ブラインド・ブレイクの録音に関して少しばかり気になることがあった。それは1929年9月録音がシカゴの録音なのに対して、1929年10月の録音がウィスコンシン州グラフトンとなっていることである。「グラフトン」てどこ?
ロバート・パーマー氏はその著『ディープ・ブルース』で、「1926年9月パラマウント社はブラインド・ブレイクという金鉱を掘り当てた」と書いているように、ブレイクの録音は1926年以降はパラマウント社で行われたのだろう。ということはパラマウントの社の録音が行われた場所がシカゴからグラフトンに移ったということを意味するのだろう。グラフトンのあるウィスコンシン州の州都は「ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー」とビールで有名なミルウォーキーで、グラフトンそのものは現在人口約1万人の小さなハッキリ言って田舎町である。そこで録音が行われるようになったのだ。ただ地図で見るとミシガン湖沿いに少し北へ行ったところがミルウォーキーであり、グラフトンはそのミルウォーキーからまた少しばかり北に行ったところで、ミルウォーキー、シカゴとという大都市とそれほど離れた土地ではない。このことに関連する記述を見つけたので以下紹介しよう。
ブライアン・プリーストリー著『ジャズ・レコード全歴史』(後藤誠訳 晶文社)によれば、1920年代の2大レコード会社と言えば、「コロンビア」と「ヴィクター」だった。そしてレコードの普及に欠かせないのは、「蓄音機」である。そして当時「蓄音機」は家具の一種と考えられ、レコードも雑貨屋や家具店で売られていたという。そもそも「コロンビア」と「ヴィクター」は蓄音機を売っており、レコードは買ってくれた人へのオマケ的な存在であったというのである。そして「コロンビア」と「ヴィクター」は、蓄音機で再生するレコードの供給は、蓄音機を販売する自分たちが行うべきであると考えていたという。その関連からか1920年代のジャズ・ブームに貢献した、ジェネットとパラマウントというレコード会社は家具会社の子会社であったという。
そこでこのパラマウント・レコードの親会社というのが、ウィスコンシン・チェア・カンパニーというから椅子の製造を手掛ける会社で、その工場がこのグラフトンにあったのである。つまり椅子の製造工場の大きな建物の中にレコード盤のプレス工場があったのだという。そして同社は1929年に工場の敷地内に録音スタジオを建設、自社での録音事業を開始した。そのために1929年以降有名なアーティストたちが、録音のために続々とこの地を訪れるようになり、その一人がブラインド・ブレイクだったということになります。つまりブレイクの1929年9月までの録音は、リッチモンドやシカゴで録音されグラフトンでレコード化されていたのだが、1929年10月以降は新たに建設されたグラフトンのスタジオで録音、隣のプレス工場でレコード化されたということになる。
椅子を製造する家具屋さんがレコードを製造というのは意外な感じだが、家具店に出入りしているコロンビアやヴィクターが蓄音機と一緒にレコードを売っているのを見、そしてそれが大いに売れているのを見て、「よっしゃ、我々もレコードを作って一儲けしよう」ということになったのであろうか?それはともかく、ブレイクの録音日付を見て、10月に新スタジアムを完成させて、これから自前でどんどんレコーディングするぞ!と意気込んだところに「大恐慌」が勃発したのである。正にパラマウント社から見れば、青天の霹靂である。
そして翌1930年は大恐慌の影響で不況が深刻化してくる。その影響を最も厳しく受けたのが音楽業界と言われ、レコーディング数が激減したと言われる。確かにこのブラインド・ブレイクの吹込みを見ても、1929年は25曲であるのに対して30年は10曲と半分以下に減っているが、まだ10面分の録音ができているのである。
ただブレイクの場合は、弾き語りなので、レコーディングにかかる制作費が安く済むという利点がある。それほど整った設備がないスタジオでも録音できるし、人件費もかからない。これで大ヒットでも生み出してくれれば、もう云うことはない。この辺りが録音数は減っても無くさない、ということだったのかもしれない。おっと、これは僕の勝手な想像です。
| Guitar & Speech | … | ブラインド・ブレイク | Blind Blake |
| Vocal | … | ”チョコレイト・ブラウン”・アイリーン・スクラッグス | ‘Chocolate brown’ Irene Scruggs |
| CD-E.7 | ステインガレー・マン・ブルース | Stingaree man blues |
| CD-E.8 | アイチング・ヒール | Itching heel |
| CD-E.9 | ユーヴ・ガット・ホワット・アイ・ウォント | You’ve Got what I want |
| CD-E.10 | チェリー・ヒル・ブルース | Cherry hill blues |
ブレイクの1930年最初の録音は、5月末に女性ブルース・シンガー、アイリーン・スクラッグスと共演というかギター伴奏という形で行われた。音源はSP盤を再生したものを録音したもので、音質は極めて悪い。パラマウント社は後に倒産したが、倒産後はマスター・テープなどは完全に散逸したそうなので致し方ないのであろう。
このスクラッグスという名前も初めて聞く。この女性ブルース・シンガーは『ジャズ人名事典』にも載っておらず謎の部分が多いが、この時代1920年代は本当にたくさんの女性ブルース・シンガーがいたのだなぁと改めて思ってしまう。歌いっぷりは堂々としていて、ブレイクのテクニック抜群のギター伴奏と相俟って聴き応えがある作品に仕上がっている。
| Guitar & Vocal | … | ブラインド・ブレイク | Blind Blake |
| CD-E.11 | ディドル・ワー・ディドル・No.2 | Diddle Wah diddle No.2 | 5月30日 |
| CD-E.12 | ハード・プッシン・パパ | Hard pushin’ Papa | 5月30日 |
| CD-E.13 | ホワット・ア・ロウダウン・プレイス・ザ・ジェイルハウス・イズ | What a lowdown place the jailhouse is | 5月30日 |
| CD-E.14 | エイント・ゴナ・ドゥ・ザット・ノー・モア | Ain't gonna do that no more | 5月30日 |
| CD-E.15 | プレイング・ポリシー・ブルース | Playing policy blues | 10月 |
| CD-E.16 | ライチャス・ブルース | Righteous blues | 10月 |
この6曲はブレイクの弾き語りとなる。こちらも音はひどく、特にCD-E.13、14はひどくよく聞き取れないくらいだが、やはりここはよくぞ音源を探し出し収録してくれたと感謝すべきなのだろう。
演奏はどうせ朴訥素朴なブルースだろうと思うなかれ、音こそ悪いがかなり洗練されたブルースである。ブレイクのヴォーカルは、訥々として決してシャウトなどしない、それを物足りなく思う人もいるかもしれないが、それこそがこの人の個性なのだろう。ブルース形式は現代のブルースと変わりない。もうこの時代には完成されつつあったのだと思う。
ブルースを聴いていつも思う。歌詞が分かり、スラングが分かったらもっともっと楽しいだろうなぁ!