ジェリー・ニューマン(録音家)

Jerry Newman (Recording expert)

ジェリー・ニューマン

本名:ジェローム・ロバート・ニューマン Jerome Robert Newman
1918年8月24日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。
1970年1月ニューヨークにて死去。

ジャズ史に大変重要な役割を果たしたがミュージシャンではないためか『ジャズ人名辞典』には収録されていない。
彼が行ったことについて僕の知る限り最も詳しく記載しているのは、ロビン・ケリー著『セロニアス・モンク』(シンコーミュージック)である。以下要約すると
彼はコロンビア大学のジャズ好きの学生で、大学のマーチング・バンドでトロンボーンを吹いていた。そして彼は録音したものをアセテートのディスクに直接カッティングできる「ウィルコックス・ゲイ・レコーディオ」(Wilcox-Gay recordio)という持ち運びできる「ディスク・カッター」を持っていた。この機械は12インチのアルミ基板のアセテート盤にカッティングするもので、それまでの10インチ78回転盤は3分しか録音できなかったが、この12インチ盤は33.3回転で片面約15分の録音が可能だった。
最初は単なる趣味で、ラジオ番組や、ミュージシャンたちの非公式なセッションを録音していた。そんな中でホレス・ヘンダーソン楽団の歌手デューク・グロナーと知り合う。そのグロナーがニューマンを「ミントンズ」に連れて行くのである。
そのころニューマンがよく皆を喜ばせていた”芸”があった。それは自分が個人的に録音した有名人合わせて口パクでしゃべることで、フランクリン・ルーズヴェルト大統領やボブ・ホープなどを演じていたという。その内に彼のこの芸は、「ミントンズ」や「クラーク・モンローズ・アップタウンハウス」のフロア・ショウの人気演目となる。このニューマンへの報酬が「ミントンズ」や「クラーク・モンローズ・アップタウンハウス」で音楽を録音することを許可するというものだった。
ニューマンはアセテート盤の他に、プラスチックでコーティングされたもっと安価な「紙」の盤にも録音を行い、それを販売したりミュージシャンに上げたりしていた。この安価盤は耐久性には劣っていたが、多くのミュージシャンは自分の演奏が聴けることをありがたがり、特にまだレコーディングをしたことがない若手ミュージシャンには喜ばれたという。
またニューマンは、1941年2月仲間たちとコロンビア大学内でラジオ・クラブを作り、学生寮内でジャズの放送を開始した。6月ないしは7月彼らは「ミントンズ」で演奏されている音楽を学内ラジオ聴取者たちに紹介することを企画した。すなわちハウス・バンドの演奏を幾つか録音し、丘を駆け上ってアセテート盤を運び、まるでミントンズでライヴを聴いているかのように、その晩キャンパスで再生したのである。聴衆はミントンズでたまたま居合わせた客とコロンビア大学の学生たちで、彼らはミントンズの現場を雰囲気をそれらしく再現するために、聴こえる程度の声でおしゃべりしたり、曲が終わるたびに熱狂的に拍手したという。
この後こうした録音のいくつかをニューマンはヴォックス(VOX)・レーベル、自身のレーベル、エソテリック(Esoteric)・レーベルで発表した。
彼のこれらの録音が重要視される訳は、ビ・バップの温床と言われた「ミントンズ」や「クラーク・モンローズ・アップタウンハウス」における後にビ・バップの重要な立役者となるミュージシャンの録音を捉えていたことが挙げられる。殊に1941年のチャーリー・クリスチャンやセロニアス・モンク等の録音は極めて貴重である。
しかし1941年12月彼は兵役に取られ、プライヴェイト・レコーディングは終わりを告げます。

レコード・CD

「チャーリー・クリスチャン・アット・ミントンズ」(Columbia SL-5001-EV)
"Harlem Odyssey"(Xanadu 112)
"Hot Lips Page/After hours in Harlem"(Onyx records 207)

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