エディ・ラング 1928年
Eddie Lang 1928
<Date&Place> … 1928年3月29日 ニュー・ヨークにて録音
<Personnel> … エディ・ラングとフランク・シニョレリ(Eddie Lang & Frank Signorelli)
<Contents> … “Blue Guitars vol.1&2”(P-Vine records BGOCD327)
| CD1-10. | アッド・ア・リトル・ウィグル | Add a little wiggle |
| CD1-13. | レインボウ・ドリームス | Rainbow dreams |
同じイタリア系でウマが合ったのか、この年も2人で録音を行っている。
両曲ともシニョレリが伴奏を弾き、ラングがメロディ・ラインを弾き、アド・リブも行っていると思われる。よくこの時代にこういう録音が可能だったなぁと思う。
<Date & Place> … 1928年4月3日 ニューヨークにて録音
<Personnel>…フランク・トランバウアー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Frank Trumbauer and his orchestra)
<Contents> … ”Bix and Tram 1928”(Swaggie S 1269)
| ”B&T”A-4.アワ・バンガロウ・オブ・ドリームス | Our bungalow of dreams |
| ”B&T”A-5.ライラ | Lila |
先述でホワイトマン楽団在籍中にトランバウアー名義の吹込みについて触れたが、油井正一氏は、未だコロンビアと契約前だったのでトランバウアー名義としたのであろうという。ヴォーカルが入るが、どちらもノエル・テイラー(Noel Taylor)という人とのこと。ただこのノエル・テイラーはアーヴィング・カウフマン(写真右)の変名とのことなので、パーソネルは本名のカウフマンで記載している。
どちらも古き良き時代のポップスという感じで、ヴォーカル前にはビックスが、ヴォーカル後にはトランバウアー(A-4のみ)とビックスがソロを取る。エンディングのラングのハーモニクスによるプレイは当時珍しかったのではないか。
エディ・ラングはバックに徹しエンディングや歌のバックぐらいしか聴こえないが、なかなかいいタイミングでハーモニクスなどを入れている。
次の音源は1週間後フランク・トランバウアーの楽団による2曲となる。この内2曲ともSwaggie盤に、1曲は3枚組「ビックス・バイダーベック物語」にも収録されている。
<Date & Place> … 1928年4月10日 ニューヨークにて録音
<Personnel>…フランク・トランバウアー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Frank Trumbauer and his orchestra)
4月3日の録音と同じ。
<Contents> … 『ビックス・バイダーベック物語』(SOPB 55017〜19)&”Bix and Tram 1928”(Swaggie S 1269)
| 『物語』Vol3 A-4、”B&T”A-6.ボルネオ | Borneo |
| ”B&T”A-7.マイ・ペット | My pet |
この2曲にもヴォーカルが入る時代を感じさせるポップス・チューン。この2曲はスクラッピー・ランバート(Scrappy Lambert)という人が歌っているという。[ボルネオ]中間部にトランバウアーとビックスのチェイスのような掛け合いが興味深い。[マイ・ペット]はランクのTb、フリードマンのClソロはなかなか良いと思うが、ビックスのソロはほとんどない。
エディ・ラングのプレイも埋没して全くと言っていいほど聞こえない。
<Date & Place> … 1928年9月20日 ニューヨークにて録音
<Personnel>…フランク・トランバウアー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Frank Trumbauer and his orchestra)
上記はレコード記載パーソネル。ディスコグラフィーとは異っている。ただディスコグラフィーではPがロイ・バーギーでレニー・ヘイトンがドラムスとなっている。ちょっと??歌手はディスコグラフィーによれば、スクラッピー・ランバートだがレコードでは、B-2がスミス・バリュー(Smith Ballew)とオースティン・ヤング、B-3はスミス・バリュー一人となっている。。
<Contents> … ”Bix and Tram 1928”(Swaggie S 1269)
| ”B&T”B-2. テイク・ユア・トゥモロゥ | Take your tomorrow |
| ”B&T”B-3. ラヴ・アフェア | Love affair |
この当時レコーディングはホワイトマン楽団の録音が行われ、ついでというか折角メンバーが集まったからということか、翌日とかにトランバウアー、そしてビックス名義の録音が行われることが多かったようだ。ディスコグラフィーを見ると、[スゥィート・スー]の翌日はホワイトマン楽団のクリスマス・ソングの吹込みがありその翌日9月20日にトランバウアー名義の2曲の吹込みが行われた。
B-2.テイク・ユア・トゥモロゥ
出だしでトランバウアーがソロを取る。彼はヴォーカルにも参加しているが、このノン・ヴィブラートで吹くCメロディ・サックスのソロの方がヴォーカルよりも数倍聴き応えがある。その後に出るビックスも輝かしい。
B-3. ラヴ・アフェア
ビックスはソロというより、アンサンブルをリードする役割である。そのため「ビックス・バイダーベック物語」には収録されなかったのかもしれない。
この2曲においてもラングはバックに徹し、コード・カッティングのみでソロはない。
<Date&Place> … 1928年9月27日、11月5日 ニュー・ヨークにて録音
<Personnel> … エディ・ラングとフランク・シニョレリ(Eddie Lang & Frank Signorelli)
<Contents> … “Blue Guitars vol.1&2”(P-Vine records BGOCD327)
| CD2-1. | アイル・ネヴァー・ビー・ザ・セイム | I'll never be the same | 1928年9月27日 |
| CD2-8. | ジーナイン | Jeannine(I dream of lilac time) | 1928年9月27日 |
| CD2-6. | チャーチ・ストリート・ソビン・ブルース | Church street sobbin’blues | 1928年11月5日 |
| CD2-7. | ゼアル・ビー・サム・チェンジズ・メイド | There'll be some changes made | 1928年11月5日 |
基本的には3月29日の録音と同じで、シニョレリの伴奏でラングがギターでリードを取る。CD2-7.「ゼアル・ビー・サム・チェンジズ・メイド」は出だしがスパニッシュ・ギターのようなプレイが聴かれる。
<Date&Place> … 1928年11月15日 ニュー・ヨークにて録音
<Personnel> … アルガー・”テキサス”・アレクサンダー・アカンパニード・バイ・エディ・ラングとロニー・ジョンソン (Alger“Texas”Alexander accompanied by Eddie Lang & Lonnie Johnson)
<Contents> … “Blue Guitars vol.1&2”(P-Vine records BGOCD327)
| CD2-13. | ワーク・オックス・ブルース | Work Ox blues |
| CD2-14. | ザ・ライジン・サン | The risin’sun |
黒人ブルース・シンガー、テキサス・アレクサンダーことアルガー・アレクサンダーの録音。伴奏を務めたのはエディ・ラングとロニー・ジョンソンというこの時代最高のギタリスト2人という贅沢な録音。珍しいのは、ラングという白人ギタリストがこの時代黒人の伴奏を務めたことである。色々エピソードがあるような気がするが、特に記載がない。
どちらもゆったりとしたブルースで、鬼気迫るというよりも牧歌的な感じである。
<Date&Place> … 1928年11月17日 ニュー・ヨークにて録音
<Personnel> … ロニー・ジョンソンとブラインド・ウィリー・ダン(Lonnie Johnson & Blind Willie Dunn)
<Contents> … “Blue Guitars vol.1&2”(P-Vine records BGOCD327)
| CD1-4. | ハヴ・トゥ・チェンジ・キーズ・トゥ・プレイ・ディーズ・ブルース | Have to change keys to play these blues |
| CD2-9. | ツー・トーン・ストンプ | Two tone stomp |
ここで初めて登場する名前がある。「ブラインド・ウィリー・ダン(Blind Willie Dunn)」である。この名前はエディ・ラングがロニー・ジョンソンとレコーディングするときに用いた変名であるという。CDでの表記は「エディ・ラングとロニー・ジョンソン」となっているが実態はそうであっても発売時点では「ロニー・ジョンソンとブラインド・ウィリー・ダン」となっていた(写真左)。「ブラインド・ウィリー・ダン(Blind Willie Dunn)」という名前は、「ブラインド・レモン・ジェファーソン」や「ブラインド・ブレイク」のように黒人を連想させる名前であり、黒人ブルース・マンの人気にあやかろうとしたとも言われるが、ただたんに黒人らしい名前を使ってより「ブルース」を強調したかっただけのような気もする。
エディは翌年「ブラインド・ウィリー・ダン・アンド・ヒズ・ジン・ボトル・フォー」なるグループで興味深い録音を行うが、このグループにはロニー・ジョンソンは加わっていない。どういう場合にこの名前を使用したかはイマイチ定かではない。
ともかく1920年代、誰もが認める白人No.1ギタリストのエディ・ラングと黒人No.1のロニー・ジョンソンのギター・デュオ。現代ならあり得る企画だが、当時よく思いついて、そしてよくぞ実行してくれたというレコーディングである。多分お互いに認め合っていたのであろう。もしかするとこの白人と黒人コンビがまずいと考えて黒人同士のコンビと見せかけたかったのかもしれない。それぞれが邪魔することなしに盛り上げ合っている。やはり名人を知るのは名人なのであろう。
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