1895年4月23日ルイジアナ州ニューオリンズ郊外の生まれ。
1944年4月19日カリフォルニア州ロスアンゼルスにて死去。
シドニー・ベシエと共にクラリネットを始め、フレディ・ケパードのバンドに加入した。
ケパードがシカゴに行ってしまうとニューオリンズに残り自分でバンドを率いたりしていたが、
17年ケパードに呼ばれシカゴに移り、彼のオリジナル・クレオール・バンドに参加し各地を巡業した。
巡業の後一旦ニューオリンズに戻ったが、キング・オリヴァーに招かれ再びシカゴに向かった。
1920年ドク・クックのバンドに加わり、しばらくはダンス音楽をプレイしていた。
その間フランツ・シェップ教授に学んだりしていたが、その後オリー・パワース楽団に入り始めてレコーディングを経験した。
パワースが死去したため、そのバンドを引き継ぎ出演していたクラブ「エイベックス・クラブ」の名を取り、エイベックス・クラブ・オーケストラを組織した。
このバンドにアール・ハンズを加え、アルト・サックスも加えた一風変わったバンドを組織し人気を呼んだ。
彼の演奏も評判となりベニー・グッドマンをはじめ多くのジャズ・ミュージシャン、さらにはモーリス・ラヴェルなどクラシックの人々も聴きに来たという。
このハインズを擁した「エイベックス・クラブ・オーケストラ」の演奏はデッカから「ジミー・ヌーンとアール・ハインズ」というタイトルで出ていたという。
その後メンバーも変わり、主にシカゴで活動を続けていたが、時代はスイング時代となり人気も衰え31年バンドは解散した。
キャブ・キャロウェイなどビッグ・バンドから誘いもあったが、好きなコンボでの演奏をあきらめきれずカリフォルニアに移住し地味に活動をしていたという。
44年ニューオリンズ・リヴァイバルで再び脚光を浴び、キッド・オリィのバンドで演奏した。
そのバンドはオーソン・ウエルズが務めるラジオ番組で一時特集を組まれるなど注目を集めたが、
ほどなく突然の心臓発作のため亡くなったという。
粟村政昭氏によれば、ヌーンはドッズと並びニューオリンズはクラリネットの大立者一人であったが、
ドッズの影響があくまでディキシーの世界にとどまったのに対して、ヌーンの影響は圧倒的な大きさでスイング以降のジャズ界を支配した。
それはヌーンが持っていた美しい音色、高度のテクニック、豊かな歌心によるもので、ヌーンを抜きにして後のBG以下のスイング・クラリネット奏者たちの誕生は考え難い。
彼はメロディーを美しくストレートに歌い上げ、アンサンブルに見事なカラミを付けることを得意とした。
”King Oliver's creole jazz band/The complete set”(RTR 79007)
“Jimmie Noone 1923-1928”(The chronogical classics 604)
"Archive of Jazz/Freddie Keppard"(BYG 529.075)
「ルイ・アームストロング傑作集 第3集」(Odeon OR-8004)
「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)
“The recordinngs of Jimmie Noone 1934−1943”(JSP Records 926A CD4枚組)
“Jimmie Noone / Apex club blues”(AFS 1023)
”Jimmie Noone Vol.1”(Classic jazz masters CJM 29)
「ジョニー・ドッズ&ジミー・ヌーン/ビッグ・ソウル・クラリネット」(MCA-3077)