ジーン・クルーパは、1927年マッケンジー=コンドン・シカゴアンズと初吹き込みを行って以来、シカゴ及びニュー・ヨークの種々の楽団で修業し、29〜30年レッド・ニコルス、35年ベニー・グッドマンの楽団に参加し、スター・プレイヤーとして活躍してきた。そのクルーパは1938年ベニー・グッドマンの歴史的な「カーネギー・ホール・コンサート」の後大将のBGとの間に軋轢が生じ退団する。ここまでの彼の軌跡については、それぞれの項で確認いただくとして、この項ではBGバンド退団後の足跡を追ってみたい。
まず歴史的な「カーネギー・ホール・コンサート」は、1938年1月16日に行われ、そこで「シング・シング・シング」などで見られるように大活躍した。その翌1月17日から3週間は「パラマウント劇場」に出演した。そしてカーネギー・コンサートから1か月後の2月16日録音のためにスタジオに入った。この時のバンド・メンバーはカーネギー・コンサートでのスイング・バンドと同じメンバーである。最も安定したメンバーと言ってもいいだろう。
しかし実際はそうではなかった。モート・グッド氏はこの頃にはメンバーの間に不満の兆候が表れていたという。ハイミーはいらだち、ステイシーは何も言わなかったが活躍の場の少なさを喜んではいなかった。アラン・リュースとジョージ・ケーニヒは他の働き口を探していたという。しかし最も深刻なのは、BGのスイング・バンドを根底から支え、鼓舞してきたドラムのジーン・クルーパであった。
そして2月16日の録音がBG楽団におけるジーン・クルーパの最後の録音になるということに匹敵するニュースはなかった。あのジョン・ハモンド、最も近くでバンドを見てきた第三者の一人ジョン・ハモンド氏は自身が執筆していた「ダウンビート」誌のコラムに、「ヒステリカルな大衆が、グッドマンとクルーパの中を割く」と見出しを付け、「ジーンは契約を解消、BGは継続を拒否」と小見出しを付けた。そして「ジーンのBGオーケストラ退団のニュースは、楽壇にセンセーショナルな衝撃を与えた。一般大衆にとって、ジーンはBGブランドの象徴となっており、BGがジーンの退団を許すなどとは思いもよらなかった」と書いた。
その衝撃の大きさが伝わってくるが、一体その原因は何だったのだろう。グッド氏は色々書くが、オブラートに包まれているためよく分からないというのが実感だ。念のためグッド氏が引用しているジョン・ハモンド氏の書くところを挙げてみよう。
まずクルーパ。
「クルーパは極めてまじめに仕事に取り組み、才能ある若い初心者にスコアを教え、たゆまぬ練習を重ねた。交響楽団の打楽器奏者たちとの交際や、アフリカやインドの太鼓奏者たちとの演奏を嘆賞する中から多くのものを吸収した。」
この何がいけないのだろう?クルーパはより強力なスイングを目指していたということなのだろうか?
一方BG。
「BGの成功に何が起きつつあったにせよ、彼のスタイルは変わりつつあった。ハモンド氏によれば、人々のヒステリックな叫び声が彼を疲れ始めさせたのだ。人々をバカでかい音や滑稽な動作で動転させることより、リラックスして独創的な音楽で評価されたいと望むようになった。彼の願いは真のスイングを実現することだったのである。」
どうもどこがどうして不和になるのか分からない説明である。仕方ないので僕なりに解釈してみる。
まず皆さんはジーン・クルーパのドラミングを見たことがあるだろうか?僕も偉そうなことは言えないが、映画やフィルムで見たことがある。叩く姿はアクションが派手で顔の表情も豊かなどという程度のものではない。そして叩きながらスティックをくるくる回す。ともかく派手なのである。オーヴァー・アクションなのである。しかしこれは受けるだろうとは思う。七面倒臭い顔をして真面目腐ってクラリネットを吹くBGよりも人気があっても不思議はない。クルーパ極め付きの「ショウマン」なのである。そしてグッド氏によればBGはこのヒステリックなショウがイヤになったというのである。クルーパがいて、派手なアクションで聴衆を煽ればコンサートは盛り上がる。バンドの立ち上げ時はそれでよかっただろう。なにせそれで人気が出て、出演依頼が殺到するのだから。しかしそういうヒステリックなショウを卒業したいと思うなら確かにクルーパを切るしかないのだろう。
ともかく2月16日の録音を済ませ、フィラデルフィアのアール・シアターに1週間出演した後の3月3日クルーパはBG楽団を退団した。2人の分裂はあらかじめ告げられており(メンバーに?)、この最後の何日間かは二人はその反目ぶりを隠そうともしなかったという。クルーパは何のセレモニーもなく退団し、国中の新聞がこの事件を報道したという。
| Band leader & Drums | … | ジーン・クルーパ | Gene Krupa | ||||||
| Trumpet | … | デイヴ・シュルツ | Dave Schultze | 、 | トム・ディカーロ | Tom DiCarlo | 、 | トム・ゴンソウリン | Tom Gonsoulin |
| Trombone | … | ブルース・スクワイアーズ | Bruce Squires | 、 | チャールズ・マカミッシュ | Charles McCamish | 、 | チャック・エヴァンズ | Chuck Evans |
| Alto Sax | … | ジョージ・シラヴォー | George Siravo | 、 | マレイ・ウィリアムズ | Murray Williams | |||
| Tenor Sax | … | カール・ビーサッカー | Carl Biesacker | 、 | サム・ドナヒュー | Sam Donahue | |||
| Piano | … | ミルトン・ラスキン | Milton Raskin | ||||||
| Guitar | … | レイ・ビオンディ | Ray Biondi | ||||||
| Bass | … | ホレス・ロリンズ | Horace Rollins | ||||||
| Vocal | … | レオ・ワトソン | Leo Watson |
"Tutti frutti"は「熟れた果実」とか「砂糖漬けの果実」いったような意味で、このタイトルで何といっても有名なのは、ロックンロールの大スター、リトル・リチャードのナンバーであろう。勿論こちらの方が先である。アンサンブルで始まり、直ぐにレオ・ワトソンのヴォーカルとなる。ワトソンはどちらというとキャブ・キャロウェイ系の歌手なのであろう。ソロはTsとTpが取っている。 因みに日本のミュージシャン細野晴臣氏のアルバム「Vu Ja De」に収録されているのは、このジーン・クルーパの方のナンバーである。細野さん、シブいね、こういうの聴いてるんだね。
Tsのイントロからアンサンブルとなる。ソロはTs、アンサンブルを挟んでTp、P、再びTp、そしてクルーパのドラミングで終わる。スインギーなナンバー。
| Band leader & Drums | … | ジーン・クルーパ | Gene Krupa | ||||||
| Trumpet | … | チャールズ・フランクハウザー | Charles Frankhauser | 、 | レイ・キャメロン | Ray Cameron | 、 | トム・ゴンソウリン | Tom Gonsoulin |
| Trombone | … | ブルース・スクワイアーズ | Bruce Squires | 、 | ダルトン・リゾット | Dalton Rizzotto | 、 | トビー・タイラー | Toby Tyler |
| Alto Sax | … | ボブ・シュナイダー | Bob Snyder | 、 | マスキー・ルフォ | Musky Ruffo | |||
| Tenor Sax | … | サム・ムジカ― | Sam Musiker | 、 | サム・ドナヒュー | Sam Donahue | |||
| Piano | … | ミルトン・ラスキン | Milton Raskin | ||||||
| Guitar | … | レイ・ビオンディ | Ray Biondi | ||||||
| Bass | … | ホレス・ロリンズ | Horace Rollins |
Trumpet … デイヴ・シュルツ、トム・ディカーロ ⇒ チャールズ・フランクハウザー、レイ・キャメロン
Trombone … チャールズ・マカミッシュ、チャック・エヴァンズ ⇒ ダルトン・リゾット、トビー・タイラー
Alto Sax … ジョージ・シラヴォー、マレイ・ウィリアムズ ⇒ ボブ・シュナイダー、マスキー・ルフォ
Tenor Sax … カール・ビーサッカー ⇒ サム・ムジカ―
以外は7月19日と同じ。
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