1924年8月20日ニュー・ジャージー州ベヨンヌ生まれ。
2010年6月28日ニュー・ヨーク、グレートネックにて白血病で死去。
最初の夢は作家になることだったという。
1942年7月、17歳でデューク・エリントン楽団で歌ったことがあるという。
ウィルバーフォース大学で学んだ後、1944年に再びエリントン楽団に加入し、1946年にリチャード・ギルメノットと結婚するために脱退するまでエリントンと活動した。
エリントンのお気に入りの歌手の一人だった。エリントンは、自伝で約2ページに渡って紹介している。
「A列車で行こう」の歌詞を作るほどの才女だったという。
エリントン楽団への入団のきっかけは、1941年デトロイトのパラダイス劇場に出ていたエリントンを彼女が訪ね、歌詞を作った「A列車で行こう」を聴いてもらったことだった。
これをエリントンが気に入り、加入するように誘った。
そして彼女が卒業する1942年6月に加入した。
加入してツアーに帯同したが、当時はレコーディング・ストのため初吹込みは1944年の「アイム・ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト」である。
「デュークは少なくとも年に1回は仕事の依頼をしてきた」とシェリルは語っている。
彼女はエリントンとともに"A Drum Is a Woman"(1957年)のテレビ放送に携わり、1962年にはベニー・グッドマンとともにソ連ツアーを行った。
1965年のアルバム"Joya Sherrill Sings Duke"には、エリントンのメンバーがサポート出演している。
1970年から、子供向けテレビ番組"Time for Joya"の司会を務めた。
彼女は70年代の終わり近くにニューヨークで歌手として再デビューしたという。
"The Duke"(History 2041551-302)
「黄金時代のデューク・エリントン 第3集」(Victor SHP-5656-M)
"The Duke Ellington Carnegie hall concerts December 1944"(Prestige P-24073)
"The Duke Ellington Carnegie hall concerts January 1946"(SMJ-9522〜3M)