僕の最も信頼し、勝手に師事しているジャズ評論家粟村政昭氏は、その名著『モダン・ジャズの歴史』をこう書き始めている。
「モダン・ジャズの歴史は、レスター・ヤングとともに始まった。」そのレスター・ヤングの初レコードである。
レスター・ヤングは1934年コールマン・ホーキンスが退団した後乞われて名門フレッチャー・ヘンダーソンの楽団に加入するが、水が合わず退団し、カンサス・シティーに戻っていた。よくカウント・ベイシーの楽団に戻ったという記述がみられるが、ベイシーが自己名義のバンドを率いるのは1935年の暮れ以降で、1935年4月2日にベニー・モーテンが急死するまではモーテンのバンドに戻ってプレイしていたのである。その後色々経緯はあったようだが、1935年暮れにベイシーがバンド“Count Basie and his men”を立ち上げるとそのメンバーとなって活躍する。ベイシー達のバンドが主に演奏していたのはカンサス・シティのリノ・クラブであったが、若きチャーリー・パーカーが忍び込んで、レスターの演奏にシビレていたのはこの頃のことであったろうと思われる。
やがてバンドは、評論家であり、プロデューサーでもあった偉大なジョン・ハモンドに発見され、ニュー・ヨークに進出することとなる。詳しい経緯はベイシーの項に委ねるとして、ニューヨークに行く前に行ったシカゴでの公演の際に、ベイシーのバンドは<ジョーンズースミス・インコーポレイテド>(Jones-Smith incorporated)というバンド名で4面分の録音を行う。それがレスター・ヤングのレコーディング・デビューとなるのである。
| Trumpet | … | カール・スミス | Carl Smith |
| Tenor sax | … | レスター・ヤング | Lester Young |
| Piano | … | カウント・ベイシー | Count Basie |
| Bass | … | ウォルター・ペイジ | Walter Page |
| Drums | … | ジョー・ジョーンズ | Jo Jones |
| Vocal | … | ジミー・ラッシング | Jimmy Rushing |
| CD1-1. | シュー・シャイン・スイング | Shoe shine swing |
| CD1-2. | イヴニン | Evenin' |
| CD1-3. | ブギ・ウギ― | Boogie Woogie |
| CD1-4. | レディ・ビー・グッド | Lady be good |
CD1-1.[シュー・シャイン・スイング]
ホークは、独自の個性を持ったジャズ・インストゥルメントとして、サキソフォンを発見した。それまでの7年の間、たくましくて迫力のある、まるで噛みつくような彼のフレーズは、全てのプレイヤーにとっての判断基準になっていた。グレイト・マスターという評判は、ヨーロッパへの道を彼の前に開いた。ヨーロッパのテナー奏者たちは、クラシックのチェロ奏者がパブロ・カザルスに対するのと同じ畏敬の念を持って、彼を遇した。ホークのプレイには心と耳によって伝えられた、権威というものがあった。その権威はあまねくみんなに浸透していたので、誰であれ、それに挑戦しようとする者は笑止千万と思われていた。
CD1-2.[イヴニン]この録音についてハモンドは、45年後レコード・プロデューサーという職を辞した後にこう言ったという。「それは私にとって唯一の完全な、全く完全なレコーディング・セッションだった」。それがこのレコーディングである。
それにしても『レスター・ヤング』の著者ディヴ・ゲリーという人物は大胆な発言をする人物である。この録音等に関し彼ほど詳細に述べている人物は見当たらないので彼の主張を先ず取り上げよう。その前にデイヴ・ゲリー(Dave Gelly)氏とは、1938年1月生まれのイギリスのジャズ評論家で、自らサックスも吹き放送にも関与している人物のようだ。
SPレコードに溝に刻まれて世界へと送り出されたこのセッションで録音された4曲のうち、「レディー・ビー・グッド」、「シュー・シャイン・スイング」(CDにこのタイトルの曲はない。「シュー・シャイン・ボーイ」という曲をタイトルを変えて録音したという)での演奏を超えるようなレコードを、レスターは残していないと。衝撃的な記載をしている。
次に「大恐慌時代にさえ、どうでもいい音楽が録音されていたのににもかかわらず、1936年のこの時点までレスター・ヤングが録音されなかったことは怒りに値する。1934年あるいは35年に一つでも録音されていれば…」。レスターに関する敬愛の念があふれている。
一体何が違うのだろう。とりわけテクニックのことを度外視すれば、先ずそこにはホット・ファイヴ時代のアームストロングに感じられるのと同じ、生命の迸りと吹き上げてくるエネルギーがある(偶然にも、アームストロングが最初にレコードを出した年齢は同じである)。それは自分の力を知っていて、それを十分にコントロールできる若者の自信と落ち着きがなせる業である。レスターの音、その音のメリハリ、リズムのコントロール、メロディの語り口、それらのいずれをとってもカンサス・シティの頃、既に完全に出来上がっていたものであった。このレコードで、我々は彼の早熟な才能を聴きとることができる。
詳しいレスターの位置づけについてはこれから少しずつ書き加えて行こうと思うが、その歴史的位置づけについて粟村氏は『ジャズ・レコード・ブック』において次のように語っている。他のミュージシャンに比して極めて異例な長文である。
「スイング時代におけるレスターの出現は、おそらく後年のオーネット・コールマンの登場にも比すべき画期的なものであったに違いない。それまでコールマン・ホーキンスに代表されていたテナー奏法−太くたくましいヴィブラート、迫力に満ちたアタックといった特徴に慣れきっていた当時のファンにとってレスターのテナーは正に異質のものであったろう。フランキー・トラムバウアーのC・メロディー・サックスとジミー・ドーシーのアルトに魅かれたというレスターの音は、小さく滑らかであり、しかもほとんどヴィブラートにかけていた。或いは正確には「あとヴィブラート」というべきかもしれないが、こうした音色上での特徴に加えて、リズムへの「乗り」がまたレスター独特のもので、ためにフレーズが予期せぬところでつながったり切れたりし、これが従来のジャズには聞かれなかった新しい「寛ぎ」を生み出した。レスターはまた一聴退屈とも思えるフレーズを吹くことを決して恐れなかった。長く伸ばした同一音の繰り返しの後には必ず躍動するようなフレーズが現われて単調さを救い、凡手が一瞬のうちに絶妙の布石に変わるというスリルを生んだ。こうしたレスター独自の発想法は、後年ソニー・ロリンズに引き継がれてモダン・ジャズの中に再び開花している。
しかしレスターのテナーは同時代のミュージシャンにとっては余りにも新奇に過ぎたと見えて、彼の出現後もホーキンスに連なるテナー・マンたちのプレイには同様の影はなく、その影響力は遠くモダン・ジャズの隆盛期を迎えるまで持ち越された。」