モートンは1939年12月14、16、18日の3日間をかけてマイナー・レーベルであるゼネラル・レコードにピアノ・ソロとヴォーカルの吹込みを行う。この後モートンは、年が変わった40年1月に同じくゼネラル・レコーズにヴィクターの時から少しメンバーを変えたオール・スター・コンボによる演奏をレコーディングする。こちらの音源はイギリス・ヴォーグ・レコーズから出ているようだが、僕は保有していない。因みにゼネラル・レコードは1946年に経営破綻したのか歴史を閉じる。
その後の消息は詳しくは分からないが、1940年7月NBC放送のショウ番組"The chamber music of lower Basin street"にゲストとして招かれレギュラー・ミュージシャンと共演した時の演奏が彼の残した最後の演奏となる。またモートンは、スモール・コンボを率い活動を行うが、先ほども記したようにビッグ・バンド全盛の中での経営は難しく失敗に終わったという。モートン自身も健康を害しバンドは解散してしまう。そんな中彼の名付け親であるユーラリー・エコー夫人危篤の知らせを受け取ったモートンは、1940年暮にロサンゼルスに向かう。しかし残念ながら夫人は亡くなり、残された盲目の義父(ユーラリー・エコー夫人の夫)の面倒を同地で看ることにした。
ロサンゼルスでモートンは、義父の面倒を見ながら音楽会社を興し、またスモール・グループを率いるなどして再度再起をはかったが、1941年初めには自身の健康が悪化し、断念せざるを得なくなった。そして6月には私立療養所に入ったが、すぐに家に戻ってしまった。しかし心臓疾患と喘息はますます悪化し、同年7月10日ロサンゼルス地方総合病院で、帰らぬ人となった。享年55歳と10か月であった。
「ジャズ・クラシックス・オブ・ジェリー・ロール・モートン」ボックス解説の大和明氏は、モートンの生涯を次のように結んでいる。
ジェリー・ロール・モートンの生涯は、音楽の世界における偉大なる創作活動と共に、賭博、酒、女、そして放浪に明け暮れ、傲慢なほどの尊大さとコンプレックスを併せ持った矛盾に満ちた人生であった。まさにそれは波乱に富んだ人生だったと言えよう。そうした中での音楽に対する自信と情熱こそ彼の存在を後世に伝え、ジャズ史における不滅の輝きとなったのである。
前回取り上げた左のレコードには、1940年7月ラジオ番組のために録音されたナンバーが1曲収録されている。フライングして取り上げよう。僕の持っているモートンの音源はこれが最後となる。
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