本名:ウィリアム・リトル(William Little)
1912年11月6日ミズーリ州カンザス・シティ生まれ。
1991年12月18日イリノイ州シカゴにて死去。
『ジャズ人名辞典』未収録。
幼い頃に家族と共にシカゴに移り、ウォルター・ダイエットのもとで音楽を学んだ。
1930年代初頭にシカゴ音楽院で学位を取得し、その10年間はシカゴのダンスバンドで演奏していた。
1938年頃、そのグループのバンド・リーダーとなり、アメリカ各地をツアーし、
サヴォイ劇場や65クラブなどで定期的に演奏を続けた。
1939年チャーリー・パーカーが彼のバンドで演奏したこともあった。
1943年に別のバンドを結成し、再びアメリカ南部をツアー、1946年まで国内各地、軍基地へのツアーを続けた。
1946年5月、このグループは解散し、ビリー・エックスタインのビッグ・バンドに入った。
しかしエックスタインのバンドはその年に解散したため、1946年末に別のバンドを結成し、1947年5月まで継続した。
ジョン・コルトレーンもこのバンドのメンバーだったという。
バンド解散後、シカゴに戻り、コンボを率いて活動した。
1948年にはソニー・パーカーのバンドで演奏し、オペラ・レーベルでリーダー兼歌手としてレコーディングを行った。
1949年、リッツ・ラウンジで安定した仕事を得て、1951年にはJ.T.ブラウンのバンドで演奏した。
その後も活動を続け、1950年代を通じて各地のホテルやボールルームで定期的に出演していた。
1960年代初頭からは、R&B歌手などのバックを務め、レコーディングも行った。
1961年から1965年まで、マーベロ・レコードのA&R担当者となる一方、ミュージシャンとしても活動を続けた。
1970年8月ルーズベルト・サイクスの録音セッションが最後の録音となった。
1981年頃に引退し、長期間アルツハイマー病に苦しんだ末、1991年シカゴで亡くなった。
デクスター・ゴードンの1946年の録音に名前が見える。
"Billy Eckstine / The Savoy sessions"(SJL 2214)