強く受けたもので、当のヤングから、「アレン・イーガーはグレイボーイズ[白人奏者]の中で最高だ」と評価されていたという。
サウンド面でヤングを真似ると同時に、ビバップで開拓された音楽形式も取り入れると同時に、多くのビバップ奏者同様薬物依存も取り入れた。
1951年にジェリー・マリガン、52年にテリー・ギブス、その後すぐにバディ・リッチと共演した後、一時的に音楽を辞め、スキーや乗馬のインストラクターをしていたという。
1953年から1955年にかけて、再びサックス奏者として自身のバンドを率いた。
1956年から1957年までパリに移住し、パリで演奏を続けたが、1957年にアメリカに戻った。
アメリカに戻って、マリガンの指揮のもと『ジェリー・マリガン・ソングブック』の録音に加わったものが最後の録音となり、事実上ジャズから引退した。
ジャズ界から引退した理由として、チャーリー・パーカーの死(1955年)と自身の薬物中毒の問題を挙げているという。
その後はスキー・パトロール隊員やカー・レーサーになったりと様々な活動を行った。
1960年になると時折音楽活動を行うようになり、ニューポート・ジャズ・フェスティバルでチャールズ・ミンガスのバンドでAsを吹いた。
1960年代後半、家族とともにフロリダに移り、定住した。
1970年代にはフランク・ザッパと共演したこともあるという。
80年代以降も時折演奏活動を行ったようだが、余りうまく行かなかったようだ。
2003年4月13日にフロリダ州デイトナ・ビーチで肝臓癌のため亡くなった。
ウッディ・ハーマンの1944年の録音に名前が見える。

レコード・CD

「ウッディ・ハーマン/ザ・ターニング・ポイント」(MCL-1029)
「エスクァイアーズ・オール・アメリカン・ホット・ジャズ」(Victor VRA-5018)