カサ・ロマ・オーケストラ 1931年

Casa Loma Orchestra 1931

グレン・グレイとカサ・ロマ・オーケストラ 1931年

グレン・グレイとカサ・ロマ・オーケストラは思い入れの深いバンドである。僕は、高校生時代いつも粟村政昭著『ジャズ・レコード・ブック』を持ち歩いていた。おかげで本はボロボロである。毎日々拾い読みする中で、最も聴いてみたいと思った1曲はフレッチャー・ヘンダーソン楽団の“Stampede”であり、最も聴いてみたい楽団はグレン・グレイとカサ・ロマ・オーケストラであった。そして楽曲としては特に3部作と言われる“White jazz”、“Black jazz”、“Blue jazz”であった。田舎の高校生はレコード・ショップに行くたびに探し、東京に出てからも探した。しかしその影すら見つけることは出来なかった。
粟村師も、その著で「カサ・ロマ往時の名演を1枚にまとめたLPと言うのはいまだになく、独ブランズウィックから“Black jazz”や”Maniac’s ball“の入ったEP盤が1枚出ていただけのように記憶する。」と述べていることもあり、もう僕はこの傑作を一生聴くことはあるまい、1曲か2曲は聴けるかもしれないが代表作全てを聴くということはない、と覚悟していたのである。それほど入手が困難なレコードだった。
ところが今から数年前のある日、ふと思いついてネットで検索をかけてみた。すると何と普通に売られているではないか!それも何枚か出ていてすぐにネットで注文できそうなのである。それも値段は忘れたが、それほど高くないのである。驚いた、何という世の中になったものか!
カサ・ロマ・ 今の若い方々に言いたい。「今はいい世の中か悪い世の中か?」僕は断言できる、「今は最高の世の中である」と。それはジャズのレコードに関する限り、ほとんど何でも手に入り、買わなくてもYoutubeで聴くことができる時代である。僕より5,6年先輩の方々などでこういうネットなどを活用しない方は、カサ・ロマ・オーケストラの“Jazz”三部作の名前は聞いたことがあるが楽曲自体は聴いたことがないという人が多いのではないだろうか?そして3曲ともSP盤を揃えているなどという人はまず稀有だと思うのである。それが今ではポチッ!で揃うのである。いい時代でないはずがない。
さて、このカサ・ロマ・オーケストラについて粟村師は非常に簡潔に成り立ちを書いている。「カサ・ロマ・オーケストラは前名を「オレンジ・ブロッサム(Orange Blossom)」と言いデトロイトでスタートしたが、4年後カナダのナイト・クラブ「カサ・ロマ」に出演契約が出来たのを記念して改名し、1929年にニューヨークに出た時にバンドを会社組織を変えて(? 原文通りだが意味不明 バンドを会社組織にしたということか?会社組織のバンドとはどういうものだろう?)グレン・グレイを代表者に選んだ。」
ではこのカサ・ロマ・ホテルとはどのようなホテルであろうか?右の写真がそうであるが、元々はホテルではない。カナダで、ナイアガラの滝を使った水力発電で成功を収めた大富豪ヘンリー・ミル・ペラット卿が巨費を投じて1914年に完成させた自宅です。自宅というかお城ですね。しかしペラット卿がここに住んだのは10年足らず、卿の事業の悪化と財政難のトロント市が今日の住民税を20倍に上げたことから、卿はこの城を維持できなくなり1923年に手放さざるを得なくなる。現在はトロント市が管理しているようですが、1923年以降どのくらいの期間かは分かりませんが、ホテルとして使われ、裕福なアメリカ人の社交場となっていたようです。実にセレブな場所だったわけで、ここのボールルームに出演契約が出来たということは、演奏の腕前だけではなく、立ち居振る舞いも一流であることを認められたということだったのだろう。
『ビックス・バイダーベック物語』 では、後に「カサ・ロマ・オーケストラ」となる「オレンジ・ブロッサム(Orange Blossom)」とはどのようなバンドであったのであろうか?それは以前ビックス・バイダーベックの項で何度も登場したジーン・ゴールドケット関連のバンドであった。ビックスの在籍していたジーン・ゴールドケット楽団は1926年9月自身の傘下の最強メンバーを揃えて東征の旅に出る。そして1927年マンハッタンにあった「ローズランド・ボールルーム」で当時最高のダンス・バンドと言われたフレッチャー・ヘンダーソンの楽団と今や伝説となったバンド合戦を行う。そしてゴールドケット楽団は、「ローズランド・ボールルーム」の出演契約終了後の9月24日、ゴールドケットの経営方針の変更によって解散したと「ビックス・バイダーベック物語」の解説で油井正一氏が書いている。
ところで最近興味深い本を入手した。レックス・スチュワート著マーティン・ウィリアムズ監修『ジャズ30年代』(村松潔訳草思社)である。レックス・スチュワートとは、あのデューク・エリントンやフレッチャー・ヘンダーソン楽団で活躍したTp奏者のあのレックスである。監修のマーティン・ウィリアムズはこれまた精緻な研究手法で有名な評論家である。そのマーティン氏が「私に知る限り、これまでのところ(1972年刊)ミュージシャンによって書かれた唯一のジャズ史」と述べている貴重な証言満載の本だ。その冒頭の第1章がジーン・ゴールドケット楽団である。ここでレックスは興味深いことを書いている。レックス自身この時はフレッチャー・ヘンダーソンのバンドに在籍していた。そして対決でヘンダーソン楽団はゴールドケットに完膚なきまでに叩きのめされたという。しかしその後ゴールドケット楽団は解散したとは書いていない。それどころかレックスは、ゴールドケット楽団が最も素晴らしかったのは26年から29年にかけてであるとさえ書いている。
ちょっと話が逸れたが、油井氏の書くところのものとレックスの証言は、かなり食い違う。これは今後の課題としたいが、僕に真相を明らかにする能力などはないので、ただそれぞれの説を紹介するだけのものにはなるだろうが。
カサ・ロマ・ ところで、ゴールドケット氏は、バンド解散後直接バンドを運営するのではなく、音楽ビジネス、今で言うと日本の芸能プロダクションのようなものを組織する。たくさんのミュージシャンを集め、バンドを組んで各地のボールルームに送り出すのである。レックスは次のように記述する。「ゴールドケットが組織した楽団には、ハンク・ベニーニが指揮した「カサ・ロマ・バンド」、「スチュッド・ベイカー・チャンピオンズ」、「オレンジ・ブロッサムズ」、オーウェン・バートレットが率いた「デトロイト・アスレティック・クラブ」、ポール・マーツの「ブック―キャデラック楽団」がある。またマッキニーズ・コットン・ピッカーズのように既に活動していたバンドの経営を引き継いだ例も少なくない」と。???
「カサ・ロマ・バンド」と「カサ・ロマ・オーケストラ」はちがうものなのか?「オレンジ・ブロッサムズ」が「カサ・ロマ・オーケストラ」になったのではないの?これらは今後の勉強対象ということにして高校生時代から憧れに憧れた「カサ・ロマ・オーケストラ」のレコーディングを聴いていこう。
粟村師は、「カサ・ロマ・オーケストラ」がレコーディングを開始したのは改名した1929年の暮れのことだったが、折からの不況にもめげず、ジーン・ギフォードの素晴らしく手の込んだアレンジを用いて3部作と言われる“White jazz”(1931)、“Black jazz”(1931)、“Blue jazz”(1932)を筆頭に、“Casa loma stomp”(1937)、“Maniac's ball”(1932)など歴史に残る傑作を次々に吹き込んだ。ビッグ・バンド・ジャズの創始者であったドン・レッドマンが自身のバンドをスタートさせながら、次第にコマーシャル化の道を辿らざるを得なかった当時のバンド・ビジネスの難しさを思う時、いかにカレッジ・サークルの支持があったとはいえ、カサ・ロマ楽団の硬骨ぶりは並々ならぬ情熱の裏付けが必要であったろう」と書いている。僕の持っているカサ・ロマ・オーケストラの音源はこのCDと「MCAジャズの歴史」に収録された“Casa loma stomp”(1937年)のみである。そしてこのCDは1931年からの音源を収めている。

「カサ・ロマ・オーケストラ/マニアックス・ボール」CDジャケット

<Date&Place> … 1931年3月23、24日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … グレン・グレイとカサ・ロマ・オーケストラ(Glen Gray and his Casa Loma Orchestra)

Band leader & & Alto saxグレン・グレイGlen Gray
Trumpetジョー・ホステッターJoe Hostetterダブ・ショフナーDub Shoffnerボビー・ジョーンズBobby Jones
Trombone & Vocalピー・ウィー・ハントPee Wee Hunt
Tromboneビリー・ローチBilly Rauch
Alto sax & Clarinetクラレンス・ハッチェンライダーClarence Hutchenrider
Alto sax & Vocalケニー・サージャントKenny Sargent
Tenor saxパット・デイヴィスPat Davis
Violinメル・ジャンセンMel Jenssen
Pianoジョー・ホース・ホールJoe “Horse” Hall
Banjo , Guitar & Arrangementジーン・ギフォードGene Gifford
Tuba & Bassスタンレー・デニスStanley Dennis
Drumsトニー・ブリグリアTony Briglia
Vocalジャック・リッチモンドJack Richmond

<Contents> … ”Casa Loma Orchestra/Maniac's ball”(HEP CD 1051)

CD1.アレクサンダーズ・ラグタイム・バンドAlexander's ragtime band1931年3月23日録音
CD2.プット・オン・ユア・オールド・グレイ・ボンネットPut on your old grey bonnet同上
CD3.アイ・ワナ・ビー・アラウンド・マイ・ベイビー・オール・ザ・タイムI wanna be around my baby all the time1931年3月24日録音
CD4.アイム・クレイジー・アバウト・マイ・ベイビー(アンド・マイ・ベイビーズ・クレイジー・アバウト・ミー)I'm crazy ‘bout my baby(and my baby's crazy ‘bout me)1931年3月24日録音
CD5.ホワイト・ジャズWhite jazz1931年3月24日録音

CD1.[アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド]
大作曲家アーヴィング・バーリンが1911年ごろに作ったと言われる。バーリン最初のヒット曲である。覚えやすいメロディーで、いわゆるスタンダード・ナンバーである。タイトルに「ラグタイム」という語が入っているが、ラグタイムではないという。わが国でもジャズ、それもディキシー系というとこの曲などが使われることが多いのではないかと思う。ヴォーカル・ナンバーだがアンサンブル中心で、As、Tbのソロが入る。それほど複雑なアレンジではないのでギフォードのアレンジではないのかギフォードも普通のアレンジも行ったのかな?
CD2.[プット・オン・ユア・オールド・グレイ・ボンネット]
アップ・テンポのアンサンブルが終わると、Ts、Tpソロが入り、ヴォーカルとなる。その後P、Tp、Clソロからアンサンブルに移る。
CD3.[アイ・ワナ・ビー・アラウンド・マイ・ベイビー・オール・ザ・タイム]
Tbがリードするアンサンブルによるテーマの後、ミュートTpの短いソロが入りヴォーカル、アンサンブルを挟んで再びヴォーカルで終わる。
CD4.[アイム・クレイジー・アバウト・マイ・ベイビー]
ミディアム・テンポのハッピーな雰囲気の曲。アンサンブルからヴォーカル、短いClを絡めてアンサンブルで終わる。ここまでを聴くとペンシルヴァニアンズとあまり変わらない白人バンドという感じだ。
CD5.[ホワイト・ジャズ]
ジーン・ギフォード三部作の第1作。インスト・ナンバーで初めて聴いた時に「これがギフォードか!ついに聴いたぞ!」とそれだけで感動ものだった。とにかくテンポが速い。最初のTbの後のアンサンブルがすごい!その後2度目のTbソロ、続くAs、Clソロもうまいのか下手なのか分からない、一筋縄ではいかないソロがあり、リフ風でありながら少しばかり複雑でもあるアンサンブルに移り終わる。

「カサ・ロマ・オーケストラ/マニアックス・ボール」CD

<Date&Place> … 1931年12月18日 ニューヨークにて録音

<Personnel> … グレン・グレイとカサ・ロマ・オーケストラ(Glen Gray and his Casa Loma Orchestra)

Trumpet … ダブ・ショフナー ⇒ グラディ・ワッツGrady Watts

<Contents> … ”Casa Loma Orchestra/Maniac's ball”(HEP CD 1051)

CD6.ブラック・ジャズ Black jazz
CD7.マニアックス・ボールManiac's ball
CD8.クラリネット・マーマレイドClarinet marmalade

ここから1931年12月の録音となる。メンバーが一人だけ後退したが、大勢に影響はないように思う。
CD6.[ブラック・ジャズ]
三部作の第2作。イントロはフォーンがアルペジオ風でブラスがアクセントをつけるようなスタイル。ソロはまずTb、アンサンブルを挟んでCl、ミュートTp、Ts。アンサンブルに戻って終わる。終わり近くでカンサス・シティ―風のリフが聴かれる。
CD7.[マニアックス・ボール]
これもインストの曲。速いテンポで複雑巧緻なアンサンブルを縫って奏されるソロ(Tb、Cl、As)もなかなか聴き応えがある。ソロのバックはここでもカンサス・シティー風のリフが用いられる。
CD8.[クラリネット・マーマレイド]
この曲はこれまで何度か登場した。O.D.J.B.やフレッチャー・ヘンダーソンも録音している人気曲。Clソロのバックのアンサンブルがものすごく色々変化して面白い。きっとギフォードは「こんなことをやらせよう」、「あんなことはどうかな?」などニヤニヤしながら譜面を書いていたような気がする。

1931年という年は、明らかに守備範囲であるはずなのにガンサー・シュラー氏はその著『初期のジャズ』でほとんど触れていないのが不思議である。

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