本名:ニコライ・エル・ミシェル(Nicolaiih El-Michelle)
1998年4月5日モンタナ州ビュート生まれ。(1900年4月5日カリフォルニア州プエンテ生まれという記載もあり。)
1976年10月3日ニューヨークにて死去。
ジェームズ・リース・ヨーロッパの第15ニューヨーク州兵バンドのメンバーとなり、その後1917年にフランスでヨーロッパの第369米歩兵バンドに所属した。
戦後は、ニューヨークのフランク・ダムロッシュ音楽院でチェロを学び、後にフィレンツェの聖セシリア音楽院とローマ大学で学んだ。
1921年、フィラデルフィアでサム・ウッディングとボビー・リーのバンドに参加した。
1920年代後半には、ロンドンとパリをツアーしたリュー・レスリーのブラックバーズショーに参加した。
1930年頃、彼はヨーロッパでインターナショナル・リズム・エースという自身のバンドを結成し、さらにウッディングとの活動を続けた。
彼らはベルリンで共演し、その後フレミングはジョセフィン・ベーカーの伴奏の仕事に就いた。
フレミングは1930年代末にアメリカに戻り、アール・ハインズと共演1929年から1943年にかけてファッツ・ウォーラーの録音で演奏した。
その後はカリフォルニアに移り、1943年から1949年まで国税庁に勤務したが、『ピロー・トゥ・ポスト』や『ロマンスなんかじゃいられない』など映画にも時折出演した。
1949年ニューヨークへ移住、しばらくはフリーランスとして活動した。
1953年から1958年までヘンリー・レッド・アレンの下で活動した。
1964年にスペインへ移り、マドリード、トレモリノス、マラガでレジデント・アーティストを務めた。
晩年にはイタリアとドイツで活動した後、1976年に米国に戻り、その後間もなく亡くなった。
1942年のファッツ・ウォーラーのレコーディングに名前が見える。
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第5巻/ファッツ・ウォーラー」(RCA RA-23〜27)