ジョン・ルイス (ピアノ)

John Lewis(Piano)

ジョン・ルイス

1920年5月3日イリノイ州ラグランジ生まれ。
2001年3月29日ニューヨークにて死去。

ニュー・メキシコ州のアルバカーキで育つ。音楽的な家庭環境のもと7歳でピアノを習い始めた。
ニュー・メキシコ大学時代は人類学と音楽を専攻していた。
42年〜45年11月まで兵役に服し、その間ケニークラークと知り合い、除隊後クラークの勧めでニューヨークに出た。
ニューヨークではディジー・ガレスピーのバンドに参加、ピアニスト兼編曲者として活躍、
同時にマンハッタン音楽院に学んでいる。
47年9月ガレスピーのカーネギー・ホール・コンサートで初演された「トランペットとオーケストラのためのトッカータ」はルイスの最初の大作である。
ルイスはこの後ガレスピー・バンドとヨーロッパ楽旅を行い帰米後はレスター・ヤング、チャーリー・パーカーらと共演、
48年9月のマイルス・ディビス9重奏団にも加わって編曲を提供した。
1952年にはMJQ(Modern Jazz Quartet)を正式に結成した。
以後ルイスの作曲、演奏活動はMJQを中心に行われることとなるが、ガンサー・シュラーとともに意欲作もしばしば発表、
ニュー・ヨーク・ブラス・クインテットと共演して話題を呼んだ。
ルイスはレノックスのミュージック・インで講座を持ち、58年以降モンタレー・ジャズ・フェスティヴァルの音楽監督を務めたり、
「オーケストラUSA」を主宰するなど精力的な活動を行った。
ルイスの作品のほとんどがMJQによってレコーディングされている。
「ジャンゴ」、「フォンテッサ」をはじめ映画「大運河」(ロジェ・バディム監督)、「拳銃の報酬」の音楽など、
その作曲家としての天分を発揮している。
また66年には母校マンハッタン音楽院の理事となり、数多いヨーロッパ楽旅経験を生かし、アルバート・マンゲルスドルフ、
ザグレブ・ジャズ・カルテット、ミリエンコ・プロハスカなどヨーロッパの新鋭を発掘、世界に紹介した。
彼のクラシック趣味は、そのアカデミックな経歴とともに嫌味なものとして、取り沙汰されることもあるが、
僕個人としてはそういったところもあるが、素晴らしい作曲能力とシングル・トーンを生かした小気味よいピアノを大変気に入っている。
その代表作は「東経2度、西経3度」だろう。
かの岩浪洋三氏などは、知られていないがブルースを弾かせたら彼ほどうまいピアニストはいないとまで言っている。
また、秋吉敏子を陰に表に支援してくれたことも有名である。
よくクラシックかぶれと揶揄されることの多いルイスだが秋吉氏の著「ジャズを生きる」を読んだはたと気づくことがあった。
と言っても秋吉氏がその通りに書いていることなのだが、彼はジャズのクラシック化を図っているわけでもなんでもない、
もし取り入れることができるものがあればジャズにドンドン取り込んでジャズをより一層豊かなものにしたいというのがルイスの願っていることだという。
だからジャズ異質なもの、日本人の感性で作られたジャズなどを積極的に応援したのだという。
彼は1994年敏子の結婚25周年パーティで「敏子は日本の文化をジャズに取り入れてくれた」と感謝したという。
確かにオーネット・コールマンも彼がいなかったら今のように大物と評価を受ける前に飢え死にしていたのではないか。
根っからジャズが好きで、大事にしている男であった。
ディジー・ガレスピーの1946年の吹込みに名前が見える。

レコード・CD

「ディジー・ガレスピー/シングス・トゥ・カム」(Columbia YW-7534-EV)
"Dizzy Gillespie/Professor bop"(Atlantis ATS-11)
"Dizzy Gillespie/Groovin high"(Savoy MG-12020)
"Charlie Parker/The complete Savoy studio sessions"(SJL 5500)
「ザ・イモータル・チャーリー・パーカー」(Savoy MG-12001)
「チャーリー・パーカー・メモリアル」(Savoy MG-12009)
"Charlie Parker/A Studio choronicle"(JSP RECORD JSP915)
"Diz'N'Bird in concert"(Roost LP 2234)
"Dizzy Gillespie at the Downbeat club"(Jazz guild 1010)
"Dizzy Gillespie/Dizziest"(Bluebird 5785-1-RB)
「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ/スイングからバップへ」(RCA RA-100)
「ディジー・ガレスピーとビ・バップ・イーラ」(RMP-5119)