デューク・ジョーダン (ピアノ)

Duke Jordan(Piano)

デューク・ジョーダン

本名:アーヴィン・シドニー・ジョーダン(Irvin Sidney Jordan)
1922年4月1日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。
2006年8月8日デンマーク・コペンハーゲンにて死去。

ケンカがめっぽう強かったらしく、「ケンカ無敗」の伝説が”Duke"(伯爵)というニックネイムにつながったという。
1939年にアマチュア・コンテストで優勝したスティーヴ・バリアムのコンボに加わって音楽界に入ることになった。
クラーク・モンロー、アル・クーパー、テディ・ワルター等のバンドで演奏した後チャーリー・パーカーに認められて約3年間彼と付き合っている。
黒人ピアニストながら、非常に端正な奏法で知られる。この独特な奏法はかつて文学的かつ抽象的に「通好みの燻し銀ピアニスト」と評論されることが多かった。
具体的な演奏技法としては同時代のハンク・ジョーンズやジョン・ルイスに代表されるフォルテをほとんど使わないソフトな鍵盤タッチと、
特にジョーダンならではの個性だったのが、左手の打鍵タイミングであった。
オフ・ビートを重視するジャズの常道からすると異端ともいえるクラシック音楽からの伝統であるオン・ビートによる左手の演奏スタイルである。
この特徴は初期の1940〜1950年代に顕著で、演奏メンバーが明かされないブラインド・フォールド・テストでも容易に彼がピアニスト担当であることを聞き分けることが可能だという。
以後スタン・ゲッツ、ロイ・ヘインズ、オスカー・ペティフォードといった著名コンボに加わり50年代の大半をニューヨーク中心に活躍し、多くのモダニストたちと交流を重ねた。
1959年に渡仏、以後ヨーロッパを中心に活動を続けた。渡仏の原因は、次第に影響力を増しつつあったマイルス・ディヴィスに干されたという噂がある。
本当にマイルスが「干した」かどうかはわからないが、マイルスは自伝等でめちゃくちゃにデュークを貶しているので、レコード会社が彼を使いづらくなったということはあるかもしれない。
60年代は5年間ジャズ・シーンから離れタクシー運転手をしていたという。
渡欧以後、奏法は次第に強弱のダイナミックさが加わると共に、それまでトレードマークだったオンビートの左手打鍵タイミングにもオフビートを時折取り入れるようになり、後期〜晩年は基本的に叙情派と分類されるものの、幅広い表現力豊かなピアニストとしてマニアから初心者までジャズ必聴のアーチストと評価されるようになった。
作曲の才能も有名で、代表作として曰く因縁のある「危険な関係のブルース(No problem)」や、
トランペット奏者のクリフォード・ブラウンがレパートリーに取り入れて有名になった「ジョードゥ(Jordu)」がある。
1952年にジャズ・シンガーのシーラ・ジョーダンと結婚するが1962年には離婚した。
1978年からデンマークのコペンハーゲンに移住し、1973年よりスティープル・チェイス社と契約して積極的なアルバム制作に取り掛かった。
ロイ・エルドリッジの1946年の吹込みに名前が見える。

レコード・CD

「ロイ・エルドリッジ/グレイテスト”リトル・ジャズ”」(MCA-3076)