本名:ジャン・バプティスト・イリノイ・ジャケー Jean-Baptiste "Illinois" Jacquet
1922年10月31日(10月30日という記載あり)ルイジアナ州ブルーサード生まれ。
2004年7月22日心臓発作にて死去。
父(Gilbert Jacquet)は鉄道員でそこのバンドでベースを弾いていて、そのバンドでたまにプレイしていたという。
彼の兄(Russell)はトランぺッターで、弟(Linton)はドラマーだったという。そして彼自身もその時はアルト・サックスをプレイしていた。
後にブルーサードからテキサスのヒューストンへ移り彼のプロ生活は30年代に始まり、ライオネル・プロクター、ボブ・クーパー、ミルトン・ラーキンス等のバンドで働いた。
41年にフロイド・レイ楽団とともにウエスト・コーストへ移った。そこでNat King Coleと知り合い、偶にそのバンドに加わって演奏していた。
Coleがライオネル・ハンプトンへ紹介し、ハンプトンからアルトからテナーへ移るように言われたようだ。
そしてそこでレコーディングした「フライング・ホーム(Flying home)」でのソロが有名になった。
その頃はいわゆるホンキング・テナーを演奏していたらしい。
43〜44年はキャブ・キャロウェイ、45〜46年はカウント・ベイシー楽団に加わっていたが、その後自身のバンドやJ.A.T.P.の一員として広く地方を巡演し、
その高音を連発するプレイスタイルは喝采を浴びた。
粟村氏によると「彼のテナーをこき下ろす人は多いが、彼もまたジャズ・テナー史上に残る名手の一人」と高く評価している。また、先ほどのハンプトン楽団での「フライング・ホーム(Flying home)」のヴァ―サタイルなソロは、この曲の演奏におけるテナーソロの一つに原型になったと評価している。
”Charles Mingus/The young rebel”(PROPERBOX 77)
「MCAジャズの歴史」(MCA VIM-19)
"Nat Cole at JATP"(VSP/VSPS-14)
"Dexter Gordon/Kind of Gordon"(House of jazz 220156)
"Charlie Mingus/The Young Rebel"(Properbox 77)
「カウント・ベイシー/1939−1951」(CBS 77-78)
"The Basie special"(Everybodys EV-3004)
「ビリー・ホリデイの魂」(Verve MV 4025)
"Billie Holiday/Live and private recordings in Chronological order"