ベッシー・スミス 1928年

Bessie Smith 1928

ベッシー・スミスはこの年も順調に全21曲ほどコロンビアにレコーディングを行った。

「ベッシー・スミス/エンプティ・ベッド・ブルース」レコード・ジャケット

<Date & Place> … 1928年2月9日 ニューヨークにて録音

<Personnel>

Vocalベッシー・スミスBessie Smith
Cornetデムス・ディーンDemus Dean
Tromboneチャーリー・グリーンCharlie Green
Pianoフレッド・ロングショウFred Longshaw

<Contents> …「ベッシー・スミス物語第3集/エンプティ・ベッド・ブルース」(CBS SOPB 55032)

レコード2 A-1.ユースド・トゥ・ビー・ユア・スイート・ママ(I used to be your sweet Mama)
油井正一氏は、ベッシー・スミスの時代は主旋律を崩して歌うことは許されなかったと書いているが、この曲など後半は語りの口調だったり、シャウトを入れたりとかなり崩しているように聴こえる。それともこれも会社からの指示だったのであろうか?

次の3曲についてレコード・ジャケットに英文で記載されている録音データと油井氏の日本語版解説での録音データはかなり食い違う。ここではジャケットに記載されているデータを採用しておいた。因みに油井氏は、3曲とも2月16日の録音でパーソネルも同じとしている。判断基準は3、4曲目には明らかにコルネットが入っている。

<Date & Place> … 1928年2月16日 ニューヨークにて録音

<Personnel>

Vocalベッシー・スミスBessie Smith
Clarinetアーネスト・エリオットErnest Elliottボブ・フラーBob Fuller
Pianoポーター・グレインジャーPorter Grainger

<Contents> …「ベッシー・スミス物語第3集/エンプティ・ベッド・ブルース」(CBS SOPB 55032)

レコード2 A-2.いっそ死んで墓に埋められたい(I'd rather be dead and burried in my grave)
悲壮な歌詞の内容を引き立てるように伴奏も非常に抑え気味である。

「ベッシー・スミス/エンプティ・ベッド・ブルース」レコード解説

<Date & Place> … 1928年2月21日 ニューヨークにて録音

<Personnel>

Vocalベッシー・スミスBessie Smith
Cornetデムス・ディーンDemus Dean
Tromboneチャーリー・グリーンCharlie Green
Pianoフレッド・ロングショウFred Longshaw

<Contents> …「ベッシー・スミス物語第3集/エンプティ・ベッド・ブルース」(CBS SOPB 55032)

レコード2 A-3.スタンディン・イン・ザ・レイン・ブルースStandin' in the rain blues
レコード2 A-4.イット・ウォント・ビー・ユーIt won't be you

レコード2 A-3スタンディン・イン・ザ・レイン・ブルース
ディーンのイントロに始まりオブリガートもディーンが付けている。「雨の中立ちつくすブルース」というこちらも悲惨な内容である。
レコード2 A-4イット・ウォント・ビー・ユー
バックのコルネット、トロンボーンが抑え気味の伴奏で、スミスの歌唱を引き立てている。迫力あるブレイクである。

<Date & Place> … 1928年3月19日 ニューヨークにて録音

<Personnel>

Vocalベッシー・スミスBessie Smith
Clarinet & Soprano saxエイブラハム・ウィートAbraham Wheat
Clarinetボブ・フラーBob Fuller
Pianoポーター・グレインジャーPorter Grainger

レコード2 A-5.スパイダー・マン・ブルース(Spider man blues)
もちろん映画の「スパイダー・マン」とは無関係。蜘蛛のように女をとらえて離さず飼い殺しにする男の話。

「ベッシー・スミス/エンプティ・ベッド・ブルース」2枚目A面

<Date & Place> … 1928年3月20日 ニューヨークにて録音

<Personnel>

Vocalベッシー・スミスBessie Smith
Tromboneチャーリー・グリーンCharlie Green
Pianoポーター・グレインジャーPorter Grainger

<Contents> … ”Bessie Smith/The collection”(Columbia CK 44441)&「ベッシー・スミス物語第3集/エンプティ・ベッド・ブルース」(CBS SOPB 55032)

レコード2 A-6、CD-12.エンプティ・ベッド・ブルース パート1&2Empty bed blues Part1&2
レコード2 A-7.プット・イット・ライト・ヒアPut it right here
「エドワード・リー/ジャズ入門」

レコード2 A-6、CD-12.エンプティ・ベッド・ブルース パート1&2
エドワード・リー氏はその著『ジャズ入門』(音楽之友社)の中で、ベッシー・スミスを「シティ・ブルース」の代表的シンガーとした上で「ブルース歌手は器楽奏者に伴奏してもらう機会が多くなるにつれて、次第にヨーロッパの影響の強いジャズ・スタイルと古いブルース・スタイルの合流が始まることとなった。その古典的な例がベッシー・スミスの『エンプティ・ベッド・ブルース』である」と述べている。確かにベッシー・スミスは伴奏者にジャズ・マンが付くことを望んだことはよく知られているし、実際これまでの録音を見てもフレッチャー・ヘンダーソン楽団のメンバーなど多くのジャズ・マンが伴奏を務めている。
一方ガンサー・シュラー氏は、トロンボーン奏者チャーリー・グリーンのうめき声を表現した音は荒々しい音とベッシーの苛烈で、苦い感情の吐露との組み合わせも抜群なところがあるとし、『エンプティ・ベッド・ブルース』では、グリーンの吼えたり、軋るようなトロンボーンの響きがベッシーの様々な性的暗喩を見事に浮き彫りにすると述べている。
さらに油井正一氏は次のように述べる。「これはSP盤両面に吹き込まれた当時の超大作であり、私はベッシー・スミスの最大傑作であると信じている。(中略)このレコードは1928年発売と同時にボストンで発禁処分となった。エロだというのである。そのため白人たちが他都市で買い漁り、ベッシー・スミスは一躍白人の世界にも知られるようになった。これを猥褻というのなら、世の中にはもっともっとエロな芸術作品がある。これなどは恋愛を歌ったブルース中出色のものと思う。美辞麗句の類は全くなく、素直で率直に愛人を友だちに取られた女ごころが歌われる最高級の芸術になっている。」
ヒットという意味では年間29位で、年間1位100万枚以上売れた”Downhearted blues”の方が上である。しかしベッシー・スミスの名が白人たちに知られたのはこの曲によってであるという。心してじっくり聴こう。英語特に黒人たちのスラングに疎い僕たち日本人は、エロさを感じるということは少なく、ベッシーの歌謡もイヤらしいところはなく、グリーンとのコラボレイションの見事さに耳が行くのではないかと思う。
レコード2 A-7プット・イット・ライト・ヒア
こちらのナンバーについて油井氏は評論家のルディ・ブレッシ(Rudy Blesh:1899〜1985)が「ベッシーの天才の明るい面を見せた一作」とし、そのストップ・タイムはアフリカにある「嘲笑の歌」に非常に似ているとしながら、アフリカ文化のアメリカ文化への影響について語っている。
確かにここで聴かれる「ストップ・タイム」或いは「ブレイク」という今ではジャズ、ロックなどで普通に聴かれる技法は、ヨーロッパ由来のものではなさそうで、その文化の伝来について考えさせられる。

「ベッシー・スミス/エンプティ・ベッド・ブルース」2枚目B面

<Date & Place> … 1928年8月23日 ニューヨークにて録音

<Personnel>

Vocalベッシー・スミスBessie Smith
Clarinet & Alto saxボブ・フラーBob Fuller
Clarinet & Alto,Tenor saxアーネスト・エリオットErnest Elliott
Pianoポーター・グレインジャーPorter Grainger

<Contents> …「ベッシー・スミス物語第3集/エンプティ・ベッド・ブルース」(CBS SOPB 55032)

レコード2 B-1イエス・インディード・ヒー・ドゥYes , indeed he do !
レコード2 B-2デヴィルズ・ゴナ・ゲット・ユーDevil's gonna get you
レコード2 B-3ユー・オウト・トゥ・ビー・アシェイムドYou ought to be ashamed

レコード2 B-1イエス・インディード・ヒー・ドゥ
珍しいハッピー・ソングである。ボブ・フラーとアーネスト・エリオットの間奏でのユニゾンによるクラリネットが珍しい。このような計算された録音は少ないと思う。
レコード2 B-2デヴィルズ・ゴナ・ゲット・ユー
前曲同様ブルースではない。私を冷たく扱うお前をきっと悪魔が捕まえるぞという歌。ここでもフラーとエリオットのユニゾン・プレイが聴かれる。
レコード2 B-3ユー・オウト・トゥ・ビー・アシェイムド
非常に遅いテンポの曲でブルースではない。こちらも私にした仕打ちを恥ずべきだ!と歌っている。フラーとエリオットの合奏による伴奏が不思議な雰囲気だ。

「ベッシー・スミス/エンプティ・ベッド・ブルース」レコード・ジャケット裏面

<Date & Place> … 1928年8月24日 ニューヨークにて録音

<Personnel>

Vocalベッシー・スミスBessie Smith
Tromboneジョー・ウィリアムスJoe Williams
Clarinet & Alto saxボブ・フラーBob Fuller
Clarinet & Alto,Tenor saxアーネスト・エリオットErnest Elliott
Pianoポーター・グレインジャーPorter Grainger

<Contents> …「ベッシー・スミス物語第3集/エンプティ・ベッド・ブルース」(CBS SOPB 55032)

レコード2 B-4ウォッシュウォーマンズ・ブルースWashwoman's blues
レコード2 B-5スロウ・アンド・イージー・マンSlow and easy man
レコード2 B-6プア・マンズ・ブルースPoor man's blues
レコード2 B-7プリーズ・ヘルプ・ミー・ゲット・ヒム・オフ・マイ・マインドPlease help me get him off my mind
レコード2 B-8ミー・アンド・マイ・ジンMe and my gin

B-6〜8に前日の伴奏者にトロンボーンのジョー・ウィリアムスが加わる。
レコード2 B-4.ウォッシュウォーマンズ・ブルース
「洗濯女のブルース」というタイトル通り、「日がな一日奴隷暮らし、汚れた洗濯物洗って石?まみれ」と歌うブルース。エリオットはここではテナーを吹いているようだ。
レコード2 B-5.スロウ・アンド・イージー・マン
「私の彼氏はゆっくりじっくり愛してくれる」というエロっぽい歌。ここでも間奏はユニゾンで演奏される。
レコード2 B-6.プア・マンズ・ブルース
ここからトロンボーンが加わる。油井氏によれば、珍しいベッシー・スミスの自作ブルース。しかも人種差別に激しい抗議を叩きつけた歴史的な作品。コロンビアのような大会社がよくぞ吹込みを許し、発売したものだと思う。B-3「ユー・オウト・トゥ・ビー・アシェイムド」とカップリングされ1929年3月15日に発売されたレコードは、8,875枚売れたというが、これは少ない数字ではないか。
フラーとエリオットは抑えた薄いバックを付け、トロンボーンがオブリガートを付ける。歌唱は相変わらず素晴らしい。
レコード2 B-7.プリーズ・ヘルプ・ミー・ゲット・ヒム・オフ・マイ・マインド
「神様、どうか私の心から彼を取り去ってください」という歌。ここでの伴奏はジョー・ウィリアムスのトロンボーンとピアノのグレイジャーの2人。オブリガートは前曲同様ウィリアムス。
レコード2 B-8.ミー・アンド・マイ・ジン
この曲には色々あるので、最初に書いておこう。前曲同様トロンボーンとピアノのバックでオブリガートはトロンボーン。ブルースというタイトルは付いていないがブルースである。これも実は珍しいのではないか。
この曲と「ジン・ハウス・ブルース」を間違える人が多いが、全くの別曲という。因みに「ジン・ハウス・ブルース」もベッシー・スミスの持ち歌。その原因は後にベッシーの歌をよく吹き込んだニーナ・シモンが、「ジン・ハウス・ブルース」というタイトルでこの曲を間違えて吹き込んだからではないかとは油井氏。
「時は禁酒法時代。ベッシーは人におぼれ芸術的に絶頂期にありながら、大衆の嗜好がブルースから離れていく現象をどうすることもできなかった」と油井氏は書いているが、何が言いたいのかよく分からない。ベッシーがジンにおぼれたことと大衆のブルース離れに因果関係があるのかないのか。
さらに油井氏はこう続ける。「次に吹き込まれた『つめたい世間』(1929年5月録音)との間には、9か月の余白があるが、その間彼女は一枚の吹込みをしていない。故に『ミー・アンド・マイ・ジン』と『つめたい世間』は、当時のベッシーの告白的自叙伝として語り伝えられているのである。」さっぱりわからん。もう少し言いたいこと整理して実証的に述べて欲しい。
ベッシー・スミス 油井氏の言いたいことを想像すると、
ベッシー・スミスは『ミー・アンド・マイ・ジン』で歌っているように本当にジンに溺れていた。そして世間ではブルース離れが進んでいた。それでベッシーには吹込みの話が来なくなった。以前は皆ブルースを喜んでくれたのに、今では吹込みも少なくなった。なんて『つめたい世間』だとベッシーは感じていた。
ということだろうか。まず僕は、この間たった9か月で世間がそこまで変わるものかと疑問である。そういうならブルースの吹込み数とかブルース・レコードの販売数とかといった何らかの実証的データを示してほしい。次に「ベッシーの告白的自叙伝として語り伝えられている」とはどこでどういった人々に語り伝えられているのか示して欲しい。
僕の考えは、いや普通に考えれば、ベッシーの9か月の吹込み休止の重要なファクターは『ミー・アンド・マイ・ジン』ではなく『プア・マンズ・ブルース』だと思う。レコードの最後に収録されているのが『ミー・アンド・マイ・ジン』だからと云ってこの曲がその日最後の収録かどうかは分からない。そもそも油井氏ご自身で「人種差別に激しい抗議を叩きつけた作品『プア・マンズ・ブルース』をコロンビアがよく発売したものだと述べておられるではないか。コロンビアがすんなり発売するわけがないのである。これから10年後ビリー・ホリディは『奇妙な果実』をコロンビアで録音できず、コモドアで録音し発売したではないか。それに加えてご自身がブルース・シンガー、ビッグ・ビル・ブルーンジーが1945年”Black , brown and white”をRCA、CBS、デッカからマイナー・レーベル持ち歩いても録音できず、1951年になってやっとフランスのヴォーグで録音できたという話を出しているではないか。どう考えても1928年8月から発売の1929年3月までは、相当交渉や調整行われたと推測されるのである。通常8月録音なら年内には余裕で発売可能である。それがここまで延びたのには理由があるのである、いやそう考えるのが普通である。この曲を発売しないのなら次の吹込みを行わないとベッシーがごねたか、こんな曲を吹き込んだから当分録音はさせないとコロンビアが脅したか色々あったのであろう。どういう経緯かは分からないが結局コロンビアは1929年3月15日に発売に及ぶ。多分その結果をコロンビア首脳は戦々恐々としながら状況を見守っていたのではないだろうか。そしてもう大丈夫と踏んだか2か月後再びレコーディング開始ということになったのだろう、その第1回録音がクラレンス・ウィリアムス等をバックに迎えた『つめたい世間』だったのであろう。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。

お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。