レスター・ヤング 1936年

Lester Young 1936

粟村政昭著『モダン・ジャズの歴史』

僕の最も信頼し、勝手に師事しているジャズ評論家粟村政昭氏は、その名著『モダン・ジャズの歴史』をこう書き始めている。
「モダン・ジャズの歴史は、レスター・ヤングとともに始まった。」そのレスター・ヤングの初レコードである。
レスター・ヤングは1934年コールマン・ホーキンスが退団した後乞われて名門フレッチャー・ヘンダーソンの楽団に加入するが、水が合わず退団し、カンサス・シティーに戻っていた。よくカウント・ベイシーの楽団に戻ったという記述がみられるが、ベイシーが自己名義のバンドを率いるのは1935年の暮れ以降で、1935年4月2日にベニー・モーテンが急死するまではモーテンのバンドに戻ってプレイしていたのである。その後色々経緯はあったようだが、1935年暮れにベイシーがバンド“Count Basie and his men”を立ち上げるとそのメンバーとなって活躍する。ベイシー達のバンドが主に演奏していたのはカンサス・シティのリノ・クラブであったが、若きチャーリー・パーカーが忍び込んで、レスターの演奏にシビレていたのはこの頃のことであったろうと思われる。
やがてバンドは、評論家であり、プロデューサーでもあった偉大なジョン・ハモンドに発見され、ニュー・ヨークに進出することとなる。詳しい経緯はベイシーの項に委ねるとして、ニューヨークに行く前に行ったシカゴでの公演の際に、ベイシーのバンドは<ジョーンズースミス・インコーポレイテド>(Jones-Smith incorporated)というバンド名で4面分の録音を行う。それがレスター・ヤングのレコーディング・デビューとなるのである。
「レスター・ヤング/メモリアル・アルバム」レコード・ジャケット

<Date&Place> … 1936年10月9日 シカゴにて録音

<Personnel> … ジョーンズースミス・インコーポレイテド(Jones-Smith incorporated)

Trumpetカール・スミスCarl Smith
Tenor saxレスター・ヤングLester Young
Pianoカウント・ベイシーCount Basie
Bassウォルター・ペイジWalter Page
Drumsジョー・ジョーンズJo Jones
Vocalジミー・ラッシングJimmy Rushing

<Contents> … 「レスター・ヤング/メモリアル・アルバム」(Epic ECPW-1〜2)& "Hall of fame/Lester Young"(TIM 220149)

CD1-1.シュー・シャイン・スイングShoe shine swing
CD1-2.イヴニンEvenin'
CD1-3.ブギ・ウギ―Boogie Woogie
CD1-4.レディ・ビー・グッドLady be good
「レスター・ヤング/「Hall of fame」CDボックス CD1-1.[シュー・シャイン・スイング]
まず始めに録音したのは「シュー・シャイン・スイング」であった。2テイクあるらしい。曲は「シュー・シャイン・ボーイ」でタイトルだけ変えられたという。ゲリー氏は、レスターの録音の中で、これほど端的に彼の人並み外れた誠実さを著わした演奏はないという。極めて長いがゲリー氏の分析は以下の通りである。
彼のソロはAABA各8小節のコーラスを2回繰り返す64小節であるが、その最初の8小節は、CとFで始まり、オクターヴ下のCとFで終わる。2小節目のD♭とF♯という2つの音を除けば、Fメジャーで素直に吹かれ、譜面に書き取れば、4分音符と8分音符が行儀よく並んだ8小節となる。3連符などは入る余地もない。ハミングすることもいともたやすい。この64小節のソロの間で、これは誓ってもいいが(誓うのはゲリー氏)、レスターが一瞬プレイに間を入れてウィンクしているところがある。D♭からCへにっこりと下げて間を取る3カ所だ。
このからかうようでもあり惑わすようでもある単純なやり方で、他のミュージシャンを狂喜させもしたし、カッとさせもした。カッとなった連中は、大概はサキソフォン・プレイヤーだった。彼らは、それを侮辱と受け取った。装飾的な多様さで勝負していた彼らサキソフォン・プレイヤーたちは、どう楽器を操っていくかもわからずに、ソロになれば主題に少し色を付けてやればいいと思っていたのである。
このレスターの音がサキソフォン界にもたらした興奮を理解するには、かなりの歴史的想像力が必要だ。ヘンダーソン楽団のメンバーだけがパニックに陥ったわけではなかったのだ。最初のレコードが出た時でもあった。レスターの出す音が余りにも人々が予期していたものとはあらゆる点で異なっていたので、お気に召さなかった連中は、その音を冷たいとか逆にウィットに富んでいるとか言って理解した気になっていた。彼の音は冷ややかで、のろのろしていて、時としてガス・パイプから出るような音だった。こうした評価が意味しているのは、レスターの音がコールマン・ホーキンスの音とは違っているということに他ならなかった。
[The alternative Lester] ホークは、独自の個性を持ったジャズ・インストゥルメントとして、サキソフォンを発見した。それまでの7年の間、たくましくて迫力のある、まるで噛みつくような彼のフレーズは、全てのプレイヤーにとっての判断基準になっていた。グレイト・マスターという評判は、ヨーロッパへの道を彼の前に開いた。ヨーロッパのテナー奏者たちは、クラシックのチェロ奏者がパブロ・カザルスに対するのと同じ畏敬の念を持って、彼を遇した。ホークのプレイには心と耳によって伝えられた、権威というものがあった。その権威はあまねくみんなに浸透していたので、誰であれ、それに挑戦しようとする者は笑止千万と思われていた。
ホークのメソッドは、激しく前進的で、テーマの内からハーモニーという果汁の一滴一滴を絞り出してくるものであった。その代わりに代理コードや付加音や経過和音の山を作り上げた。ホークのソロが終わる時、彼がまるでこう言っているように私(ゲリー氏)には聞こえる。「こっちの方がちょっといいだろう。他に何か考えついたかい?」。彼の表現方法の凄味は、単にその幅の広い音によってだけではなく、切り裂くような音の感じによってもあらわされた。それでサキソフォン奏者たちは、ホークの音を刃(エッジ)と呼んだのだ。
対照的に、レスターの音には全くこの刃(エッジ)というものはなかった。それは切るのではなく、漂っていくのだ。あるコメンテイターは、ヴォーカル技法を引合いにだしこう言った。ホークは横隔膜で吹く、それに対してレスターは肺で吹いているように思えると。実際はそうではない。テナー・サックスを吹くにはただ胸の筋肉を使うだけでは音を作り出すことはできない。レスターの音だった、ホークと同じ空気で作られているのだ。「シュー・シャイン・スイング(シュー・シャイン・ボーイ)」を聴けば、その音楽が足元からわき立ってくるかのような印象を受ける。
ホークもレスターも、その出す音は彼らの思想と無縁ではない。後に彼のメロディーについての観念が変わった時、彼の音も変わったのだ。
次に「シュー・シャイン・スイング」にみられる、異なるサウンドを作り出す彼の楽器機能の開発について触れておこう。
フリーク・トーンなどを別にすれば、サックスは2オクターヴ半の音域をもつ。その半分ほどのところでプレイヤーは、オクターヴ・キー(レジスター・キー)を押し、いわばギアを入れ替えるのである。例えば、一番下のDはオクターヴ・キーを抑えないで出し、その上のDは、オクターヴ・キーと共に左のサイド・キーを使って出すのだが(これをオクターヴ・トーンとしよう)、その際オクターヴ・キーを押さないで、同じ指使いで吹くと少し違ったDの音が出る(これをクローズド・トーンとしよう)。この2つを巧みに使うことでレスターは、「ウン・パ」と一つの音を2つの発声で繰り返すことができた。そして、これを「後乗り的リズム感覚」に乗せることによって、マジカルな効果を生んだ。
テナー・サックスという楽器を専門的に学んだプレイヤーは、この違いを排除して均一な音を出そうと努力したが、レスターは専門的に学ばなかったおかげでこれを逆手に使うことができた。彼は低い・クローズド・トーンがホンキング・サウンドになることに注目し、それを効果的な表現手段にしたのだった。「シュー・シャイン・スイング」のソロの1コーラス目の25〜28小節はその一例で、クローズドD(ピアノでは中音階C)と穏やかなB(ピアノではA)を交互に吹くが、ストレスはいつもDにあって、それがソロ全体の緊張度を高めているのである。何度聴いても僕にはよく分からないが。
ホークとの比較も行いながら極めて詳細に分析している。僕にはここまで聴きこむ能力はない。
因みにこの日録音を行った4曲はそれぞれ別テイクがあり、合計8曲の録音を行った。その後別テイクは破棄されたが、後に「シュー・シャイン・スイング」の別テイクだけは発見されて右の海賊版"The alternative Lester"(TAX m-8000)に収録されている。
「レスター・ヤング/メモリアル・アルバム」1枚目A面 CD1-2.[イヴニン]
ジミー・ラッシングのヴォーカル・フューチャー・ナンバー。音数を絞ったようなベイシーのイントロ、ヴォーカルの少し前に出てくるテナー・ソロなどはいかにもレスターらしいゆとりを感じさせる吹奏だと思う。同じ音を連打するペイジのベース・プレイも面白いと思う。
CD1-3.[ブギ・ウギ―]
ベイシーの作でこれもジミー・ラッシングのヴォーカル・フューチャー・ナンバー。ベイシーはこの後デッカでも吹き込んでいる。それにしてもラッシングのヴォーカルは迫力がある。
レスターのソロは、ブルースでは「こんな風に吹くとカッコいいよ」といったのソロのお手本のようなプレイではないか。
CD1-4.[レディ・ビー・グッド]
ガーシュイン兄弟の作。これもベイシーはデッカにも吹き込んでいる。アップ・テンポのスインギーなナンバー。ここでもレスターの64小節に渡るスインギーなソロを堪能できる。

この録音についてハモンドは、45年後レコード・プロデューサーという職を辞した後にこう言ったという。「それは私にとって唯一の完全な、全く完全なレコーディング・セッションだった」。それがこのレコーディングである。
ディヴ・ゲリー著『レスター・ヤング』 それにしても『レスター・ヤング』の著者ディヴ・ゲリーという人物は大胆な発言をする人物である。この録音等に関し彼ほど詳細に述べている人物は見当たらないので彼の主張を先ず取り上げよう。その前にデイヴ・ゲリー(Dave Gelly)氏とは、1938年1月生まれのイギリスのジャズ評論家で、自らサックスも吹き放送にも関与している人物のようだ。 SPレコードに溝に刻まれて世界へと送り出されたこのセッションで録音された4曲のうち、「レディー・ビー・グッド」、「シュー・シャイン・スイング」(CDにこのタイトルの曲はない。「シュー・シャイン・ボーイ」という曲をタイトルを変えて録音したという)での演奏を超えるようなレコードを、レスターは残していないと。衝撃的な記載をしている。
次に「大恐慌時代にさえ、どうでもいい音楽が録音されていたのににもかかわらず、1936年のこの時点までレスター・ヤングが録音されなかったことは怒りに値する。1934年あるいは35年に一つでも録音されていれば…」。レスターに関する敬愛の念があふれている。
一体何が違うのだろう。とりわけテクニックのことを度外視すれば、先ずそこにはホット・ファイヴ時代のアームストロングに感じられるのと同じ、生命の迸りと吹き上げてくるエネルギーがある(偶然にも、アームストロングが最初にレコードを出した年齢は同じである)。それは自分の力を知っていて、それを十分にコントロールできる若者の自信と落ち着きがなせる業である。レスターの音、その音のメリハリ、リズムのコントロール、メロディの語り口、それらのいずれをとってもカンサス・シティの頃、既に完全に出来上がっていたものであった。このレコードで、我々は彼の早熟な才能を聴きとることができる。

粟村政昭著「モダンジャズの歴史」

詳しいレスターの位置づけについてはこれから少しずつ書き加えて行こうと思うが、その歴史的位置づけについて粟村氏は『ジャズ・レコード・ブック』において次のように語っている。他のミュージシャンに比して極めて異例な長文である。
「スイング時代におけるレスターの出現は、おそらく後年のオーネット・コールマンの登場にも比すべき画期的なものであったに違いない。それまでコールマン・ホーキンスに代表されていたテナー奏法−太くたくましいヴィブラート、迫力に満ちたアタックといった特徴に慣れきっていた当時のファンにとってレスターのテナーは正に異質のものであったろう。フランキー・トラムバウアーのC・メロディー・サックスとジミー・ドーシーのアルトに魅かれたというレスターの音は、小さく滑らかであり、しかもほとんどヴィブラートにかけていた。或いは正確には「あとヴィブラート」というべきかもしれないが、こうした音色上での特徴に加えて、リズムへの「乗り」がまたレスター独特のもので、ためにフレーズが予期せぬところでつながったり切れたりし、これが従来のジャズには聞かれなかった新しい「寛ぎ」を生み出した。レスターはまた一聴退屈とも思えるフレーズを吹くことを決して恐れなかった。長く伸ばした同一音の繰り返しの後には必ず躍動するようなフレーズが現われて単調さを救い、凡手が一瞬のうちに絶妙の布石に変わるというスリルを生んだ。こうしたレスター独自の発想法は、後年ソニー・ロリンズに引き継がれてモダン・ジャズの中に再び開花している。
しかしレスターのテナーは同時代のミュージシャンにとっては余りにも新奇に過ぎたと見えて、彼の出現後もホーキンスに連なるテナー・マンたちのプレイには同様の影はなく、その影響力は遠くモダン・ジャズの隆盛期を迎えるまで持ち越された。」

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