ライオネル・ハンプトン 1940年
Lionel Hampton 1940
この年は前年に次ぐ全6回のセッションが行われ、全25曲が録音された。その全曲が「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ第16巻 ライオネル・ハンプトン/オール・スター・セッション」(RCA RA-90〜95)に収録されている。
<No.17 Session >
<Date&Place> … 1940年2月26日 シカゴにて録音
<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)
<Contents>
| Record5.A-5 | シェイズ・オブ・ジェイド | Shades of Jade |
| Record5.A-6 | ティル・トム・スペシャル | Till Tom special |
| Record5.A-7 | フライング・ホーム | Flying home |
| Record5.A-8 | セイヴ・イット・プレティ・ママ | Save it , pretty mama |
| Record5.A-9 | テンポ・アンド・スイング | Tempo and swing |
この回はベニー・グッドマンの楽団のメンバーを中心に構成されている。僕が意外に感じるのはギターにチャーリー・クリスチャンを起用していないことで、クリスチャンを可愛がっていたと言われるハンプトンらしくない感じがする。
余計なことだが、レコード解説ではアルト・サックスはモンデロの他に「バフ・イースツ」とい名前が記されているが、これは明らかに誤りで、「バフ・エステス(Buff Estes)」である。
Record5.A-5「シェイズ・オブ・ジェイド」
ゆったりとしたナンバーで、合奏が主体でそこにエルマンのTpが絡んでいくような展開である。ソロを取るのはハンプトンとエルマンだがどちらも音数を減らし、深い瞑想的な演奏を行っている。
Record5.A-6「ティル・トム・スペシャル」
BGとハンプトンの共作という。BGは前年クリスチャンを加えたセクステットで盛んに演奏していた。テーマはグレン・ミラーのヒット・ナンバー「ペンシルヴァニア6−5000」のリフと全く同じだが、こちらが先の演奏である。ソロはバッド・ジョンソン(Ts)、ハンプトン、短いモンデロ(As)のソロを挟んでアンサンブルに移る。
Record5.A-7「フライング・ホーム」
ハンプトン楽団のトレイド・マーク的な大ヒット作。アンサンブルからジョンソン(Ts)、ハンプトン、ミュートによるTpソロからアンサンブル・リフでエンディングを迎える。
Record5.A-8「セイヴ・イット・プレティ・ママ」
ドン・レッドマン作の古いナンバーでサッチモの十八番でもあったという。スロウでメロウなナンバーでオダン(P)、モンデロ、エルマン、ジョンソン、ハンプがソロを取る。それぞれ快調だが特にオダンのソロが光っている。
Record5.A-9「テンポ・アンド・スイング」
解説の大和明氏はハンプのオリジナルであろうという。ミディアム・ファーストのスインギーなナンバーで、ソロ回しの曲であろう。前半はザックス陣でテナーとアルトが交互に出てくる。後半はハンプ3コーラスを取りアンサンブルが盛り上げて終わる。
<Date&Place> … 1940年4月6日 ロスアンゼルスからNBCラジオ放送
<Personnel> … ベニー・グッドマン・セクステット(Benny Goodman Sextet)
2月7日からの移動。
Piano … カウント・ベイシー ⇒ ジョニー・グアルニエリ(Johnny Guarnieri)
<Contents> … "Charlie Christian/LIVE"(Jazz Archives JA-23)
A-4.ゴーン・ウィズ・ホワット・ウィンド(Gone with "what" wind)
スタジオ録音の後にラジオ出演した時の音源である。2月7日の再演で、ベイシーとBGのアイディアによって作られた曲というが、ここではピアノがグアルニエリに替わる。ピアノのイントロの後先ずBG、グアルニエリ、クリスチャン、ハンプトン、BGが1コーラスずつソロを取る。演奏は全体に躍動感に富んだ演奏で、最後の活気に満ちたリフが効果的である。特にBGのソロはアイディアも素晴らしく実に聴き応えがある。
<Date&Place> … 1940年4月10日 ハリウッドでの録音
この日はオーケストラにより4曲ほど録音を行っているが、3曲はオクラ入りとなり、1曲は未所有であり、未聴。オーケストラでは
Alto sax … バフ・エステス ⇒ レス・ロビンソン(Les Robinson)
という移動があった。
<Personnel> … ベニー・グッドマン・セクステット(Benny Goodman Sextet)
以外4月6日と同じ。
<Contents> … 「チャーリー・クリスチャン/メモリアル・アルバム」(CBS 56AP 674〜6)
| record2 A-1. | アラビアの酋長 | The sheik of Araby |
| record2 A-2. | プア・バタフライ | Poor butterfly |
いずれも実にモダンな演奏である。
アラビアの酋長
この曲は以前取り上げたことがある。それは1937年6月15日CBS「キャメル・キャラヴァン」の実況放送でBG、テディ・ウィルソン、クルーパ、ハンプトンというある意味黄金カルテットでの演奏であった。その時「正式録音は40年にコロンビアに吹き込まれている」と書いたが、その「正式録音」がこれである。
カルテットではまずクルーパがイントロを叩き、BGのテーマ吹奏後ウィルソン、BG、ハンプトンのソロ、再びBGのソロの途中からハンプトンが絡み集団インプロヴィゼイション風となって終わっていた。何でもいいから曲を決めてテーマをちょっと吹いて後はアドリブ、アップ・テンポでぶっ飛ばすといった感じで勢いがあった。
一方こちらはちょっと落ち着いた感じで、タイトルに合わせたアラビア風のイントロがあり、BG、ハンプトン、クリスチャン、ガルニエリのスインギーなソロの後、クリスチャン、BG、ハンプトンの4小節の交換があり合奏となる。大和明氏によれば、この当時4小節のソロ交換が行われるのは非常に珍しいという。
プア・バタフライ
1916年に作られた古い曲であるが、歌詞の内容からプッチーニの歌劇『蝶々夫人』にヒントを得たものと思われる。ここではストレートにBGが美しく歌わせているが、それをバックで飾るガルニエリのピアノが輪をかけて美しい。
<Date&Place> … 1940年4月12日 ロスアンゼルスからNBCラジオ放送
<Personnel> … ベニー・グッドマン・セクステット(Benny Goodman Sextet)
4月10日と同じ。
<Contents> … "Charlie Christian/LIVE"(Jazz Archives JA-23)
A-5.アラビアの酋長(The sheik of Araby)
スタジオ録音の合間にラジオ出演した時の音源。4月10日にスタジオ録音した曲の再演。まずテーマをBGが吹き、ハンプトンに渡す。次いでクリスチャンがソロを取り、グアルニエリ、BGへと繋ぐ。実にスインギーな快演である。
<Date&Place> … 1940年4月16日 ハリウッドでの録音
この日はオーケストラにより4曲ほど録音を行っているが、1曲がオクラ入り、3曲は未所有であり、未聴。オーケストラは4月10日と同じメンバー。
<Personnel> … ベニー・グッドマン・セクステット(Benny Goodman Sextet)
4月12日と同じ。
<Contents> … 「チャーリー・クリスチャン/メモリアル・アルバム」(CBS 56AP 674〜6)
| record2 A-3. | アイ・サレンダー・ディア | I surrender , dear |
| record2 A-4. | ボーイ・ミーツ・ゴイ | Boy meets Goy(Grand slam) |
いずれも実にモダンな演奏である。
アイ・サレンダー・ディア
この甘く美しい、そしてちょっぴり哀愁を漂わせるラヴ・バラードをBGはサビにハンプトンのソロを挟んで淡々とした中に甘さを漂わせて、テーマを流していく。2コーラス目は前半をクリスチャンが担当し、サビをガルニエリ、そしてラストの8小節をリフ・アンサンブル風にまとめている。ファトゥールのブラッシュ・ワークが印象的である。
ボーイ・ミーツ・ゴイ
ブギー・ビートに乗って、BGとハンプトンの絡みによって進行するテーマが快調である。この辺りはBGクインテットによってヴィクターに吹き込まれた<ピカリブ>(38年12月29日録音)の後半部分を思わせる。
クリスチャン、ハンプトンとソロが続き、再びブギー・ビートに戻ってガルニエリがソロを取り、その後躍動感豊かなリズム隊の作り出すビートに乗って、BG、ハンプトンがラストへと盛り上げていく。
<Date&Place> … 1940年5月9日 ハリウッドでの録音
<Personnel> … フレッド・アステア伴奏ベニー・グッドマンと彼のオーケストラ(Fred Astaire acc. by Benny Goodman and his orchestra)
ベニー・グッドマンと彼のオーケストラについては
Alto sax … バフ・エステス ⇒ レス・ロビンソン(Les Robinson)
Vibraphone … ライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton) ⇒ In
Arrangement … エディー・ソーター ⇒ フレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson)
以外は2月7日と同じ。
<Contents> … 「ベニー・グッドマン/新たなる宝庫・黄金時代のベニー・グッドマン」(CSM 890-1)
| record2 B-1. | フー・ケアーズ | Who cares ? |
| record2 B-2. | ジャスト・ライク・ティキング・キャンディ・フロム・ア・ベイビー | Just like taking candy from a baby |
「メモリアル・アルバム」に付いている大和明氏篇のディスコグラフィーによれば、この日フレッド・アステアとセクステットとオーケストラでバックを務めそれぞれ1曲ずつ、女性シンガーのヘレン・フォレストと3曲録音している。フレッド・アステアの「フー・ケアーズ」がセクステットということになっているが、レコードで聞く限りオーケストラにしか聞こえない。アルト・サックスのオブリガードが入っているし、アンサンブルはオーケストラの響きである。
またヘレン・フォレストは当時BGバンドの専属歌手であったため、本拠地ニューヨークやシカゴでも録音しておりさらにはこのハリウッドまで帯同して来ての録音。このフォレストのものは未聴である。ふと思い返すとクリスチャンがいろいろなエピソードを含んだBGバンド加入劇があってまだ1年と経っていないのである。1年前のこの頃はまだオクラホマというさしてジャズの盛んとは言えない場所の田舎バンドでギターを弾いていたのだ。それが1年も経たないうちに“スイングの王様”のバンドに加わり、世紀の大スター、フレッド・アステア共演するまでになったのである。才能があるということは素晴らしいことだ。
<Date&Place> … 1940年5月9日 ハリウッドでの録音
<Personnel> … フレッド・アステア 伴奏ベニー・グッドマンと彼のオーケストラ(Fred Astaire acc. by Benny Goodman and his orchestra)
ベニー・グッドマンと彼のオーケストラについては
Alto sax … バフ・エステス ⇒ レス・ロビンソン(Les Robinson)
Vibraphone … ライオネル・ハンプトン(Lionel Hampton) ⇒ In
Arrangement … エディー・ソーター ⇒ フレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson)
以外は2月7日と同じ。
<Contents> … 「ベニー・グッドマン/新たなる宝庫・黄金時代のベニー・グッドマン」(CSM 890-1)
| record2 B-1. | フー・ケアーズ | Who cares ? |
| record2 B-2. | ジャスト・ライク・ティキング・キャンディ・フロム・ア・ベイビー | Just like taking candy from a baby |
「メモリアル・アルバム」に付いている大和明氏篇のディスコグラフィーによれば、この日フレッド・アステアとセクステットとオーケストラでバックを務めそれぞれ1曲ずつ、女性シンガーのヘレン・フォレストと3曲録音している。フレッド・アステアの「フー・ケアーズ」がセクステットということになっているが、レコードで聞く限りオーケストラにしか聞こえない。アルト・サックスのオブリガードが入っているし、アンサンブルはオーケストラの響きである。
またヘレン・フォレストは当時BGバンドの専属歌手であったため、本拠地ニューヨークやシカゴでも録音しておりさらにはこのハリウッドまで帯同して来ての録音。このフォレストのものは未聴である。ふと思い返すとクリスチャンがいろいろなエピソードを含んだBGバンド加入劇があってまだ1年と経っていないのである。1年前のこの頃はまだオクラホマというさしてジャズの盛んとは言えない場所の田舎バンドでギターを弾いていたのだ。それが1年も経たないうちに“スイングの王様”のバンドに加わり、世紀の大スター、フレッド・アステア共演するまでになったのである。才能があるということは素晴らしいことだ。
フー・ケアーズ
大和氏は B-1.フー・ケアーズ(Who cares ?)をセクステットが務めたと書いている、飯塚氏は2.「ジャスト・ライク・ティキング・キャンディ・フロム・ア・ベイビー」のパーソネルからライオネル・ハンプトンが抜けたメンバーとしている。確かに聴く限りでは飯塚氏の言うようにオーケストラであり、ヴァイブの音は聴こえないので、ハンプトンは抜けたのだろう。
銀幕の大スターフレッド・アステアとスイングの王様ベニー・グッドマンの組み合わせは稀に見る豪華版であるが、“The protean Mr.Goodman”解説の飯塚経世氏は新進気鋭のアレンジャーであるエディー・ソーターがニュー・サウンドの編曲を提供しているところも注目に値すると述べている。確かに新しさを感じる編曲である。しかし残念ながら今回の主人公クリスチャンのソロどころか音もあまり聞こえない。
この録音は映画のためではなかったようで、ガーシュイン作の名曲を、アステアが歌い、当代人気第一のBGバンドがバックを務めるというゴージャスなものではあったがヒットはしなかったようである。ヴォーカルが短くBGのクラリネットが大きくフューチャーされており、ジャズ色が濃厚だったからだろうか?
ジャスト・ライク・ティキング・キャンディ・フロム・ア・ベイビー
アステアが作曲したという軽快でスインギーなナンバー。アステア作フレッチャー・ヘンダーソン編曲というそれだけで豪華な感じがする。アステアはヴォーカルの他に看板のタップ・ダンスを披露している。アステアのヴォーカルにBG、ハンプトンがオブリガードを付ける。アステアのタップをバックにBG、ハンプトンがソロを取り、アステアと2小節交換なども行われるというオールド・ファン一聴の価値があるナンバー。
2曲ともともかく楽しいナンバーだが、これがハンプトンがレギュラーとして加わった最後の録音となる。またクリスチャンの出番はなく、ほとんどギターの音も聴こえない。また
ナット・キング・コール登場
1940年前半のセッション中最も注目される録音である。それはナット・キング・コール・トリオの初レコーディングとなるからである。コールは後に歌手として大いに人気を博することになるが、元々はピアニストである。それも抜群の。ことの次第は、
この年1940年3月〜7月にかけてBG楽団はロスアンゼルスに滞在し演奏活動を行っていた。そこで1940年からロスのクラブで活動し、好評を博していたナット・キング・コール・トリオとの共演を試みたのがこのセッションなのだという。しかしそれならなぜBGが入っていないのかの説明はない。御大がお出ましの前に代貸のハンプトンが腕試しをしたということだろうか?
<No.18 Session >
<Date&Place> … 1940年5月10日 ハリウッドにて録音
<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)
コール、Gのオスカー・ムーア、Bのウェズリー・プリンスはコール・トリオのオリジナル・メンバー。ドラムのスピールドックは、全く不明の人物で現地のミュージシャンではないかと思う。ヴォーカルのヘレン・フォレストはBG楽団の専属歌手である。
<Contents>
| Record5.B-1 | ハウス・オブ・モーガン | House of Morgan |
| Record5.B-2 | アイド・ビー・ロスト・ウィズアウト・ユー | I'd be lost without you |
| Record5.B-3 | セントラル・アヴェニュー・ブレークダウン | Central avenue breakdown |
| Record5.B-4 | ジャック・ザ・ベルボーイ | Jack the bellboy |
Record5.B-1「ハウス・オブ・モーガン」
ミディアム・テンポで出だしからハンプのソロが続く、続いてムーア(Gt)、コール(P)の短いソロが入り、再びハンプのソロとアンサンブルで終わる。
Record5.B-2「アイド・ビー・ロスト・ウィズアウト・ユー」
スロウなバラッドで最初のコーラスはハンプと短いコールのソロで、続いてフォレストのヴォーカルが入る。
Record5.B-3「セントラル・アヴェニュー・ブレークダウン」
これも後にハンプの十八番となったブギ・ナンバー。ここでハンプはコールを差し置いて、2本指ピアノでソロを弾きまくるというショウケース。コールは左手のベース・パートを務めている。確かに乗りまくるナンバーである。
Record5.B-4「ジャック・ザ・ベルボーイ」
大和氏はこれもハンプのオリジナルではないかという。ムーア(Gt)がやや長尺の、コール(P)が短いソロを取る。コールのソロは実にスインギーである。はりきったドラムも途中からハンプではないかという気がする。
<Date&Place> … 1940年6月20日 ハリウッドでの録音
<Personnel> … ベニー・グッドマン・セクステット(Benny Goodman Sextet)
Piano … ジョニー・ガルニエリ ⇒ ダドリー・ブルックス(Dudley Brooks)
1940年6月に入ってガルニエリはアーティー・ショウ楽団に参加するためBGの許を去った。ここにどんな引抜合戦があったかはわからないが、本などによると競合バンド間での”できる”ミュージシャンの引抜合戦は激しかったらしい。クリスチャンがBGバンドに入って1年足らずのうちにピアニストが2回交替したことになる。大和明氏は解説で、ガルニエリに替わってダドリー・ブルックス(Dadley Brooks)なるピアニストが参加したと書いている。さて、この「ダドリー・ブルックス」という人物はどんなピアニストであったのだろうか。付属のディスコグラフィーに綴りでは”Dadley Brooks”となっているが、このような人物はジャズ人名辞典にも、Encyclopediaにも、ググっても出てこない。
替わって出てくるのは”Dudley Brooks”(ダドリー・ブルックス)というこれもピアニストだ。Dudley Brooksはロックの大スター、エルヴィス・プレスリーとの録音で有名になった人物だが、プレスリーとの共演は50年代後半以降のこと。彼は元々ジャズ・ピアニストで、ロスアンゼルスの腕利きのスタジオ・ミュージシャンとして活躍していた。もしかすると大和氏のディスコグラフィー”Dadley Brooks”は誤りで、”Dudley Brooks”が正しく、正規メンバーとして加わったのではなく、あくまで臨時のメンバーとして録音に加わったのであろう。そして、BGはもしかすると腕が確かであれば正式メンバーとして加える気だったのかもしれない。しかしピアノの存在感を感じるプレイはなく結局ワン・ポイントで終わった可能性を感じる。初録音でソロ・スペースを与えられたクリスチャンに比べるてみるとBGがブルックスをどう捉えていたのかが分かるような気がする。
<Contents> … 「チャーリー・クリスチャン/メモリアル・アルバム」(CBS 56AP 674〜6)
| record2 A-5. | シックス・アピール | Six appeal |
| record2 A-6. | ジーズ・フーリッシュ・シングス | These foolish things |
| record2 A-7. | グッド・イナフ・トゥ・キープ | Good enough to keep (Air mail special) |
シックス・アピール
セックス・アピール(Sex appeal)とBG6重奏団(セクステット)のSixを引掛けたタイトルを持ったBGのオリジナル・ナンバー。大和氏によるといかにもBG好みのテーマからクリスチャンのソロに入るとあるが、こういうメロディがBG好みだったのだろうか?僕にはよく分からないが、その通りだとしたらかなり斬新な感覚を持った人物であったのであろう。
クリスチャンのソロに関してこれも大和氏は、思い切ったアドリブ展開に持ち込めない重いメロディーの処理に、彼もややさじを投げた形であると書いている。僕はこのギター・ソロに、音色といいフレージングといい日本の歌謡曲っぽさを感じてしまうのだが、おかしいかな?
ジーズ・フーリッシュ・シングス
ちょっとしたつまらないことがあなたを思い出させるという歌詞を持ったこの曲はメロディーも上品な正に哀愁をたたえた現在でも愛想されるスタンダード・ナンバー。BGはそのムードを十分に出した余韻溢れる美しいソロを取っている。
クリスチャンは1コーラス目のサビでわずかにソロを取る。大和氏は、まるで生ギターのような優しい響きでムードを盛り上げると書いている。その通りだが、前曲にも増して歌謡曲っぽさを感じてしまう。2コーラス目もハンプトンとBGが優しくメロディーを歌い上げ、心のこもった演奏に仕立てている。
なおこの演奏は今回初めてLP化されたもので、この1曲だけはSP盤からの再録のため音質が他の演奏に比べ劣るのは仕方がない。
しかしこの1曲が収録されたため、世界で初めてクリスチャンの入ったBGコンボの演奏は、フレッド・アステアの伴奏を務めた1曲を除いてすべてがまとまってLP化されたと大和氏は書いているが、前回書いたように僕の聴く限り、フレッド・アステアのバックを務めたのはコンボではなくオーケストラであった。
グッド・イナフ・トゥ・キープ
BGのオリジナル・ナンバーであり、後に「エアメイル・スペシャル」として有名となり、ライオネル・ハンプトン楽団の持ちネタになった。
これはこの曲のオリジナル演奏であるがこれまで未発表だったもので、今回初めてレコード化されたという。曲の感じから言ってクリスチャンのアイディアも入っていると考えられる。各プレイヤーのアドリブが続いた後、例によって快適なリフ・アンサンブルへと受け渡され、快調にエンディングへと突入していく。
<Date&Place> … 1940年6月22日 ロスアンゼルスからNBCラジオ放送
<Personnel> … ベニー・グッドマン・セクステット(Benny Goodman Sextet)
4月10日と同じ。
<Contents> … "Charlie Christian/LIVE"(Jazz Archives JA-23)
A-6.シックス・アピール(Six appeal)
6月20日にレコーディングしたばかりのナンバー。ミディアム・テンポで、テーマの後ソロはハンプトン⇒クリスチャン⇒グアルニエリ⇒BG⇒バーンスタイン。テーマに戻ったところで途中で切れてしまう。
<Date&Place> … 1940年6月30日(多分) ロスアンゼルスからNBCラジオ放送
<Personnel> … ベニー・グッドマン・セクステット(Benny Goodman Sextet)
4月10日と同じ。
<Contents> … "Charlie Christian/LIVE"(Jazz Archives JA-23)
A-7.AC-DC・カレント(AC-DC current)
この曲もこの時期よく演奏していたナンバー。まずソロを取るBG、短いB、Gtが代わる代わる飛び出してくる。
<No.19 Session >
<Date&Place> … 1940年7月17日 ハリウッドにて録音
<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)
前回5月10日と同じメンバー。
<Contents>
| Record5.B-5 | ドゥ・ラ・メ・テイク1 | Dough-Ra-Me take1 |
| Record5.B-6 | ドゥ・ラ・メ・テイク2 | Dough-Ra-Me take2 |
| Record5.B-7 | ジャイヴィン・ウィズ・ジャーヴィス | Jivin’with Jarvis |
| Record5.B-8 | ブルー・ビコーズ・オブ・ユー | Blue because of you |
| Record5.B-9 | ゴースト・オブ・ア・チャンス | A ghost of a chance |
Record5.B-5、6「ドゥ・ラ・メ」
これも多分ハンプのオリジナルという。ユーモラスなノヴェルティ・ナンバーでハンプトン、コール、ムーアの即席コーラスが良くハモッテいて楽しい。ヴォーカルの後はハンプ、コール、ムーアのソロから合奏となる。2つのヴァージョンの一番の違いはムーアのソロであるという。さすがにコールのPソロが良い。
Record5.B-7「ジャイヴィン・ウィズ・ジャーヴィス」
これもハンプトン作のハッピーなジャイヴ・ナンバー。ハンプのソロが中心で間にコール、ムーアの16小節づつのソロが入る。ここでもコールのソロが光っている。
Record5.B-8「ブルー・ビコーズ・オブ・ユー」
ミディアム・スロウにテンポを取った演奏で、先ずはハンプトンがソロを取り、続くコールのソロが素晴らしい。
Record5.B-9「ゴースト・オブ・ア・チャンス」
ヴィクター・ヤングが作曲し、ビング・クロスビーが作詞を手掛け自ら歌ってヒットさせた曲という。テーマの後、ハンプ、コールのソロが入り、フォレストのヴォーカルになる。大和氏はこのフォレストが色気があっていいと評価している。
持病の坐骨神経痛の悪化のため手術⇒活動休止
1940年7月10日、BGは持病の坐骨神経痛が極度に悪化し、手術を受けるために入院することになった。坐骨神経痛とは、神経が腰椎の隙間から出て骨盤をくぐり抜け、おしりの筋肉から顔を出す間のどこかで、圧迫や絞扼などの生涯を受けたために発症するという。実は僕も腰椎椎間板ヘルニアで鈍いながら常に腰に痛みがあり、仕事で座り続けたり、変な体勢をとったりすると腰の痛みが強まり、太ももから足全体にかけてしびれるように痛む時がある。整形外科で診察してもらうと腰椎椎間板ヘルニアが原因の坐骨神経痛ということだった。それで僕は坐骨神経痛は腰が原因と思っていたのだが、BGはどうだったのであろう。やはり腰椎の疾患を伴っていたのだろうか?それにしても手術をしなければならないというのは余程酷かったのだろう。
ともかくここにバンドは一時解散状態となり、ニック・ファトゥールらはアーティー・ショウ楽団に移籍し、ハンプトンも10月に自己のバンドを結成するために退団したという。粟村政昭氏によると、クリスチャンはトランペットのジギー・エルマンと同様BGの出術入院期間中もギャラをもらえるという異例の好待遇に浴していたという。しかし大和昭氏によれば、エルマン・クリスチャンだけではなくハンプトンを含む数名がこの好待遇に浴していたという。つまり活動をしていなくてもお給料がもらえていた訳で、その意味するところは活動から復帰したら、バンドに戻れということである。それだけクリスチャン達の腕を買っていたことになる。ともかく給料をもらいながら、BGの復帰まで自由に過ごせることになるという願ってもない状況を活かし、夜な夜なクラブに出入りしジャム・セッションに加わって腕を磨いていただろうと思われる。一方この好条件が適用されないメンバー達はバンドを移らざるを得なくなるのは当然であろう。
<No.20 Session >
<Date&Place> … 1940年8月21日 ニューヨークにて録音
<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)
大和明氏の解説に拠れば、このセッションが行われた8月時点では、ハンプトンは未だベニー・グッドマンの楽団に在団中だった。しかし大将のBGは持病の坐骨神経痛が悪化して手術を受けることになり、バンドを一時解散しハンプトンは有給休暇中だった。グッドマン楽団メンバーの約半数はアーティー・ショウその他の楽団に去り、ハンプトン、チャーリー・クリスチャン他数名が才気の際の契約を約束されていたのだ。この録音はハンプトンにとってそんなおいしい休暇中のお仕事だったのである。
<Contents>
| Record6.A-1 | ジャスト・フォー・ラフス | Just for Laffs |
| Record6.A-2 | マーティン・オン・エヴリ・ブロック | Martin on every block |
| Record6.A-3 | ピッグ・フット・ソナタ | Pig foot sonata |
| Record6.A-4 | チャーリー・ウォズ・ア・セイラー | Charlie was a sailor |
Record6.A-1「ジャスト・フォー・ラフス」
ミディアム・テンポで小気味よくスイングするナンバーである。まずハンプトンがフル・コーラスのソロを取り、テディ・バン(Gt)、マーロウ・モリス(P)のソロが入り、再びハンプのソロになる。僕はこのテディ・バンのギターが好きだ。余り日本では知られていないような気がするが素晴らしいギタリストである。モリスのPソロもなかなかの出来映えである。
Record6.A-2「マーティン・オン・エヴリ・ブロック」
ディスク・ジョッキーとして名高いマーティン・ブロック氏の名前をばらしてタイトルにしているところからハンプの曲だろうという。これも前曲より少し早めの曲でここでもバンのギター、モリスのピアノが光っている。
Record6.A-3「ピッグ・フット・ソナタ」
ブギ・ウギのビートで演奏されるソフトで優雅なバンドのサウンドは、当時非常に新鮮だったであろうとは、大和氏。ここでもバン、モリスが素晴らしい。
Record6.A-4「チャーリー・ウォズ・ア・セイラー」
フォーク・ソング調の曲。大和氏はティップルという打楽器らしき不明の楽器の奏者ダグラス・ダニエルズのヴォーカルをフューチャーした軽快なナンバーと書いているが、どう聴いてもVib、P、Gt、B、Ds以外の音が聴こえない。本当にここで”Tipple”なる楽器が奏されているのだろうか?ともかくポップ・ヒットを狙ったものと考えていいだろう。ヴォーカル後のバンのギター・ソロ、ハンプのヴァイブ・ソロが入る。
前録音から4か月後の録音である。7月上旬に手術療養中だったBGは手術も成功し、意外に早く健康を取り戻して戻って来た。ハンプトンはBGにかねてから自分のバンドを作りたいという希望を告げていて、BGからOKをもらい色々アドヴァイスや財政的な援助も受けることになった。そうしてハンプは1940年11月6日に自己のバンドを旗揚げすることになったのだという。ということでこのバンドはハンプトンのバンド旗揚げ後の録音ということになる。つまりこれまでの録音毎にミュージシャンを集めて行われる「オールスター・セッション」は8月21日の第20回で終了し、11月6日以降は基本的にはハンプトン主催のレギュラー・バンドによる吹込みとなる。
<Date&Place> … 1940年12月19、20日 ハリウッドにて録音
<Personnel> … ライオネル・ハンプトンと彼の六重奏団(Lionel Hampton and his sextette)
ハンプは旗揚げ後のバンド名も「ライオネル・ハンプトンと彼のオーケストラ(Lionel Hampton and his orchestra)」としたので、バンド名はオールスター・セッションとは変わらないが実態は大きく異なる。そのビッグ・バンドでの初吹込みは、Deccaに移って約1年後の41年12月に行われるのだが、それに先立って1940年12月19、20日ピック・アップ・メンバーによる録音が行われた。それがこの「ライオネル・ハンプトンと彼の六重奏団(Lionel Hampton and his sextette)」によるこの吹込みである。しかしなぜ大元のオーケストラではなく、ピック・アップ・メンバーによる録音を先に行ったのか、なぜ移籍先のデッカではなくヴィクターに行ったのかは不思議である。何となく実はオーケストラのメンバーはまだ固まっておらず、この6人までは決まっていたので録音を行った。その後メンバーを補充しオーケストラを名乗れるようになったので、デッカへ吹込みを開始したというのが、実態だったような気がする。また通常”Sextet”と表記されることの多い六重奏団をわざわざ”Sextette”と表記するところに何か意味はあるのだろうか?
<Contents>
| Record6.A-5 | ロスト・ラヴ | Lost love | 12月19日 |
| Record6.A-6 | アイ・ニアリー・ロスト・マイ・マインド | I nearly lost my mind | 12月19日 |
| Record6.A-7 | アルティチュード | Altitude | 12月19日 |
| Record6.A-8 | フィドル・ディー・ディー | Fiddle Dee Dee | 12月19日 |
| Record6.B-1 | ボゴ・ジョー | Bogo Joe | 12月20日 |
| Record6.B-2 | オープン・ハウス | Open house | 12月20日 |
| Record6.B-3 | スマート・アレク | Smart Alec | 12月20日 |
| Record6.B-4 | バウンシング・アット・ザ・ビーコン | Bouncing at the beacon | 12月20日 |
Record6.A-5「ロスト・ラヴ」
レスター・ヤングの弟リー・ヤングの甘ったるい古臭いヴォーカルにこれまた古風な女性コーラスをあしらうというポピュラー・ヒットを狙ったとしか思えない演奏である。
Record6.A-6「アイ・ニアリー・ロスト・マイ・マインド」
これもセンチメンタルなバラッドで、こちらはイヴリン・マイヤーズという女性シンガーのヴォーカルがフューチャーされている。ソロはロイヤル(As)とハンプ(Vib)。
Record6.A-7「アルティチュード」
ミディアム・アップ・テンポのスインギーなナンバー。全員によるソロ回しの曲で、ハンプ⇒ロイヤル⇒ペリー(Vl)、アシュビー(Gt)、トンプソン(P)、アリー(B)と続いていく。最後はハンプトンらしいリフの合奏で締め括る。
Record6.A-8「フィドル・ディー・ディー」
曲名から推察されるようにペリーのVlをフューチャーしたナンバー。ソロは他にアシュビー(Gt)、ハンプ(Vb)だが、はっきり言って申し訳ないがギターの力量がテディ・バンと比べるとかなり劣っているのが残念である。
Record6.B-1「ボゴ・ジョー」
ロイヤルのClソロからハンプのヴォーカルに女性コーラスが絡み、Gt、Vb、Vlの短いソロを挟み再びヴォーカルに戻る。女性コーラスは"Hampton rhythm girls"というらしいが、詳しくは不明である。やはりコーニーな匂いがプンプンする。
Record6.B-2「オープン・ハウス」
ハンプとロイヤルの共作という。ミディアム・テンポでこれも各自のソロ回しをするナンバーであろう。
Record6.B-3「スマート・アレク」
これも簡潔なリフからソロ回しを行っている。ハンプ⇒アシュビー⇒ロイヤル(Cl)⇒ペリー⇒トンプソン⇒ハンプという順である。
Record6.B-4「バウンシング・アット・ザ・ビーコン」
ハンプ作らしいブギー・ナンバー。トンプソンのブギー・パターンにハンプが2本指で鍵盤をたたいていく。後半はロイヤルのアルト・サックスがフューチャーされる。
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