「東京ブギ・ウギ、リズムウキウキ」のブギー・ウギーである。「東京ブギ・ウギ」は、笠置シヅ子さんが歌ってレコードが1948年発売され、大ヒットとなったことは皆さんご承知の通りです。えっ!そんな歳ではない!?失礼しました。ワタクシもその年にはまだ生まれていません。
さてこの日本でも有名な「ブギ・ウギー」の誕生物語については油井正一氏が『生きているジャズ史』に書いている。ポール・オリヴァー著『ブルースの歴史』にも記載があるので合わせた書いていこう。
それらによると1920年前後、アメリカの産業構造が変わりというか軍港都市ニューオリンズでの規制強化によって、シカゴに大量の黒人たちが移住して行く。このことはニューオリンズ・ジャズに関してキング・オリヴァーやルイ・アームストロングに関連して何度も触れてきた。
人種的に差別されている黒人は、シカゴに来ても決められた黒人居住地区に住むことが決められていた。一定区域に住む住民が増えれば、「需要供給の法則」に基づき、貸家の家賃はどんどん値上がりしていく。そしてとうとう、収入に比して家賃の占める割合が増えて行き、普通の労働賃金だけでは、家賃が支払えないほどになる。そこでサウス・サイドの黒人たちは、家賃パーティー(ハウス・レント・パーティー)というものを開き、いくばくかの利益を得、家賃を支払うということを頻繁に行うようになったという。入場料は当時のお金で50セント(油井氏)或いは25セント(オリヴァー氏)。油井氏はそれぞれお客がサンドイッチなどの食べ物、ジンなどのアルコール飲料を持参するとしているが、オリヴァー氏は集まった入場料から密造酒か自家製醸造酒を提供する。油井氏はピアニストは手ぶらで来ても飲み食いできるとするのに対してオリヴァー氏はいくばくかのお金でピアニストを雇うと書いている。
どちらが正しいかあるいはパーティーごとで違ったのかは分からないが、僕が参加するとしたら飲み、食い物持参50セントよりも25セントで飲み食いできる方に行くだろうなぁ。ともかくこうして家主は家賃を捻出し、客は夜中騒ぎ散らかすということが行われる寸法です。
そして油井氏は次のように述べています。「このパーティーに入場も払わず、食べ物も飲み物も持って来ないくせに歓迎される客がいた。その名はジミー・ヤンシー。彼は不思議なスタイルのピアノを弾いたのだが、当時そのスタイルに名前はなかった。これがのちに「ブギ・ウギ―」として全世界に知られるようになったスタイルであるという。」
そしてパイントップ・スミスが、1928年の暮れに2曲吹き込むのだが、この吹込みで彼はタイトルに「ブギー・ウギー」と名付け、歌詞にも「ブギー・ウギー」と歌い込んだ。これがこのスタイルを「ブギー・ウギー」と名付けた最初とされていると油井氏は書いている。
「ブギ・ウギ―」と名付けられた最初録音はパイントップ・スミスによって1928年12月29日に行われたが、このスタイルのピアノ演奏は、カウ・カウ・ダヴェンポートによって1928年7月16日に行われている。
| Piano & Speech | … | チャールズ・“カウ・カウ”・ダヴェンポート | Charles “Cow cow” Davenport |
| Speech(A-2 only) | … | アイヴィー・スミス | Ivy Smith |
| A面1. | カウ・カウ・ブルース | Cow cow blues |
| A面2. | ステイト・ストリート・ジャイヴ | State street jive |
多分最も古い「ブギー・ウギー」スタイル・ピアノの録音の一つであろう。しかし次に取り上げる「パイン・トップス・ブギー・ウギ―」が出る前だったので「ブギー・ウギー」とは呼ばれなかったのかもしれないが、完全に「ブギー・ウギー」スタイルである。
「ステイト・ストリート・ジャイヴ」において、レコード裏面にはアイヴィー・スミスという女性が「スピーチ」となっているが、一種の煽りのような「しゃべり」である。またダヴェンポートにも「ピアノ&スピーチ」と記載されているので、そう記したがどうもダヴェンポートのものらしき声は聴こえない。
リズム―ウキウキ、ココローわくわくのブギーである。そしてよく聴くとどことなくラグタイム風なところもあるのが面白い。