前回は1927年6月10日に行われたシカゴにおける最後の録音を取り上げた。僕の持っている音源の次は、1928年6月なので約1年後の録音になる。大きく異なるのは、シカゴからニューヨークに移ったことだろう。
1927年6月10日の吹込み後もモートンは“Red hot peppers”を率いてカナダなど各地で演奏活動を行っていたようである。RCAのモートンのボックスの解説には、「1928年2月モートンは、レコーディングで名を売った“Red hot peppers”の楽団名を使ったバンドを組織し、ニューヨークに向かった。途中各都市を巡演し好評を得たが、ニューヨークに入って間もなく解散した」とある。パーソネルが記載されていないので、27年のレコーディング後率いていた赤唐辛子楽団と1928年2月に組織した赤唐辛子楽団が同じか異なるのかは、現在のところ不明である。
続いてRCAのボックス解説では「モートンのレコーディングは、ニューヨークに到着後も続き、ヴィクターはそれまでの好評に応え1928年専属契約をモートンと交わした。それから1930年10月までモートンの録音は続けられることになる」とあるが、1927年6月10日のレコーディングの後、モートンのレコーディングは、歌手のフランシス・ヘアフォード(Frances Hareford)とTp奏者ジョニー・ダン(Johnny Dunn)の伴奏バンドに加わったのみで、どちらも自身名義の録音ではなく吹込み先もヴィクターではない。1927年6月10日のヴィクターへの吹込みがよほど好評だったのだろうか?
ニューヨーク入りしたモートンがなぜそれまでの「赤唐辛子楽団」を解散したのか記載は無く、また前後の関係もよく分からないが、ともかくヴィクターはモートンの吹込みを決定した。しかし「赤唐辛子楽団」は解散しており、バンドはない。そこで1928年6月11日のセッションのメンバーの大部分は、「ローズ・ダンスランド」の専属ピアニストであるチャーリー・スキート(Charlie Skeete)のバンドメンを集めて行われた。その後モートンはこのバンドをスキートに代わって引き受け、ローズ・ダンスランド」に出演するようになる。
ニューヨーク進出後の初リーダー・セッションだけに、オリジナル赤唐辛子楽団に負けないだけのモートン・ミュージックの実力を発揮した演奏に仕立て上げている。なおこのメンバーのオマー・シメオンは当時ルイ・ラッセル楽団に在団していたが、モートンの要請によって特別参加となった。
| Piano & band leader | … | ジェリー・ロール・モートン | Jelly Roll Morton |
| Trumpet | … | ウォード・ピンケット | Ward Pinkett |
| Trombone | … | ギーチー・フィールズ | Geechie Fields |
| Clarinet | … | オマー・シメオン | Omer Simeon |
| Banjo | … | リー・ブレア | Lee Blair |
| Tuba | … | ビル・ベンフォード | Bill Benford |
| Drums | … | トミー・ベンフォート | Tommy Benfort |
| Record3.A-1. | ジョージア・スイング | Georgia Swing stomp |
| Record3.A-2. | カンサス・シティ・ストンプス | Kansas City stomps |
| Record3.A-3. | シュー・シャイナーズ・ドラッグ | Shoe shiner’s drag |
| Record3.A-4. | ブーガブー | Boogaboo |
| Record3.A-5. | シュレヴポート | Shreveport |
| Record3.A-6. | シュレヴポート | Shreveport |
| Record3.A-7. | モーンフル・セレナーデ | Mournful serenade |
ガンサー・シュラー氏は、1927年から1929年の間に20数面分の録音がなされたが、それらのどれも1926年の完成度に達していないと書いている。その中でA-1[ジョージア・スイング・ストンプ]、A-2[カンサス・シティ・ストンプス]はそれなりの出来映えを示しているとしているが、大半の曲はモートンの個性をとどめず、珍奇な黒人音楽やその時代の通俗音楽だったという。レコードの解説もこの2曲がニューヨーク時代の最高作であるとする。しかし以前も記したようにここでも低音部にチューバを用いたことは破壊的な影響を及ぼしたと書いている。
僕が感じるのは、これらの演奏は「聴ける」ということである。それはテーマはニュー・オリンズ伝統の集団即興ぽかったりするのだが、ソロは基本リズム・セクションをバックに行われており、モートンにおいては「ソロ」の概念が成立していたことを示唆していると思われるのである。演奏自体は古めかしい部分もあるが、基本体裁は現代のジャズと同様だからである。
A-1.ジョージア・スイング
曲は、ニューオリンズの白人Tb奏者サントス・ぺコラの<シーズ・クライング・フォー・ミー>のメロディーをモートンが書き直したもの。ニューヨークのミュージシャンもモートンの指導力のもと完全なモートン・ミュージックを展開している。アンサンブル、それを支えるリズムも非常に良い。特にラスト・コーラスは逸品である。
Tpのピンケットは、モートンが起用しただけあって抑えの効いた奏現と言い、適切なテンポの持って行き方といい、ミッチェルの代理を申し分なく務めている。彼はシカゴのサウス・サイドからニューヨークに出てきていて、モートンがくる以前からチャーリー・スキート楽団に在籍していたプレイヤーであるという。僕はバンジョーのリー・ブレアがいい味を出していると思う。メロディ・ラインの切れた合間に挿入するフレーズは絶妙だと思う。
A-2.カンサス・シティ・ストンプス
モートンのオリジナル。適度なミディアム・テンポにより前曲同様このセッション中最良の出来を示している。アンサンブル、ソロともに充実しており、エンディングの扱いも工夫を凝らしたものとなっている。僕はバンジョーのリー・ブレアのソロも面白いと思う。
A-3.シュー・シャイナーズ・ドラッグ
これもモートンのオリジナル。最初は「ロンドン・ブルース」というタイトルが付けられていたという。シメオンのソロは抜群のうまさであり、Tp、Tbのミュート・プレイも好演である。チューバのリズムを効果的に使いながらも、フロント・ラインの対位的な進行によるアンサンブルには一貫した流れがあり快適な演奏となっている。なぜか音圧が低いが、モートン自身のソロもストライドとも異なり、現代に通じるようなプレイである。
A-4.ブーガブー
これもモートンの作。レコード解説は、ここでもモートンはリズムの強弱のはっきりした動きを最大限に強調し、レイジーな全体のムードを掘り下げているとしている。
A-5,6.シュレヴポート
これもモートンのオリジナル。Cl、P、Dsによるトリオで演奏され、A-5がテイク1、A-6がテイク2でオリジナルである。
レコード解説では、中間のモートンのソロ・パート以外はシメオンを中心とする三者が一体となった演奏を展開する。軋るようなトーンを使いながら奔放にプレイするシメオンに対し、モートンはそれこそピッタリと付けているのである。ラスト近くのシメオンによるClブレイクの部分がどういう訳かDsのバックが中途半端な付け方をしているのが気になるとしているのに対し、シュラー氏は前時代の行進曲風なラグタイムへ戻るものであるとし、当時としては派手な曲で、その格好良さの一端は、二人の奏者が元々はB♭であるが、D7/Gmin/E7/A/G♭/D♭などのように小節ごとに急激に和声を転換して、強引に転調を重ねるコーラスに由来していると述べ、さらにこれは20年代にジャズ音楽家たちが新機軸の手法としてやり始めた、調性の中心を旋回して演奏していくスタイルであり、今日では「二人でお茶を(Tea for two)」などで行われているという。いずれにせよ当時としては斬新な演奏であったろう。
A-7.モーンフル・セレナーデ
モートンの作となっているが、実際はキング・オリヴァーの「チャイムズ・ブルース」を書き直したものに過ぎないという。シュラー氏は、キング・オリヴァーの「チャイムズ・ブルース」の世紀末的雰囲気に敬意を表したものと好意的である。
前曲のトリオにTbのギーチー・フィールズが加わったカルテットでの録音で、シュラー氏もスモール・コンボにおける最高傑作はこの曲にとどめをさすと評価している。
またこの作品は1926年の最良の録音と同じように入念なやり方で計画が練り上げられ演奏された。まずはモートンが、ドラムスのみに伴奏されて曲の気分を確定させる。次いでこの確定された気分を完璧に支えるClとTbのコーラスが続く。次いでモートンは時計の針を数年逆に巻いて、キング・オリヴァーの「チャイムズ・ブルース」の世紀末的雰囲気に敬意を表すのだが、これが次のコーラスを却って引き立てる役目を果たすことになる。そのコーラスでは、ClとTbがオルガンのような持続音でモートンを伴奏する。最後のコーラスで、一挙にポリフォニーに移行する。4人の音楽家の相互演奏があり、ダブル・タイムの楽句があちらこちらに登場し、モートンの3度の鮮やかな右手の素早い動きが突然出現する。ポリフォニーは驚異的なほどに明確である。これらすべてがこの曲を小さな傑作としている。
タイトル通り悲しみに打ちひしがれた哀愁を漂わせた曲想が全体を覆い、単純なブルースであるが、数年後エリントンが「ムード・インディゴ」で完成することになるムードの種類の音楽である。エリントンがこの曲を知っていてその楽想の一部を敷衍した可能性さえ無くはないとはシュラー氏の弁である。
アクセントを付けたモートンのP、そしてうめくようにブルース・フィーリングをたたえたCl、耐えるがごとく哀しみを内に秘めたようなTbいずれも見事な表現力である。PソロからそのバックをCl、Tbによるハーモニーが実に美しい彩りを添える。ラスト・コーラスの絡みも最上のムードを醸し出し、モートン全盛期の最後を飾る作品となっている。ギーチー・フィールズは余り名前の知られていないTb奏者であるが、この日は好調だったようだ。
シュラー氏は、この曲はA-5or6[シュレヴポート]とレッド・ホット・ペッパーズとしては最後期の録音としてカップリングで世に出るのだが、ペッパーズはそれまで傑出した成果は何一つ生み出していなかったが、この二つの曲はモートンのスタイルの幅の広さを示すだけでなく、この幅を使いつくす見事な手腕を示していると締めている。
| Piano & band leader | … | ジェリー・ロール・モートン | Jelly Roll Morton | |||
| Trumpet | … | エドワード・アンダーソン | Edward Anderson | 、 | エドウィン・スワイジー | Edwin Swayzee |
| Trombone | … | ウィリアム・カトー | William Cato | |||
| Clarinet & Alto sax | … | ラッセル・プロコープ | Russell Procope | |||
| Soprano sax | … | ポール・バーンズ | Paul Barnes | |||
| Tenor sax | … | ジョー・ガーランド | Joe Garland | |||
| Banjo | … | リー・ブレア | Lee Blair | |||
| Tuba | … | ウィリアム・“ベース”・ムーア | William “Bass”Moore | |||
| Drums | … | マンジー・ジョンソン | Manzie Johnson |
| Record3.B-1. | レッド・ホット・ペッパー | Red hot pepper |
| Record3.B-2. | ディープ・クリーク | Deep creek |
前回6月11日のセッションの後、モートンは正式に「ローズ・ダンスランド」のバンド・リーダーとして雇われる。そのためにその時のレギュラー・メンバーによって行われたのが本録音である点がこれまでと異なり、バンド名も「ジェリー・ロール・モートン・アンド・ヒズ・オーケストラ」と変わる。
但しレギュラーのW・ピケットは都合で参加できず、その代わり臨時に雇われたのがE・アンダーソンであった。またこのバンドのレギュラーのドラマーはT・ベンフォードであるはずなので、M・ジョンソン説に疑問を持つ研究家もいる。いずれにしてもこのパーソネルはモートン自身、及びこのセッションに参加したサイドメンたちに行ったインターヴューによって明らかにされたもので、まず間違いないであろう。
B-1.レッド・ホット・ペッパー
モートンの作。編成を拡大したことにより、モートンの目指したビッグ・バンド・アレンジがより一層明確となっている。ソロはスワジー(Tp)、モートン、プロコープ(Cl)、ガーランド(Ts)、アンダーソン(Tp)と続く。
B-2.ディープ・クリーク
これもモートンの作でブルースである。イントロ、エンディングに挟まれたアンサンブルとソロは一つの主題とその変奏で成り立っており、モートンの作品としては珍しく単純な構成となっている。ソロ・オーダーは、アンダーソン、カトー(Tb)、バーンズ(Ss)、モートン、プロコープ(Cl)。
1928年末には巡業のためのビッグ・バンドを結成し、ニューヨーク、ペンシルヴァニア、ピッツバーグ、ボルティモア、そしてオハイオなどを回ったというが、そのビッグ・バンドというのが本B-1〜2と同様のメンバーかどうかは不明である。
どうもガンサー・シュラー氏などには、B面の2曲など無視されているし評判がよろしくない様子である。しかしそれぞれのソロなどをよく聴いてみると「傑出した」とは言えないかもしれないが、それなりに工夫もあり「聴くに堪ええる」出来映えと思う。僕がレベルが低いのであろうか?
お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。