フルネーム:ジェイムズ・ピーター・ジュフリー(James Peter Giuffre)
1921年4月26日テキサス州ダラス生まれ。
2008年4月24日マサチューセッツ州ピッツフィールドにて死去。
ダラス工業高校とノース・テキサス州立教育大学(ノース・テキサス大学音楽大学)を卒業した。
ウディ・ハーマンのビッグ・バンドの作・編曲家として、知られるようになった。
特に"Four brothers"が有名。
キャリアを通じて、創造的でユニークなアレンジを書き続け、西海岸ジャズとクールジャズの中心人物だった。
1951年ショーティ・ロジャースやシェリー・マンとともにハワード・ラムゼイのライトハウス・オールスターズのメンバーとなった。
ロジャースと作った"Big boy"は、ロサンゼルスで瞬く間にヒットした。
1953年9月にバンドを脱退し、ショーティ・ロジャースのバンドに加わった。
その後ギターのジム・ホール、ベースのラルフ・ペーニャとトリオを組んだ。
その後ベース奏者が脱退すると、バルブ・トロンボーンのボブ・ブルックマイヤーを起用した。
この珍しい楽器編成は、アーロン・コープランドに部分的に触発されたものだという。
1959年ギターのホールとベーシストのバディ・クラークを加えたトリオでイタリアのローマでコンサートを開催した。
1961年ピアニストのポール・ブレイとベースのスティーブ・スワローと新しいトリオを結成し、主にクラリネットを演奏した。
このグループは活動中はほとんど注目されなかったが、後にアルバート・アイラーやアーチー・シェップのようなアグレッシブな形ではなく、
室内楽に近い静謐なフリー・ジャズを探求したことで、ジャズ史上最も重要なグループの1つと言われる。
しかしこの斬新なグループは経済的には、全くの失敗で解散する外なかったという。
1970年代初頭、ベーシストの徳永清とドラマーのランディ・ケイと新しいトリオを結成した。
1970年代はニューヨーク大学に雇われ、ジャズ・アンサンブルの責任者となり、サックスと作曲の個人レッスンを行った。
またマンハッタン・ビル大学ではジャズの即興演奏を教えた。
1990年代に入ってもブレイとスワローとトリオを復活させるなど活動を続けた。
そして1990年代半ばまで、ニュー・イングランド音楽院で教鞭をとっていた。
しかし後パーキンソン病を患い、晩年は演奏をしなくなっていた。
2008年4月24日、マサチューセッツ州ピッツフィールドで肺炎で亡くなった。
1947年のレッド・ノーヴォの録音に名前が見える。
「キャピトル・コレクターズ・アイテム」(ECJ-50077)