ジョー・キング・オリヴァー 1927年

Joe "King" Oliver 1927

ザ・プランテーション・ジャズ・バンド 1926年

オリヴァーにとってこの1927年という年はターニング・ポイントになった年だと思われる。それは1926年9月17日に吹き込んだ「サムディ・スィートハート」が大ヒットとなり、キング・オリヴァーの人気はかなり高まっていた。そんな順風の中で迎えた1927年だが、この年の暮れには凋落の兆しが見え始めるのである。
ニュー・ヨークにある白人専用クラブ「コットン・クラブ」のハウス・バンドのリーダーが亡くなり替わりのバンドを探していた。経営者のオウニー・マッデンはシカゴを本拠地とするギャングで、ニューヨークの人間を全く信用せず、女の子はともかく従業員は全てシカゴから呼び寄せていたという。このことは柴田浩一氏の『デューク・エリントン』で知った。そこでシカゴの人気バンドであるオリヴァーのバンドに白羽の矢が立つ。しかしそれをオリヴァーは断ってしまう。そこで店側はハウス・バンドを募集しオーディションが行われるのである。そこにうまくデューク・エリントンのバンドを押し込んだのがマネージャーのアーヴィング・ミルズだった。このことはエリントンの1927年の項で詳しく述べるが、こうしてハウス・バンドの座を射止めたエリントンは安定した収入を得ながら独自のサウンド作りに専念していくのである。
ではなぜオリヴァーは「コットン・クラブ」専属契約を断ったのだろうか?柴田氏はギャラが安かったため降りたという説を紹介している。しかし僕は違う話を読んだ気がする。当時の「コットン・クラブ」の出演料は、その時代としては高い方だった。しかしオリヴァーにしてみれば「安」かったのである。
僕はこの話を何で読んだか全く思い出せないでいる。以下は僕の記憶である。違っていたらゴメンナサイ。出所或いは間違いを発見したら訂正アップをします。

ある時キング・オリヴァーとそのバンドにあるプロモーターから大きなコンサート企画が持ち込まれる。ギャラは一晩1,000ドル。確か週休800ドルの「コットン・クラブ」に比べて好条件であるが、人気絶頂のキング・オリヴァーとそのバンドならなくもない条件である。「よっしゃ、いっちょういい演奏を聞かせていいギャラをもらおう」とオリヴァー以下メンバーは張り切って演奏し、観客も大いに湧く。演奏が終了し、プロモーターの下へギャラをもらいに行くとあろうことかプロモーターは煙のごとく消え去っていた。そればかりではない。会場側が会場使用料をもらっていない、費用はバンドから貰えと言われているから払え、払わないと全員ブタ箱入りだぞと脅されるのである。詐欺である。
今よりも黒人の地位の低かった当時ブタ箱に入ってしまったら、その後どうなるか分からない。当然メンバーはギャラを我慢し、オリヴァーは何とか工面して金を払うのである。
後は「負の連鎖」である。借金を抱えたオリヴァー当然一発逆転を狙う。ワン・ナイターで儲けようとするのである。クラブのハウス・バンドなどでチマチマ稼いでいる場合ではないと考える。そこがまた詐欺師の狙い目となってしまうのである。もちろんまともなプロモーターによるコンサートもあったのだろうが、演奏技術は卓抜だが、人の好いオリヴァーは詐欺師団の餌食になっていき、バンド・メンバーにギャラは払えずバンド及び自身もボロボロになっていったという。
この話が一体どのような時系列で進行していったのかは記載がなく、本録音にどのような影響を及ぼしたかは不明であるが、二代目”ジャズ王”の凋落は「コットン・クラブとの契約辞退」の理由にかかわりあっているとすれば、時期的にはこの録音辺りが該当すると思えるのである。

「King Oliver/Dixie Syncopators 1926-1928」レコード・ジャケット

<Date & Place> … 1927年4月22日と27日 シカゴにて録音

<Personnel> … キング・オリヴァーズ・ディキシー・シンコペイターズ(King Oliver's dixie syncopators)

Cornetジョー・キング・オリヴァーJoe “King” Oliverチック・グレイTick Gray
Tromboneキッド・オリーKid Ory
Soprano & Alto sax & Clarinetオマー・シメオンOmer Simeon
Alto sax不明Unknown
Clarinet & Tenor saxバーニー・ビガードBarney Bigard
Pianoルイ・ラッセルLuis Russell
Banjoバッド・スコットBud Scottorジョニー・サンシールJohnny St. Cyr
Tubaローソン・ビュフォードLawson Buford
Drumsポール・バーバリンPaul Barbarin

<Contents> … CD…”King Oliver/Sugar foot stomp”( Decca GRD-616)&レコード…”King Oliver's Dixie Syncopators 1926-1928”(MCA-1309)

A面6、CD-12.ドクター・ジャズDoctor jazz4月22日
A面7、CD-13.ショウボート・シャッフルShowboat shuffle4月22日
A面8、CD-14.エヴリー・タブEvery tub4月22日
B面1、CD-15.ウィリー・ザ・ウィーパーWillie the weeper4月22日
B面2、CD-16.ブラックスネイク・ブルースBlack snake blues4月27日
「King Oliver's Dixie syncopators」CD・ジャケット

A面6、CD-12.ドクター・ジャズ
この曲はオリヴァー自身の作であるが、録音は先にジェリー・ロール・モートンとホット・レッド・ペッパーズによって1926年に行われている。このエピソードについては「ジェリー・ロール・モートン 1926年」に記載した。つまり翌年録音は行っていたが40年以上たって初めて世に披露された演奏である。
短いビガードのTsによるイントロに始まり、目まぐるしくオリー、シメオン、ラッセル、オリヴァー自身のソロが現れるが、バッキングは付いたりブレークだったり変化に富む。僕にとっては同じように目まぐるしいモートンの「ブラック・ボトム・ストンプ」が大傑作と言われるのに対してこの曲への言及は少ないように思われる。それはなぜなのだろうか?レベルが落ちるのだろうか?複雑にすればよいというものでもないということかな?
A面7、CD-13.ショウボート・シャッフル
オリヴァーとバーニー・ビガードの共作。チューバのビュフォードをフューチャーしている。ソロのバックの区切り方など変わっている。
A面8、CD-14.エヴリー・タブ
オリヴァーとドラムのポール・バーバリンの共作。コルネットがテーマを吹奏し、テナー、アルト・サックス、トロンボーンとソロらしくないソロが続きアンサンブルが入り、アンサンブルをバックにコルネットが吹奏するが、何と自身無げな吹奏か?
B面1、CD-15.ウィリー・ザ・ウィーパー
約2週間後の5月7日にルイ・アームストロングもホット・セヴンで吹き込んでいる。バンジョーのサンシールは両吹込みに参加している。サンシールの後のコルネットはオリヴァーであろうが、ルイの自信満々のプレイとは比較するとかなり格落ちの感じがしてしまう。
B面2、CD-16.ブラックスネイク・ブルース
ゆったりとしたブルースである。イントロの後色々な楽器が登場した後、ソロ・スペースとなりコルネット、クラリネット、トロンボーンと続きアンサンブルとなる。

「King Oliver's Dixie syncopators」CD

<Date & Place> … 1927年11月18日 ニュー・ヨークにて録音

<Personnel> … キング・オリヴァーズ・ディキシー・シンコペイターズ(King Oliver's dixie syncopators)

Cornetジョー・キング・オリヴァーJoe “King” Oliverジミー・アーチ―Jimmy Archey
Tromboneポール・バーンズPaul Barnes
Soprano & Alto sax & Clarinetオマー・シメオンOmer Simeon
Clarinet & Tenor saxバーニー・ビガードBarney Bigard
Piano不明Unknown
Banjo不明Unknown
Tuba多分ローソン・ビュフォードLawson Buford
Drums多分ポール・バーバリンPaul Barbarin

僕の持っている音源は一挙に11月18日まで飛ぶ。そして録音はニュー・ヨークで行われている。デューク・エリントンが「コットン・クラブ」にデビューするのが12月4日である。オリヴァーが、「コットン・クラブ」出演契約を断った辺りの録音であろうか?
ともかくTbのキッド・オリー、Bjのサンシールは付いて来ずルイのバンドのシカゴに残ったので、メンバー・チェンジが行われている。

<Contents> … CD…”King Oliver/Sugar foot stomp”( Decca GRD-616)&レコード…”King Oliver's Dixie Syncopators 1926-1928”(MCA-1309)

B面3、CD-17.ファーウェル・ブルースFarewell blues
CD-18.ソビン・ブルースSobbin’ blues

師粟村政昭氏『ジャズ・レコード・ブック』によれば、ニューヨーク時代のオリヴァーのレコードには傑作が少ないと言われる。それは歯を痛めたオリヴァーが余りソロを取らなくなったことが原因。そしてさらに時代が進みバンドの編成が大きくなっているのにそれを律しきれずに終わったリーダーのコンセプションの問題が大きいと記載している。確かにこの2曲においてオリヴァーは全くソロを取っていない。
全体に感じることは、よく分からない演奏だなということである。すでにニューオリンズ・スタイルとは言えない演奏だと思うが、もちろんスイングという感じでもない。だから過渡期ということになるだろうか。僕にはあまり面白い演奏とは感じられない。特にオリヴァーのプレイはどうも自信というものが感じられない。かつて本当になみいるTp奏者を吹き負かし「2代目ジャズ王」と祭り上げられたのだろうかと疑問に思ってしまう。

このWebサイトについてのご意見、ご感想は、メールでお送りください。

お寄せいただいたご意見等は本文にて取り上げさせていただくことがあります。予めご了承ください。