本名:ジェラルド・ジョゼフ・マリガン(Gerald Joseph Mulligan)
1927年4月6日ニューヨーク州クイーンズ・ヴィレッジ生まれ。
1996年1月20日コネチカット州デリエンにて死去。
1940年代後半からフィラデルフィアで活動を開始する。
18歳でニューヨーク進出し、ジーン・クルーパ楽団の作・編曲者として名を上げた。
後にギル・エヴァンスとの出会いをきっかけにクロード・ソーンヒルのビッグ・バンドに籍を置いたが、
48年マイルス・デイヴィスの9重奏団に参加、『クールの誕生 (Birth of Cool)』において、
バリトン・サックスの演奏の他、「ジェル」「ミロのヴィーナス」などの作曲などで脚光を浴びる。
その他モダン・ジャズ・ビッグバンドの代表的存在であるスタン・ケントン・オーケストラにも編曲を提供した。
1952年、カリフォルニア州に移り、トランペットのチェット・ベイカーらと画期的なピアノレス・カルテットを結成し、
このカルテットはわずか1年間の活動であったが、大いに注目を集めた。
マリガン・カルテットのデビュー・アルバムである『Gerry Mulligan Quartet』は、大きなヒットとなった。
マリガンはウエストコースト・ジャズの中心的人物として西海岸に拠点を置きつつ、ベン・ウェブスター、デイヴ・ブルーベック、
セロニアス・モンク、ズート・シムズらと交流を深めていった。
1956年、ニューヨークに戻り、セロニアス・モンク等と共演。
1958年には、映画『私は死にたくない』の映画音楽を担当し出演もしている。
1963年にはアート・ファーマーらをメンバーに招き、リーダー作『ナイト・ライツ (Night Lights)』を発表。
1950年代のプログレッシブな作品とは異なった静謐なスタイルが貫かれており、代表作の一つとなる。
1970年代、当時イタリアを活動拠点にしていたバンドネオン奏者のアストル・ピアソラと意気投合、競演作『Summit』を制作した。
72年からはフリーランサーとして活動し、78年ビッグ・バンドを結成て来日した。
1980年代に入るとフュージョン色の強い音楽性を指向するようになり、『リトル・ビッグホーン (Little Big Horn)』などの
フュージョン・アルバムを発表するようになる。
1947年のジーン・クルーパの録音に名前が見える。
"Gene Krupa/Drummin' man"(Columbia C2L 29)