本名:アルヴィン・ヘンリー・マクバーニィ Alvin Henry McBurney
1908年7月1日カリフォルニア州オークランド生まれ。
2004年2月24日死去。
カリフォルニア州オークランドで生まれたが 、オハイオ州クリーブランドで育った。
幼少期から音楽と電子工学の才能があった。8歳の時に初めて無線機を製作し、数年後には国内最年少のアマチュア無線家の一人となった。
10代の頃、誕生日プレゼントとしてバンジョーを贈られ、1927年クリーブランドのバンドリーダー、エヴ・ジョーンズのもとでバンジョーを演奏する仕事に就き、プロとしてのキャリアをスタートさせた。
翌年、フィル・スピタルニー・オーケストラのメンバーとなる。バンジョーからギターに転向し、当時ニューヨークで人気だったラテン音楽を利用するため、名前をアルヴィーノ・レイに変更したという。
1932年から1938年まで、彼はホレス・ハイトとミュージカル・ナイツのメンバーとなり、スティール・ギターを弾き始め、注目を集めた。ギブソン社は彼にギター用ピック・アップの開発を依頼した。
1939年、キング・シスターズと自身のバンドを結成して、ハリウッドに移り、あるラジオ・ネットワークの音楽監督となった。そのハウス・バンドのリーダーとして、1942年に録音した「テキサスの奥深く」がヒットした。同年、アル・コーン、レイ・コニフ、ニール・ヘフティ、ズート・シムズ、アレンジャーのビリー・メイを雇い、1940年代には、サックス奏者のハービー・スチュワード、ドラマーのデイブ・タフ、アレンジャーのネルソン・リドル、ジョニー・マンデル、ジョージ・ハンディとも仕事をした。
1943年、バンドはミュージシャンのストライキのためレコーディングを行えず、バンドを解散し、自身はロッキード社でメカニックとして働いた。1944年、アメリカ海軍に入隊し、レーダー・システムの開発に携わり、またバンドを指揮した。
除隊後の1950年代は義理の兄弟であるバディ・コールと小グループでスチール・ギターを演奏していた。1957年頃から、ワーナー・ブラザーズ・レコードで多くの作品のプロデュースを行った。
1960年代、彼はキング・シスターズと共にキング・ファミリー・ショウの音楽監督を務めた。レイ自身も頻繁にこのショウに出演した。1978年、スティール・ギターの殿堂入りを果たした。1990年代初頭、妻のルイーズとともに彼女の故郷であるユタ州に移住した。ソルトレイク・シティでジャズ・カルテットを結成し、地元のクラブで演奏していたが、妻のルイーズも参加することがあったという。1994年に演奏活動を引退した。2004年、股関節を骨折し、肺炎や鬱血性心不全などの合併症を患い、リハビリ・センターで95歳で亡くなった。
電気楽器の先駆者であり、1920年代にバンジョーの音を増幅した。1935年、ギブソン社はレイを雇い、彼がバンジョー用に開発したピックアップをベースにしたピックアップの試作品を開発させた。このピックアップは、ギブソン社初のエレキギターES-150に採用された。この試作品はシアトルのエクスペリエンス・ミュージック・プロジェクト博物館に保管されている。
1939年、エレクトリック・スチール・ギターの音を言葉のように聞こえるように加工する「トークボックス」装置の初期バージョンを発明した。ビッグバンドの演奏用に、彼はギターの形をした「ストリンギー」と名付けた動く機械キャラクターを製作し、加工したギターの音を「歌」わせた。レイとは別の技術を使用したトークボックスが、ロック・ギタリストのピーター・フランプトンが使用したことで有名になった。
1959年から1960年頃、独特のペダル・スチール・ギターの音をラジオのジングルに取り入れました。このジングル・パッケージは、ダラスやマイアミのラジオ局で使用された。