ジョー・キング・オリヴァー 1928年

Joe "King" Oliver 1928

ザ・プランテーション・ジャズ・バンド 1926年

ニュー・ヨークの高級クラブ、「コットン・クラブ」での専属契約を断ったオリヴァー率いるディキシー・シンコペイターズは、この年ワン・ナイターでの公演に明け暮れていたのであろう。契約を断られた「コットン・クラブ」には、デューク・エリントンが専属バンドとして入ることになる。定収入を得られることになったエリントン達は、落ち着いて新しいサウンドづくりに邁進していくことになる。
歌手でジャズ研究家でもある丸山繁雄氏はこう書く「後からオーディションに参加したワシントン出身の青年、デューク・エリントンが、活きのいい上質の演奏で仕事をかっさらっていった。オリヴァーはこの仕事を失った後、転落の一途をたどる。あらゆるチャンスに見放されて、不況の南部をドサ周りをした挙句、演奏体力も衰え、メンバーにも見放され、最後はビリヤード小屋の小使いにまで身をやつし、1938年無一文で脳溢血で死んだ。(中略)残酷なことではあるが、筋金入りのニュー・オリンズ・ジャズ・マンであるジョー・キング・オリヴァーの勝ち目はとうになかったのである。ルイの抜けたバンドにバーニー・ビガード、アルバート・ニコラスを補強し、ニューヨークに打って出たオリヴァーのバンドの音楽は、すでにニュー・ヨークでは受け入れられることが無かった。ジャズのスタイルがすでにニュー・オリンズから徐々にニューヨーク・スタイルというものへ移行しつつあった」と。
オリヴァーの録音はこの年それなりの数が行われたようであるが、女性ブルース・シンガーの伴奏なども行っていたようである。

「King Oliver/Dixie Syncopators 1926-1928」レコード・ジャケット

<Date & Place> … 1928年6月11日 ニュー・ヨークにて録音

<Personnel> … キング・オリヴァーズ・ディキシー・シンコペイターズ(King Oliver's dixie syncopators)

Cornetジョー・キング・オリヴァーJoe “King” Oliver
Tromboneジミー・アーチ―Jimmy Archey
Clarinet & Alto saxアーネスト・エリオットErnest Elliott
Clarinet & Tenor saxアーヴィル・ハリスArville Harris
Pianoクラレンス・ウィリアムスClarence Williams
Banjoルロイ・ハリスLeroy Harris
Tubaサイラス・サン・クレアCyrus St. Clair

<Contents> … ”King Oliver/Sugar foot stomp”(Decca GRD-616)&”King Oliver's Dixie Syncopators 1926-1928”(MCA-1309)

CD-19.ティン・ルーフ・ブルースTin roof blues
CD-20.B面4曲目ウエスト・エンド・ブルースWest end blues
CD-21. スィート・エマリナSweet Emmalina
CD-22. B面5曲目レイジー・ママLazy Mama
「King Oliver/Sugar foot stomp」CD・ジャケット

ティン・ルーフ・ブルース
ジ・オリジナル・メンフィス・ファイヴのオリジナルでゆったりとしたブルース・ナンバー。白人ディキシー・バンドのナンバーを取り上げるのは珍しいのではないか。クラレンスのブルージーなピアノに始まり、オリヴァー、ジミーのトロンボーン、どちらかのクラリネットとソロが続くが、オリヴァーのソロはどうも展開がなくあまり面白くない。
ウエスト・エンド・ブルース
これもゆったりとしたブルース・ナンバー。ルイ・アームストロングの全生涯における最高傑作として有名になったが、作はオリヴァーでこちらが本家である。オリヴァーのソロに始まるがどうもメロディーを多少崩す程度で、他のメンバーのソロに比べても展開がパッとしない。このあと17日後にルイが吹き込むわけだが、比べてみればオリヴァーの完全な力負けである。オリヴァーは、ルイの演奏を聴いてどう思ったろうか?
スィート・エマリナ
ウキウキするような陽気なナンバー。ヴォーカルはピアノのクラレンス・ウィリアムス。
レイジー・ママ
ミディアム・スローのテンポでオリヴァーのソロもたくさんあるが、それほど心惹かれるものはない。CDにはこの曲以降の収録はない。

「King Oliver's Dixie syncopators」レコードB面

<Date & Place> … 1928年9月10、12日 ニュー・ヨークにて録音

<Personnel> … キング・オリヴァーズ・ディキシー・シンコペイターズ(King Oliver's dixie syncopators)

Cornetジョー・キング・オリヴァーJoe “King” Oliverエド・アンダーソンEd Anderson
TromboneJ.C.ヒギンボッサムJ.C.Higginbotham
Clarinet & Alto saxオマー・シメオンOmer Simeon
Clarinet & Tenor saxバーニー・ビガードBarney Bigard
Pianoルイ・ラッセルLuis Russell
Banjoウィル・ジョンソンWill Johnson
Tubaベース・ムーアBass Moore
Drumsポール・バーバリンPaul Barbarin

<Contents> … ”King Oliver's Dixie Syncopators 1926-1928”(MCA-1309) ニューヨークにて録音

B面6.スピークイージー・ブルースSpeakeasy blues9月10日
B面7.ハガーおばさんのブルースAunt Hagar’s blues9月10日
B面8アイム・ウォッチン・ザ・クロックI'm watchin’the clock9月12日

次の録音は3か月後の9月10日となる。
スピークイージー・ブルース、ハガーおばさんのブルース、アイム・ウォッチン・ザ・クロック
この3曲を聴いて驚くことは、オリヴァーが見違えるようなプレイをしていることである。どちらかと言えば狭い音域で無難なソロの展開をしていたオリヴァーが、高音・低音を自由奔放に行き帰するソロを展開し出すのである。いったい何があったのだろう?何もなかったのかも?でも何かが無くてはここまで変われないのではないかと思う。またまた穿ちすぎかもしれないが、僕がふと思ったのは、弟子ルイ・アームストロングの存在ではないだろうか?これまで目をかけて育ててやったルイが、自分の作品をもとに目もくらむばかりのプレイを展開し大評判を取っているのである。「おい、奴は俺の弟子だ」と思ったかもしれない。本気で吹けば俺の方が上だとも思ったろう。もちろんこれは僕の空想であるが、オリヴァーの変化は明らかなのである。一皮も二皮もむけた力強いプレイに驚かされる。
もしオリヴァーの変化が弟子ルイへの対抗意識からだったとすれば、ここでもまたルイはジャズの歴史を動かしたといえる。因みにトロンボーンのヒギンボッサムの豪放なプレイが良い。

そして僕が持っているキング・オリヴァーのレコード、CDはここまでである。ディスコグラフィーを見ると、「キング・オリヴァーズ・ディキシー・シンコペイターズ」の録音は1928年11月14日が最後である。ではその後オリヴァーはどうしたのであろうか?これもディスコグラフィーを見ると、1929年から31年まで「キング・オリヴァーズ・オーケストラ」を率いてヴィクターやヴォカリオンなどに録音を残している。しかし僕はこれまでこの「キング・オリヴァーズ・オーケストラ」名義のレコード、CDというのを見たことが無い。ディスク・ユニオンやJazz東京辺りでも見たことが無い。もちろん僕がうっかり見落としているだけかもしれないが。
師粟村政昭氏は「時代が進みバンドの編成が大きくなっているのに、それを律しきれなかった」と書いている。ではなぜバンドの編成を大きくしたのだろうか?自分を追い落としたエリントンへの対抗心かそれとも単純にスイング時代の到来を感じ対応するためだったのか?
オリヴァーが編成を大きくした「オーケストラ」の演奏を聴いてみたいとは思う。あまり高くなく僕にでも入手可能な金額で見つかれば今後購入し、オリヴァーの欄を継続したいと思う。

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