自身音楽家でもあり評論家でもあるガンサー・シュラー氏は次のように述べる。
「大転換の年1929年に、ジャズにおいてたくさんのものが消滅し、たくさんのものが誕生した。ドッズは、より高度なソロのスタイルが登場し、そして同時に生じたアンサンブル演奏衰退の犠牲になり始めた。多くのミュージシャンと同じようにジョニー・ドッズは忘れられ、20年代のジャズへの彼の格別な貢献は後の世代のミュージシャンたちに利用されなくなった」と。
1929年が「大転換の年」であるというのはどういうことだろうか?シュラー氏は説明していないが、9月に巻き起こった「大恐慌」のことだろうか?ともかく僕の持っているドッズ名義のレコードは、今回の1929年初めに行われた録音以後は、1938年のニューオリンズ・ジャズ・リヴァイヴァルまでない。ディスコグラフィーを見ても同じで、29年初頭以降38年まで録音は見当たらない。
| Clarinet & Band leader | … | ジョニー・ドッズ | Johnny Dodds |
| Trumpet | … | ナッティ・ドミニク | Natty Dominique |
| Trombone | … | オノレー・デュトレー | Honore Dutrey |
| Piano | … | リル・ハーディン・アームストロング | Lil Hardin Armstrong |
| Bass | … | ビル・ジョンソン | Bill Johnson |
| Washboad | … | ベイビー・ドッズ | Baby Dodds |
| A面5曲目 | ペンシル・パパ | Pencil Papa | 1月30日 |
| A面6曲目 | スィート・ロレイン | Sweet Lorraine | 1月30日 |
| A面8曲目 | マイ・リトル・イザベル | My little Isabel | 1月30日 |
| A面7曲目 | ヒー・ミー・トーキン | Heah' me talkin’ | 2月7日 |
| B面1曲目 | グッバー・ダンス | Goober dance | 2月7日 |
| B面2曲目 | ツゥ・ナイト | Too night | 2月7日 |
| B面3曲目 | インディゴ・ストンプ | Indigo stomp | 2月7日 |
1月30日の録音をA面の5、6曲目とA面8曲目、2月7日の録音をA面7曲目とB面1〜3曲目と分散させた理由は不明であるが、レコード会社のプロデューサーはこの並びの方がよいと考えたのだろう。
今回の録音でも、ビル・ジョンソンのベースがビンビン響き、曲によってはウォーキング・ベースのようなプレイをしていて、そこのところは極めて斬新である。しかしベビー・ドッズのウォッシュボードが余り効果的とは思えない。もしシカゴアンズのように、フルセットのドラムを持ち込んで叩いていたら、革命的なレコードとなっていたかもしれない。
A-5.ペンシル・パパ
ゆったりとしたアンニュイな感じのするナンバー。ナッティのTpソロ、続くドッズのClソロが聴き応えがある。ブレークでTb、ジョンソンのBの短いソロが入る。このベースも当時としては斬新である。
A-6.スィート・ロレイン
1928年に作られ今も演奏されることがあるいわゆるスタンダード・ナンバー。多分当時のヒット曲を演奏したのであろう。イントロなど工夫の跡がうかがえる。Tb、TpそしてClとソロが続く。そしてニューオリンズ・スタイルの合奏となりエンディングに向かう。
A-8.マイ・リトル・イザベル
ポップな曲調で、ナッティがテーマをリードし、ドッズのClソロ、合奏ナッティ、ドッズ、オノレ―、ハーディングの短いソロの交換があり合奏からエンディングに向かう。
A-7.ヒー・ミー・トーキン
ゆったりとした曲で、どことなくハッピーな雰囲気が漂う。ニューオリンズ・スタイルの合奏が中心で、こういう演奏はお手のものだったろう。
B-1.グッバー・ダンス
ピアノとベースの低音とホーン系の掛け合いのようなイントロが印象的。低音部を使ったりとドッズの工夫されたClソロが素晴らしい。
B-2.ツゥ・ナイト
この曲でも、ブレークによる各楽器のソロ回しが聴かれる。ことにトロンボーン、ベースが印象に残る。
B-3.インディゴ・ストンプ
高音部を使った後低音部を強調し、さらに高音部を使ったりとドッズは力演を聴かせる。
| Clarinet | … | ジョニー・ドッズ | Johnny Dodds |
| Piano | … | 多分ジミー・ブライス | Jimmy Blythe |
| Guitar | … | 不明 | Unknown |
| Vocal | … | 不明 | Unknown |
冒頭にも記したが、これで僕の持っているドッズの20年代の録音は底をついた。
本によれば、1929年10月24日のアメリカ経済の破綻により、暗く厳しい不況の時代「大恐慌」時代が訪れる。その最も深刻な影響を被ったのがジャズ・ミュージシャンだったという。郷里ニュー・オリンズを後にし、シカゴで花を咲かせたクラリネットの名手ジョニー・ドッズもこの流れから逃れることは出来なかった。1938年ニューオリンズ・ジャズのリヴァイヴァル・ブームまでドッズはタクシーの運転手として家族を養っていくと『ジャズ人名辞典』にはあるが、息子の証言によるとドッズはタクシー会社を経営していたのであり、生活が苦しいというわけではなかったという。