フルネーム:ジョン・ジョーゼフ・ケルソン・ジュニア(John Joseph Kelson Jr.)
1922年2月27日カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。
2012年4月28日カリフォルニア州ロスアンゼルスにて死去。
『ジャズ人名辞典』未収録。
8歳でクラリネットのレッスンを始め、コーギー・ロバーツに師事した。
15歳の時高校の同級生チコ・ハミルトンにアルト・サックスを勧められ、
同年ジェローム・マイアートと共にプロデビューを果たした。
高校を卒業する頃には、ハミルトン、バディ・コレット、チャールズ・ミンガスと共にクラブで演奏していた。
1940年代にはバーニー・ビガード、マーシャル・ロイヤル、ラッキー・トンプソン、キッド・オリー、
ベニー・カーター、ベニー・グッドマン、ライオネル・ハンプトンらと共演した。
1942年10月にマーシャルとアーニー・ロイヤルと共に海軍に入隊し、キャンプ・ロバート・スモールズでの訓練後、
セント・メアリーズ・カレッジのスクールバンドに配属された。
1950年代にはジョニー・オーティス、ビリー・ヴォーン、ネルソン・リドル、ビル・ベリー、レイ・アンソニー、
ボブ・クロスビー、デューク・エリントンとも共演した。
1958年にジーン・ヴィンセント・アンド・ヒズ・ブルーキャップスに加入し、ヒット曲『セイ・ママ』、
『シー・シーリトル・シーラ』『アクセンチュアテ・ザ・ポジティブ』などの録音に参加した。
1964年から1984年までスタジオ・ミュージシャンとして活動し、マーサー・エリントンらと録音を行い、
ハンプトン、エリントン、ヴォーンと共に世界中をツアーし、『The Concert for Bangladesh』にも出演した。
1984年に音楽から半分引退しましたが、1995年にカウント・ベイシー・オーケストラで復帰、
1998年からはレギュラーとなった。
ライオネル・ハンプトンの1947年の録音に名前が見える。
"Lionel Hmpton/Hampton"(Master of Jazz R2CD 8017)