デイヴ・ゲリー著『レスター・ヤング』に付いているデータによれば、ここで紹介するアラディン・レコーズへの吹込みが、レスター・ヤング唯一の1942年の吹込みである。
1940年12月13日にカウント・ベイシー楽団を退団したレスター・ヤングは、30歳にして初めてバンド・リーダーとなった。それは6人編成のバンドで、ニュー・ヨークのケリーズ・ステープルズを本拠に据えた。彼の経歴からすれば、レスターはサイドメンではいられず、バンド・リーダーになるしかなかったのである。ところがこの年のレコーディングと言うのは実に数が少ないのである。ビリー・ホリデイのバックを務めたエディ・ヘイウッドのバンドのテナー奏者としての録音しか僕も保有していない。しかし元々レスターという人は、集団のトップに立って、まとめていける人ではないのである。またうまく立ち回ってレコーディングの契約やクラブ出演の仕事を勝ち取るような人でもないのである。バンドは早々に解散し、1941年単身ニューヨークを離れ、ロス・アンゼルスに向かい弟リー・ヤングのバンドに加わる。
レスターと弟のリーは、同じ兄弟でありながら全く似ていなかったという。正反対といってもいいほどだった。リーは、頭がよくて、人付き合いが達者で、威厳があり、ビジネスに長けていた。ジョン・波紋ぢ氏は追想録の中で、リーは「黒人ブルジョアジーの完全な一員だった」とさえ述べているという。ともかくレスター、弟が率いるリー・ヤングズ・エスクワイア・オブ・リズムに約1年間ほどとどまった。
そんな1942年レスターがレコーディング・スタジオに入ったのは、この7月15日のセッションのみである。どのような経緯でこのレコーディングが行われることになったかは不明であるが、ナット・キング・コール(p)、そしてベースのレッド・カレンダー(B)というトリオによる大変興味深い録音が行われた。因みにプロデューサーは、ノーマン・グランツである。彼のキャリアの第一歩に近い当たりの作品ではないかと思う。因みにこの時の録音は理由は分からないが、1945年まで発売されなかったという。
| Tenor sax | … | レスター・ヤング | Lester Young |
| Piano | … | ナット・キング・コール | Nat King Cole |
| Bass | … | レッド・カレンダー | Red Callender |
| CD1-1. | インディアナ | Indiana |
| CD1-2. | 言い出しかねて | I can't get started |
| CD1-3. | 二人でお茶を | Tea for two |
| CD1-4. | ボディ・アンド・ソウル | Body and soul |
まずこの日の録音4曲ともほぼ5分くらいの演奏時間である。SP盤の片面に入ったのであろうか?それともVディスクのようなものだったのであろうか?
『レスター・ヤング』(音楽之友社)の著者デイヴ・ゲリーは、ベイシー楽団のアンサンブルの中で、陽気に弾けていた、エネルギッシュで若々しいサウンドとは打って変わって、憂いに沈んだ放心したような演奏といい、ここから評論家たちが言う、<後期レスター・ヤング>が始まるとしている。確かにそう言われて聴くと全体的にトーンが暗い。