油井正一氏は、BGの「クラリネット・スタイル」と限定して、3期に分けて考えたいとし、その1期を1926年のベン・ポラック楽団での初吹き込みから1934年ヴィクターの専属になった頃までとしている。
野口久光氏によれば、ジャズを熱愛していた若きベニー・グッドマンの夢は自分のバンドを持つことであったという。そのBGが当時の大興行師ビリー・ローズが開店したレストラン・シアター<ミュージック・ホール>のためにバンド結成を依頼されたのが1934年だった。これがBGが初めて組織した自分の名前を冠した初めてのバンドであったという。しかしこれまでもベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Benny Goodman and his orchestra)という名前で録音は行っている。しかしジャズ評論の重鎮野口久光氏にそんな見落としは考えられない。
BGがいつ自分の名前を冠したバンドを組織したのかについては、記述がいろいろある。野口氏以外の記述を紹介すると、モート・グッド氏(「ベニー・グッドマン/The RCA years全曲集」原盤開設者)は、1931年「フリー・フォー・オール」のビットのためだったが、そのショウが興行的に失敗したために解散したとし、初めて自分の名を冠したレギュラー・オーケストラを組織したのは、レストラン・シアター<ミュージック・ホール>のために組織したバンドだったとしている。一方飯塚経世氏は、1931年に初めて自楽団の名前で4曲録音したと書いている。総合すると、1931年に「ベニー・グッドマン・アンド・ヒズ・オーケストラ」名義のバンドを組織したことはあるが、レギュラー化を意識して組織したのは1934年ということで良いと思う。
またモート・グッド氏によれば、BGは1934年当時週に300ドル稼ぐニューヨークきっての高ギャラ・プレイヤーの一人だったという。しかしビリー・ローズのレストラン・シアター(「ザ・ミュージック・ホール」)に出演するに当たって、2本のヴァイオリンを入れることという条件を付けられた。この辺りの事情を「ベニー・グッドマン/The RCA years全曲集」の解説モート・グッド(Mort Goode)氏が記載している。グッド氏はジャズ評論家というよりは、ミュージシャンでありBGのバンドに加入して一緒に演奏したこともある人物で、自己紹介として次の様に書いている。
「当時のダンス・バンドにはヴァイオリンが2人居ると思われていた。ベニーは、ヴァイオリニストを一人雇っていたが、もう一人二番手としてヴァイオリンもできるアルト・サックス奏者がいると考えていた。それがつまり私だった」と。つまりグッド氏は、内部事情に詳しい人間ということになる。さらにオーディションも受けなければならなった。それに合格して出演ということに漕ぎ着けたのである。
ヴァイオリンを入れるとジャズではなくなるというわけではないが、純ジャズのバンドではないバンドの組織を求められたと言えよう。これまで取り上げてきた中ではベン・セルヴァン、アート・カーンなどのバンドにはヴァイオリンが2本入っているが、そのようなサウンドを求められたのであろう。因みに今回取り上げた中にはBG名義のバンドがあるが、ヴァイオリンは入っていない。ということはビリー・ローズに言われて組織したバンドの録音ではないということになる。
グッド氏はオーディションに受かったのは、ヴォーカリスト、ヘレン・ウォードの存在が大きな力になったと書いています。「彼女はウォルドフ・アストリアに出演中のエンリケ・マドリゲラのラテン・バンドで歌っていたが、ローズのオーディションのために歌いに来た。それはBGの2回目のオーディションの時で、ヴォーカリストを加えることによって契約に成功したのだった」と。
だが、ザ・ミュージック・ホールがオープンした時、そこにはヘレンの姿はなかった。ブロンド美人のアン・グレアムがBGと共に幕を開けた。ヘレンはウォルドフ・アストリアに戻っていたのである。しかし2か月後には、ヘレンはBGのバンドに参加し、ラジオ番組“レッツ・ダンス”にも出演した。
アルト・サックスのハイミー・シャーツアーは、「彼女はあの時のバンドにぴったりだった。彼女は何をやってもナチュラルで魅力的だった」と語っている。また、1935年4月に設けられた『メトロノーム』誌でダンス・バンド評を担当していたジョージ・サイモンの『ザ・ビッグ・バンズ』によれば、彼女は「声と同時に見た目もまた魅力的な歌手。彼女のスタイルは、温かみと官能的なジャズ・ビートを体現したもので、彼女の身体は非常にセクシーに動いた」という魅惑の女性ヴォーカリストだった。
しかしこの時の演奏について油井正一氏は、世評は散々なものだったと書いているが、相倉久人氏は、BGにとってはそれが次のステップに繋がったと書いている。ともかく「ザ・ミュージック・ホール」での仕事は1934年10月まで続いたという記載と9月までだったという記載がありどうもこの辺りは判然としない。
さて、この後BGの出世の第1ステップ、ラジオ番組出演となるのですが、その経緯についてはちょっとばかり記述が異なる点があるのでご紹介しておきます。
前出の相倉氏は、「さてそのクラブの出演契約満了の日、広告代理店の男が新たに始まるラジオ番組のオーディションの話を持ってきました」としているのに対して、グッド氏は『1934年10月に「シアター・レストラン」の仕事が終えてから間もなくして…』と書いています。まぁ余り大した違いではないが。
その番組とは、ナショナル・ビスケット・カンパニー(略してナビスコ)をスポンサーとして、ラジオ・ネットワークの最大手NBCが企画したニューヨーク時間で土曜の夜10時30分開始の3時間の音楽番組だった。出演バンドは3組、ザビア・クガートのラテン・バンド、ケル・マレイのソサエティ・オーケストラ、そしてBGのバンドだった。各バンドの持ち時間は約1時間弱だが、毎週それだけの時間をこなすには相当なレパートリーが必要となる。
そこで登場するのがフレッチャー・ヘンダーソンである。ヘンダーソンはその当時、「バンドが経営に行き詰まって解散したばかり」(相倉氏)、「バンドは仕事がなく、マネジメントのまずさもあって、解散に瀕していた」(モード氏)。ともかくヘンダーソンは、編曲の売り渡しに同意し、新たな編曲も手掛けることになりました。
こうして1934年12月1日ラジオ番組『レッツ・ダンス』が、BGの演奏するテーマ曲に載って全米に向けて放送を開始した。因みにこの番組は翌1935年5月25日まで続く。BGにとってこのラジオ番組出演は、1935年後半に起こる熱狂的なBG人気を下地を作ったという意味で非常に重要である。
ということで、まず今回も僕の持っている音源全15曲を録音順に並べてみよう。
| No. | 曲名 | 原題 | 録音日 | 名義 | 音源収録 |
| 1. | ザ・スーパー・スペシャル・ピクチュア・オブ・ザ・イヤー | The super-special picture of the year | 1934年1月16日 | The yacht club boys | 宝庫 |
| 2. | ジャンク・マン | Junk man | 1934年2月2日 | Benny Goodman and his orchestra | Mildred Bailey Greatest |
| 3. | オール・パピー | Ol' pappy | 1934年2月2日 | Benny Goodman and his orchestra | Mildred Bailey Greatest |
| 4. | エマライン | Emaline | 1934年2月2日 | Benny Goodman and his orchestra | Mildred Bailey Greatest |
| 5. | エイント・レイジー、アイム・ジャスト・ドリーミン | Ain't lazy , I'm just dreamin’ | 1934年5月14日 | Benny Goodman and his orchestra | Jack Teagarden/King of the blues trombone |
| 6. | ムーングロウ | Moonglow | 1934年5月14日 | Benny Goodman and his orchestra | Jack Teagarden/King of the blues trombone |
| 7. | 生きている限り | As long as I live | 1934年5月14日 | Benny Goodman and his orchestra | 宝庫 |
| 8. | ブレックファースト・ボール | Breakfast ball | 1934年5月14日 | Benny Goodman and his orchestra | 宝庫 |
| 9. | テイク・マイ・ワード | Take my word | 1934年8月16日 | Benny Goodman and his orchestra | 宝庫 |
| 10. | アラバマに星落ちて | Stars fell on Alabama | 1934年9月11日 | Vincent Rose and his orchestra | 宝庫 |
| 11. | センチになって | I'm getting sentimental over you | 1934年9月11日 | The Modernists | 宝庫 |
| 12. | ユア・ゲス・イズ・アズ・グッド・アズ・マイン | Your guess is as good as mine | 1934年9月18日 | Jack Teagarden and his Orchestra | Jack Teagarden/King of the blues trombone |
| 13. | アラバマに星落ちて | Stars fell on Alabama | 1934年9月18日 | Jack Teagarden and his Orchestra | Jack Teagarden/King of the blues trombone |
| 14. | コーキー | Cokey | 1934年11月26日 | Benny Goodman and his orchestra | 宝庫 |
| 15. | ライク・ア・ボルト・フロム・ザ・ブルー | Like a bolt from the blue | 1934年11月26日 | Benny Goodman and his orchestra | 宝庫 |
飯塚経世氏の解説では「ザ・ヨット・クラブ・ボーイズ」とあるが、レコードのラベルには”Yacht club boys”と”The”が付いていない。余り気にすることもないか?
ともかく「ザ・ヨット・クラブ・ボーイズ」は1920〜30年代に活躍した4人組の「コミック・シンガーズ」だという。飯塚氏によればBGがジャズ・ヴォーカル以外のチームと共演した珍しい記録で、吹込みは他に3曲あるがその3曲でソロは取っていないという。アップ・テンポの曲でイントロとエンディングで軽快なプレイを披露している。
ミルドレッドはなどスイング時代の歌手は一見豪華なバックを従えているように見えるが実は逆で、有力なビッグ・バンドが歌手を雇っているのだという。なるほどそういう見方をすればまた違って聴こえてくるかもしれない。楽しみ方は色々だ。テナーにコールマン・ホーキンスが参加しているのが目を引く。
A-8.[ジャンク・マン]
ブルース・ナンバーでベイリーのような白人女性シンガーがブルースを歌うのは珍しいのではないかと思う。Tpソロの後ベイリーのヴォーカルにはホークがオブリガードを付ける。その後BGのClがリードするアンサンブルでエンディングを迎える。
B-1.[オール・パピー]
BGのClがリードするアンサンブルからホークとBGの短いソロからヴォーカルに入る。オブリガードはBG。続いてソロはホーク。全体に余裕を感じさせるソロで貫禄がある。次いで短いGtソロからアンサンブルに移る。
B-2.[エマライン]
ホークのリードするアンサンブルで始まる。ヴォーカルの後ソロはTb、BGと続きアンサンブルからエンディングとなる。