ジミー・ヤンシー 1939年

Jimmy Yancey 1939

「ブギ・ウギー」の誕生物語については油井正一氏が『生きているジャズ史』に書いている。それによると1920年前後、アメリカの産業構造が変わりというか軍港都市ニューオリンズでの規制強化によって、シカゴに大量の黒人たちが移住して行く。このことはニューオリンズ・ジャズに関してキング・オリヴァーやルイ・アームストロングに関連して何度も触れてきた。
人種的に差別されている黒人は、シカゴに来ても決められた黒人居住地区に住むことが決められていた。一定区域に住む住民が増えれば、「需要供給の法則」に基づき、貸家の家賃はどんどん値上がりしていく。そしてとうとう、収入に比して家賃の占める割合が増えて行き、普通の労働賃金だけでは、家賃が支払えないほどになる。そこでサウス・サイドの黒人たちは、家賃パーティー(ハウス・レント・パーティー)というものを開きいくばくかの利益を得、家賃を支払うということを頻繁に行うようになったという。入場料は当時のお金で50セント、これは主催者側の収入、お客はそれぞれサンドイッチなどの食べ物、ジンなどのアルコール飲料を持参し夜中騒ぎ散らかすという寸法です。
このパーティーに入場も払わず、食べ物も飲み物も持って来ないくせに歓迎される客がいた。その名はジミー・ヤンシー。彼は不思議なスタイルのピアノを弾いたのだが、当時そのスタイルに名前はなかった。これがのちに「ブギ・ウギ―」として全世界に知られるようになったスタイルであるという。
ヤンシーは、子供のころからヴォードヴィルで歌ったり、タップを踊ったりしていた寄席芸人でしたが、25歳の時(『ジャズ人名辞典』では31歳)芸人家業を辞め、地元野球チームであるホワイト・ソックスのグランド・キーパーをして亡くなるまでの30年間を過ごした。彼の妻はエステラ・ママ・ヤンシーと呼ばれるブルース・シンガーで勤務の余暇に頼まれれば、夫婦でブルース演奏をした。一生のうち一度としてコンサートのステージを踏むことなく一労働者としての生活を過ごしたヤンシーは、自宅にピアノを持っていなかった。さらにピアノは全くの独学でレッスンさえ受けたことが無かったと油井氏は書いている。
このように油井正一氏は、ブギー・ウギー・ピアノの創始者であり、生涯プロとして活動したことがない幻のピアニストとして紹介している。どうも油井氏の記述を見ると「ヤンシー=美しきアマチュア精神」ということしたいような意図が感じられる。そもそもブギー・ウギーのような独特のスタイルは、ヤンシー一人で生み出されたものではないのである。彼の演奏を今日聴くとブギー・ウギーというよりも、ハバネラ的な要素の方を強く感じる。
実際彼の名が知られるようになったのは、1935年彼を崇拝する同じブギー・ウギー・ピアニストのミード・ラックス・ルイスが彼の名を取ったナンバー「ヤンシー・スペシャル」を吹込んでヒットさせ、38年にはボブ・クロスビーのバンドが吹き込んでヒットさせたことによってであった。そして彼はずっとシカゴのレント・ハウス・パーティーで活躍してきたが、この年初めてレコーディングを行ったのである。

<Date & Place> … 1939年10月5日 シカゴにて録音

<Personnel> … ジミー・ヤンシー(Jimmy Yancey)

<Contents> … "The piano blues of Jimmy Yancey"(Swaggie 824)&「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ/クラシック・ジャズ・ピアノの精髄」(RCA RA-28)

A面1.ヤンシー・ストンプYancey stomp
A面2.ステイト・ストリート・スペシャルState street special
A面3.テル・エム・アバウト・ミーTell 'em about me
A面4.ファイヴ・オクロック・ブルースFive O’clock blues
A面5.スロウ・アンド・ステディ・ブルースSlow and steady blues
A面6.ザ・メロウ・ブルースThe mellow blues
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ/クラシック・ジャズ・ピアノの精髄」レコード・ボックス

「ヤンシー・ストンプ」
12小節のブルースが12コーラスに渡って変奏される。基調は8ビートで、左手のパターンはミードやアルバート・アモンズによって繰り出されるようなパターンではないが、しっかりとブギーを感じさせるフォーマットである。この繰り返しこそ、明らかに黒人音楽の本質ではないかと思う。
「ステイト・ストリート・スペシャル」
この曲では左手のパターンが自在に変化するようだ。解説氏は、アフリカに発しアフロ・キューバン音楽に残存する、長短自在のビートの面影を見ることができるとしている。
「テル・エム・アバウト・ミー」
ヤンシーのごく初期の作品という。ダンス用ブルース・ピアノという感じだ。
「ファイヴ・オクロック・ブルース」
ヤンシーの全作品中最も有名なナンバー。明け方5時になってパーティーのクロージング・テーマとして決まって演奏したという。この左手のパターンがハバネラのリズムなのだという。このパターンはジェリー・ロール・モートンなどにもよく聴かれるという。このパターンはミード・ラックス・ルイスの「ヤンシー・スペシャル」にも用いられている。
「スロウ・アンド・ステディ・ブルース」
これは左手のパターンがブギーっぽくなく、通常のピアノ・ナンバーというという感じである。
「ザ・メロウ・ブルース」
こちらも前曲同様だが、左手はハバネラのパターンを取りながら変奏しているようだ。こういう自在なリズム変奏こそ黒人の強みなのだろう。

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