シカゴアンズの大将、エディ・コンドンとその一党も1927年からレコーディングを開始している。その初吹込みのエピソードを、油井正一氏が『生きているジャズ史』(東京創元社)で詳しく書いている。大変面白いので紹介したいが、大変長いので筋書だけを以下にまとめよう。
1927年のある日、元競馬の騎手で落馬してから怪我をしてから、騎手を引退しノヴェルティ・バンドを結成してレコードを吹き込みだしたレッド・マッケンジーという男が、シカゴに巡業に来てあるナイト・クラブに入ってくる。
そこではエディ・コンドンが仲間2、3人とレコードを聴いていた。聴いていたのはレッド・ニコルスとファイヴ・ぺニーズのレコードで、マッケンジーが面白いというのに対しコンドンらはくそ面白くもないと貶す。
コンドンがその理由を、「編曲され過ぎだ。ジャズは編曲されるべきではない」と言ったそうで、そのことも興味深いが、先を進めよう。お互いが名乗り合うことになるが、もちろん当時はコンドンらは無名で、マッケンジーの方が有名だった。コンドンらは、マッケンジーのレコードはひどい演奏だと馬鹿にしていたが、売れ行きはすさまじかった。「レッド・マッケンジーとマウンド・シティ・ブルー・ブロアーズ」の最初のレコードの売れ行きは百万枚を突破したと言われているのだ。
そしてマッケンジーに「君たちはレッド・ニコルスを馬鹿にするが君たちはあの半分でもできるのかね?」と言われ、コンドンは「半分ほどの下手な奴は知りませんが、倍くらいうまい奴はいっぱい知っている」とカマし、翌日コンドンのアパートで、コンドンらのバンドの演奏を聴かせることになる。
その時集められたメンバーは、下の<Personnel>で紹介したメンバーに、クラリネットとテナー・サックスのメズ・メズロウが加わっていた。いわゆるオースチン・ハイスクール・ギャングの面々で後に名を成すメンバーたちである。
マッケンジーはこの演奏を聴いて腰を抜かさんばかりに驚いたという。そして早速、たまたまシカゴの来ていたオーケー・レコードのA&Rマン、トミー・ロックウェルに紹介・推薦することになる。そして話はトントン拍子に進み、12月8日2面分初吹込みが行われ、1週間後にさらに2面分吹き込むことになったのである。
そしてバンド名は、コンドンがマッケンジーに敬意を表して提案した「マッケンジー・コンドン・シカゴアンズ」となったのだという。
では何故吹込みにメズロウが入っていないかというと、バンドがスタジオに入り練習に移った時、ロックウェルはメズロウに告げる。「すまないが、7人以上の録音は無理なのだ。すまんが今日は吹込み監督の役をやってくれ。」メズロウは仕方なく頷くしかなかったというのだ。
またこの録音はドラムのフル・セットを使っての史上初のレコーディングでもある。当時は「機械吹込み」から「電気吹込み」に替わったばかりで、ろう盤に針で刻む録音方式のため、バス・ドラムの一打は、針を強く振動させて録音をめちゃくちゃにする恐れがあった。そのためバス・ドラムにはズックの袋をかぶせ、それでもまだ音が大きいのでドラム・セットには各自のオーバーコートを被せたという。そして吹込み途中恐る恐るドラムからオーバーコートを剥がしていったが、特段故障も起こらなかった。そのためこの録音はシカゴアン達の初吹込みであると同時にドラムのフル・セットを使った初吹込みとなったのである。
このレコードは、僕の持っている数少ない25センチ盤の一つで、高校生の修学旅行の時京都で買ったと思う。幾らだったかは忘れたが、当時25センチ盤はもう珍しくなっており、貴重かなと思って買ったのだが、今思うと貴重だった。それは、シカゴアンズの、エディー・コンドンの初レコーディングが収められているからである。
| Banjo | … | エディ・コンドン | Eddie Condon |
| Cornet | … | ジミー・マクパートランド | Jimmy McPartland |
| Clarinet | … | フランク・テッシュメーカー | Frank Teschemacher |
| Tenor sax | … | バド・フリーマン | Bud Freeman |
| Piano | … | ジョー・サリヴァン | Joe Sullivan |
| Bass | … | ジム・ラニガン | Jim Lanigan |
| Drums | … | ジーン・クルーパ | Gene Krupa |
| Cymbals A-2 only | … | メズ・メズロウ | Mezz Mezzrow |
| A面1曲目 | シュガー | Sugar | 1927年12月8日録音 |
| A面2曲目 | ノーボディーズ・スイートハート | Nobody's sweetheart | 1927年12月16日録音 |
12月8日に録音されたのは2曲“Sugar”と”China boy“。この内1曲“Sugar”が収録されている。この吹込み後、ロックウェルはこういった。「大変良かった。1週間後にもう2曲録音しよう。」ということで12月16日“Nobody’s sweetheart”と“Liza”が録音される。ここからも1曲“Nobody’s sweetheart”が収録されている。ディスコグラフィーには、シンバル…メズ・メズロウとあるが、これは立ち会っていたメズロウがシンバルの音が録音不十分であることに気づき、バス・ドラムからシンバルを外しマイクに近いところで手に持っていた。クルーパはシンバルを叩くときには立ち上がって手を伸ばして叩いたという。つまり叩き手はクルーパ、持ち手がメズロウということだった。当時の録音事情を彷彿とさせるエピソードである。
レコード裏の石原康行氏のライナーノートによると、「シカゴ・スタイル」とはフランスのジャズ評論家、ユーグ・パナシェやその他の人々によって名付けられた名前だが、本質的にはディキシーランド・ジャズと変わったところはないという。いわばシカゴに移住してきた黒人たちの演奏するディキシーランド・ジャズに感銘を受け、自らもその演奏を研究し、演奏するようになった若きシカゴの白人たちの演奏するジャズをそう呼んだということであろう。そして前述のようにその最初の録音となった記念すべき一作である。また初めてバス・ドラムを録音したというこれまた歴史的なナンバー。
A面1曲目シュガー
この曲はメイシオ・ピンカードという人によって書かれたディキシーランド・ジャズ・ナンバーとのことで、ピアノのイントロに続いてディキシーランド・ジャズらしい合奏に入る。マクパートランドのTpが主旋をリードするが実に落ち着いた吹奏ぶりで、テッシュメーカー、フリーマン共々初録音とは思えないほどである。何となく同時代の黒人たちの演奏するディキシーランド・ジャズとは感じが少し違う気がする。
A面2曲目ノーボディーズ・スイートハート
シュガーの1週間後に録音された。N.O.R.K.のエルマー・ショーベルとポール・メアーズによって作られた曲。ここでもテッシュメーカーが活躍するが、石原氏はこれは彼の代表的ソロのひとつであると述べている。僕は現代でも十分に通用する素晴らしいソロだと思う。さらにソロは短いがサリヴァンのPも当時としてはかなり斬新なソロではないかと思う。