ルイ・アームストロング 1927年

Louis Armstrong 1927

ルイ・アームストロング 1927年

前回ルイ・アームストロングのスタイルを4期に分類したユーグ・パナシェの説を紹介しました。それによればここからは正にルイの黄金期第2期に入ります。
1926年末からルイは、アースキン・テイト楽団とヴァンドーム劇場に出演する傍ら、キャロル・ディッカーソン楽団に加わり、サンセット・カフェで演奏していました。27年2月ディッカーソン楽団を辞め、アール・ハインズを音楽監督に据えたルイ・アーム・ストロングと彼のストンパーズを率いて、そのままサンセット・カフェに出演します。テイト楽団とも27年4月まで掛け持ちで演奏活動をつづけ、それからメトロポリタン劇場に出演していたクラレンス・ジョーンズ楽団に参加したため、自分のバンドとの掛け持ち活動はこの年の暮れまで続いていくことになります。
1927年のルイの録音をディスコグラフィーで見ると4月、5月、9月、12月の4か月に集中しています。ヴァンドーム劇場、サンセット・カフェ、メトロポリタン劇場などへの出演の合間を縫って時間が取れる時、また他のメンバーとも都合が合う時にある程度集中して録音活動を行ったのでしょう。
ともかく1927年4月の吹込みから聴いていきましょう。といっても4月にルイは自身名義の録音はなく、2つの録音にサイドマンとして参加しているのみです。この2つの録音についてガンサー・シュラー氏は、「ルイはチャンスを待ち、将来のために精力を蓄えているかのように、気迫にいささかかけたところが見られる」と書いています。
さて日本を代表する評論家の故油井正一氏は『ジャズの歴史』において次のように述べています。「第1期から第2期への移り変わりを明瞭に示しているレコードとして、4月の終わりにジョニードッズのブラック・ボトム・ストンパーズに加わって吹き込んだ『ワイルド・マン・ブルース』を挙げたいと思います。単純な、しかも感動的な美しいブルース・ソロを行い、第1期の終結を見せております。ところがわずか2週間後にホット・セヴンによって吹き込まれた同曲では、驚くほど手の込んだ、複雑なソロを展開し、華やかな第2期のスタートを明示しております」と。
写真右は1927年のルイ・アームストロング。

「若き日のルイ/ザ・サイド・マン」レコード・ジャケット

<Date & Place> … 1927年4月21日 シカゴにて録音

<Personnel> … ジミー・バートランズ・ウォッシュボード・ウィザーズ(Jimmy Bertrand’s washboard wizards)

Washboard & blocksジミー・バートランドJimmy Bertrand
Cornetルイ・アームストロングLouis Armstrong
Clarinet & Alto saxジョニー・ドッズJohnny Dodds
Pianoジミー・ブライスJimmy Blythe

<Contents> … 「若き日のルイ/ザ・サイド・マン」(Decca SDL-10377)&「ジャズ・ジャイヴ・アンド・ジャンプ」(MCA-3519〜20)

B面1.イージー・カム・イージー・ゴー・ブルースEasy come , easy go blues
B面2.ブルース・スタンピードBlues stampede
B面3、record1 B-3.アイム・ゴーイン・ハンティンI'm goin’ huntin'
B面4.イフ・ユー・ワナ・ビー・マイ・シュガーIf you wanna be my sugar Papa
「ジャズ・ジャイヴ・アンド・ジャンプ」レコード・ジャケット

ジミー・バートランドは1920年代からシカゴのヴァンドーム劇場で活躍したドラム奏者で、アースキン・テイト楽団やティン・ルーフ・ストンパーズ、エディ・サウス楽団などに参加していたということなので、ルイとは同僚だった。またバートランドは他に自身の名義のレコードもたくさん残している。「ウォッシュボード・ウィザーズ」は1926〜29年の間に10曲ほどの吹込みがあるが、自身とジミー・ブライス以外は皆顔ぶれが異なるという。彼のレコード中では、ここに収録された4曲が最も高く評価されたものだという。さらに彼はドラムの先生もしていてシドニー・カトレットやライオネル・ハンプトンは彼の弟子だという。
またジミー・ブライスは、1926年には、自身のバンド「ウォッシュボード・ラガマフィンズ(Jimmy Blythe’s washboard ragamuffins)」を率い、ジョニー・ドッズと共演していたがここではサイドマンとしての参加である。
B面1.イージー・カム・イージー・ゴー・ブルース
ロイ・バージリの作ったブルースで、中のストップ・タイムにルイのソロをフューチャーしている。バートランドのブロック・プレイはタップ・ダンスのようにもスネアをブラシで叩いているようにも聴こえる。この辺りがタップの期限だろうか?この曲と4曲目の「イフ・ユー・ワナ・ビー・マイ・シュガー (If you wanna be my sugar Papa)」は当時ドリームランドで活躍したブラウンとマクグロウというダンス・チームのショウ・ナンバーだという。
B面2.ブルース・スタンピード
アーヴィング・ミルズの作品で、ルイのCソロにドッズとPのブライスが絡んでいく。
B面3.アイム・ゴーイン・ハンティン
J.C.ジョンソンとファッツ・ウォーラーの共作したもので、前曲同様ルイとドッズの息の合った演奏が聴かれる。ルイがリードする合奏の後、まずドッズが低音部主体のソロを取り、ブライスのラグタイム風のピアノ・ソロ、ルイのソロと続く。ルイのソロはさすがに貫禄を感じさせる。評論家のブライアン・ラスト氏は「彼自身の短いドラム・ソロもモダン・シカゴ・スタイルのドラム・ソロの前触れと言えるもので、趣味の良さと長過ぎず音楽の流れにピタリとはまっている点で一味違っている」と高評価しているという。
B面4.イフ・ユー・ワナ・ビー・マイ・シュガー
アーヴィング・ミルズとボブ・スチャーファーの共作で、陽気にスイングするナンバー。ルイの天衣無縫なプレイが何とも素晴らしい。

その翌日ジョニー・ドッズ名義(ジョニー・ドッズ・ブラック・ボトム・ストンパーズ)の録音が行われる。

「若き日のルイ/ザ・サイド・マン」B面ラベル

<Date & Place> … 1927年4月22日 シカゴにて録音

<Personnel> … ジョニー・ドッズ・ブラック・ボトム・ストンパーズ(Johnny Dodd's Black bottom stompers)

Clarinet & Bandleaderジョニー・ドッズJohnny Dodds
Cornetルイ・アームストロングLouis Armstrong
Tromboneジェラルド・リーヴスGerald Reeves
Tenor saxバーニー・ビガードBarney Bigard
Pianoアール・ハインズEarl Hines
Banjoバド・スコットBud Scott
Drumsベイビー・ドッズBaby Dodds

<Contents> … 「若き日のルイ/ザ・サイド・マン」(Decca SDL-10377)

B面5.ウエアリー・ブルースWeary Blues
B面6.ニュー・オリンズ・ストンプNew Orleans stomp
B面7.ワイルド・マン・ブルースWild man blues
B面8.メランコリーMelancholy
アール・ハインズ

右は故ハナ肇しではなく、「ジャズ・ピアノの父」と呼ばれるアール・ハインズ。後にルイとジャズ史上に残る名コラボを行うルイとハインズの初共演である。
シュラー氏は、ルイが気力にかけた吹奏ぶりを示す一方ドッズは、自分のリーダーとしての録音だけに、ルイとの録音におけるよりも一段上の演奏を行っているという。僕にはルイの演奏が気力にかけているようには聴こえないのだが。ともかくドッズについてはまさに全盛期といわれるにふさわしい名演で、上記の「ジャズ・ピアノの父」ハインズ、テナーのバーニー・ビガードなど豪華というか興味深い顔ぶれが揃う。
しかしこのドッズの録音において、ルイの人生において様々な点で将来大きな意義を持つようになる二つの発展があるために、特筆すべきだとガンサー・シュラー氏は言う。
その一つはアール・ハインズとの最初の共演ということであり、もう一つは、ループ・ブルームのヒット曲「メランコリー(Melancholy)」を通じての、ティン・パン・アレイの感傷的で甘い世界とのルイの、録音における最初の出会いという点である。
我々は、わずか数年後に彼の生活の糧となる、甘く、ささやくようなトランペット・スタイルの最初の兆しをここに聴くことができると言うのである。

B面5.ウエアリー・ブルース
ニュー・オリンズ・ジャズの古典的ナンバー。素晴らしいニュー・オリンズ・ジャズである。各人のソロが聴けるが、特にドッズ、ハインズの力強いソロが印象に残る。もちろんルイもさすがの貫禄を示す。
B面6.ニュー・オリンズ・ストンプ
ルイの奥方、リル・アームストロングの作。コルネット中心のアンサンブルの後、ハインズ、ドッズ、ルイの素晴らしいソロが繰り出される。
B面7.ワイルド・マン・ブルース
22小節という変形ブルースでルイがジェリー・ロール・モートンと共作した曲だという。冒頭で油井氏が、ルイの第1期の終わりを告げるナンバーで単純な、しかも感動的な美しいブルース・ソロと述べたナンバー。確かに中心はルイで、どこが「気の抜けた」プレイなのだろう、自身に満ちた力強い素晴らしいソロである。続くドッズも音数を押さえながらじっくりと吹き込んでいく。この時代のベスト・トラックの一つではないかと思う。
B面8.メランコリー
マーティ・ブルームとウォルター・メルワースが共作したアンニュイな雰囲気のナンバーで、こちらはシュラー氏が言う「甘く、ささやくようなトランペット・スタイルの最初の兆し」というよりは、曲調に合わせて吹いた素晴らしいソロだと素直を受け取りたい。ドッズももちろん好調である。

粟村政昭氏も触れていないが、初期のルイの演奏をたどるならば、レコードではオデオンの「傑作集 第1〜4集」と並んでデッカから出た「若き日のルイ/ザ・サイド・マン」は必須レコードであろう。僕はたまたま中古店で見つけて買うことができたが今はどうであろうか?CD化されているのだろうか?

「黄金時代のルイ・アームストロング」CDボックス

<Date & Place> … 1927年5月6日 シカゴにて録音

<Personnel> … シッピー・ウォーレス (Sippie Wallace)

Vocalシッピー・ウォーレスSippie Wallace
Cornetルイ・アームストロングLouis Armstrong
Clarinetアーティー・スタークスArtie Starks
Guitar(CD8-9のみ)バッド・スコットBud Scott

<Contents> … 「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)

CD8-9.デッド・ドランク・ブルースDead drunk blues
CD8-10.ハヴ・ユー・エヴァー・ビーン・ダウン?Have you ever been down ?
CD8-11.レイジー・マン・ブルースLazy man blues
CD8-12.ザ・フラッド・ブルースThe flood blues

CD解説によるレコーディング・データは上記の通りだが、ピアノも伴奏に加わっているが記載がない。
シッピー・ウォーレスはホーシャル・トーマスに当たる優れたブルース歌手でこの日の録音は彼女の代表作になったという。この頃はルイの名声も高まっており、レコードの売り上げを伸ばすためにもルイは大きくフューチャーされるようになったという。CD8-11. レイジー・マン・ブルースはその典型で、通常伴奏者のソロは歌と歌の中間でソロを取るのが普通だが、ここではルイの存在を強調するためもあって、ラスト・コーラスでルイは堂々たるソロをプレイし印象付けている。
CD8-12.ザ・フラッド・ブルースはちょっと薄気味悪いブルースだ。

ガンサー・シュラー著『初期のジャズ』

1927年5月6日女性ブルース・シンガー、シッピー・ウォーレスの伴奏のためレコーディング・スタジオしていたが、翌5月7日には初めてホット・セヴンの吹込みが行われた。右は1927年と記されたルイ・アームストロングの写真である。実はホット・セヴンの写真を載せたかったのだが、どう探しても見つからないのである。
さて、ルイは彼自身の主導権にもとづくこの録音のために、チューバとドラムスを加えて、7人編成にまでバンドを拡大し、8日間で有名なホット・セヴンの数々の録音を行った。
そのホット・セヴンに対してガンサー・シュラー氏は、意外なほど厳しい見方を示している。
曰く、「それらは並み以上の出来映えであって、しかもルイの名声を高めるものではあったが、真に優れた演奏は11曲中わずか1曲しかなかった。それでも大方が過大評価された。ルイの途方もない個人的成功のもたらした負担が姿を現し始めたのか、彼は自分が取り組める能力を超えて突っ走ろうとしたのか、演奏曲目の準備をする過程で不用意であったのか、これらの録音を聴くとき、こうした疑問が絶えず頭に浮かんでくる。
この録音における演奏は確かに前の演奏と比べて向上したところがあった。ドラムとチューバを加えたことが、リル・アームストロングの役割を軽減することになったのは明らかだし、ドッズの演奏は前よりも極めて向上していた。しかしバンドは、そのニューオリンズ的背景から離れて、より洗練されたフォーマットや長めのソロへ手を伸ばそうとするとき、その負担の方が目立ち始めるのだった。これは先駆者の試みとしては当然なことで、こうした評価を下したからと言って、貶める意図は全くない。
繰り返しになるが、ホット・セヴンのレコードを概観してみると、ドッズははるかにうまく演奏している。ブルースの素材が多いためにより寛げたことは確かだし、リズム・セクションが増えたことも彼の時間感覚の向上に役立ったかもしれない(ドラマーが彼の兄弟ベイビー・ドッズであったことは言うまでもあるまい)。いずれにしても彼の演奏は大変抑制が効いており、「ワイルド・マン・ブルース(Wild man blues)」や「S.O.L.ブルース」(そしてそのリメイクの「ガリー・ロウ・ブルース」)におけるソロは、ルイに比べると確かに保守的であるが、結構優れている。
しかしながら、Tb奏者の下品な趣味、下手な調音、不細工なタイミングをしばしば意識させられて、苦痛を覚える。最近までこのTb奏者はキッド・オリィと思われていたが、そうでないことが明らかになってきたという。油井氏、大和氏は5月7日はジョン・トーマスとし、「シカゴ・ブレークダウン」におけるTbは、サンセット・カフェにおけるルイの10人編成の定期バンドで活動していたオノレ・デュトレーと油井氏、大和氏、シュラー氏は一致して推測している。5月11日はジョン・トーマスかジェラルド・リーヴス、5月13日はジェラルド・リーヴスとしている。

「ルイ・アームストロング傑作集 第2集」レコード・ジャケット

<Date & Place> … 1927年5月7日 シカゴにて録音

<Personnel> … ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・ホット・セヴン(Louis Armstrong & his hot seven)

Cornet & Bandleaderルイ・アームストロングLouis Armstrong
Tromboneジョン・トーマスJohn Thomas
Clarinet & Alto saxジョニー・ドッズJohnny Dodds
Pianoリル・アームストロングLil Armstrong
Banjoジョニー・サンシールJohnny St. Cyr
Tubaピート・ブリッグスPete Briggs
Drumsベビー・ドッズBaby Dodds

以上のパーソネルはブライアン・ラスト氏によるもので、他の楽器については疑いがないが、Tbについては異説があり、ジョン・トーマス説の他にキッド・オリー説、さらに音色からジェラルド・リーヴス説がある。
吹込み当時オリーは、キング・オリヴァーのメンバーとしてニューヨークに行っていたはずだとするのが非オリー説の根拠である。ジョン・トーマスという人は他にあまり吹込みがないようだ。

<Contents> … 「ルイ・アームストロング傑作集 第2集」(Odeon OR-8003)&「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)

B面1.CD2-3.ウィリー・ザ・ウィーパーWillie the weeper
B面2.CD2-4.ワイルド・マン・ブルースWild man blues
「ルイ・アームストロング傑作集 第2集」B面ラベル

さて、この5月7日の吹込みから音が良くなるが、それは従来の“機械吹込み”から、ウエスタンエレクトリック・サウンド・システムによる“電気吹込み” に変わった結果音質の向上が見られたのだという。確かに「ルイ・アームストロング傑作集 第2集」のA面を聴いてすぐに盤をひっくり返しB面を聴くと音が全く違う、グッと良くなるのである。これは特筆すべきことだと思う。
B-1.CD2-3.ウィリー・ザ・ウィーパー
“電気吹込み” による初吹込みであり、ホット・セヴンによる初吹込みである。ルイのリードするアンサンブルの後先ずはTb、Clそしてルイとリルが半コーラスずつ分け合い、Gtそしてルイが1コーラスのソロ、そしてアンサンブルで締めくくる。ここは新加入のTuとDr以外のメンバーのソロ回しを行いホット・セヴンの顔見世だったのだろう。ここでのサンシールはパーソネルではBjとなっているが、音を聞く限りGtだと思う。そういえばホット・ファイヴでも最初の録音では顔見世演奏をしていた。
さて、レコード解説の油井正一氏によれば、第1コーラスにおけるアンサンブルは、もしバド・フリーマンのTsでも絡めば全く白人のシカゴ・スタイルになりそうだ。それはもっともな話で、白人の少年たちはルイの演奏を見習って彼ら流のディキシーランド・ジャズ…いわゆるシカゴ・スタイルを作り上げていったのであるという回りくどい解説をしている。
一方、CD解説の大和明氏は、チューバとドラムが加わったことにより、演奏全体のサウンドが豊かになった。ディキシー・アンサンブルからソロのリレーとなるが、特にサンシールの後のベビー・ドッズのシンバル・ワーク(ドッズはバス・ドラムのスタジオ内への持ち込みを許されず、シンバルだけを持参してプレイしなければならなかった)に乗ってソロを繰り広げるルイはさすがであるとしている。
B-2.CD2-4.ワイルド・マン・ブルース
この曲は、今回の吹込みに先立つ2週間前の4月22日にもブランズウィックにジョニー・ドッズのブラック・ボトム・ストンパーズに加わってルイは吹込みを経験している。構成はどちらも変わらない。ドッズ・リーダー盤では素朴で感動的なブルース吹奏に終始しているのに対し、この録音では同じ曲と同じドッズを相手にしながら驚くほど手の込んだ、奔放で力強く複雑なソロを展開している。途中でミス・トーンも認められるが、それを気にかけないだけの迫力溢れた華やかさを持っているといえよう。
一方ドッズは前々回でも書いたが中低音を中止とした一種独特のユニークなプレイをしているが、こちらではルイに煽られたのか中音より上の音を多く使いエモーショナルなプレイぶりである。しかし大和氏はドッズも健闘しているが、ルイのソロに圧倒された感があるとしている。さらに大和氏は、アンサンブルよりソロ中心の演奏への移行がはっきり打ち出されたところが注目すべき点であるという。これは前録音に比べてストップ・タイムの使用が極めて多くソロを際立たせようという意図が明白である。

「黄金時代のルイ・アームストロング」CD Vol.2

<Date & Place> … 1927年5月9日 シカゴにて録音

<Personnel> … ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・ストンパーズ (Louis Armstrong & his stompers)或いはハッティー・マクダネルス・ウィズ・ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・ストンパーズ(Hattie McDanels with Louis Armstrong & his stompers)

Cornet & Bandleaderルイ・アームストロングLouis Armstrong
Cornet多分ビル・ウィルソンBill Wilson
Tromboneオノレ・デュトレーHonnore Dutrey
Clarinet , Soprano sax & Alto saxボイド・アトキンスBoyd Atkins
Alto sax & Baritone saxジョー・ウォーカーJoe Walker
Tenor saxアルバート・ワシントンAlbert Washington
Pianoアール・ハインズEarl Hines
Banjo & Guitarリップ・バセットRip Bassett
Tubaピート・ブリッグスPete Briggs
Drumsタビー・ホールTubby Hall

このナンバーだけちょっと変わったメンバーでの録音である。このメンバーは当時「サンセット・カフェ」に出ていたルイのバンドであるという。Cl、Ss、Asにはダーネル・ハワードが有力で(油井説)、他にボイド・アトキンス、スタンプ・エヴァンス説があるが上記はCDの解説に拠った。

<Contents> … 「ルイ・アームストロング傑作集 第2集」(Odeon OR-8003)&「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)

B面3.CD2-5.シカゴ・ブレークダウンChicago breakdown

B面3.CD2-5.シカゴ・ブレークダウン
他にハッティ・マクダニエルスのヴォーカル入りの2曲も同時に録音されたが、いまだにオクラ入りのままという。この1曲だけ1941年になってから発売された。
10人編成の演奏はさすがに迫力があり、フューチャーされているのはPのアール・ハインズは力強く、ストップ・タイムをバックにしたルイのソロも一段と輝かしい。他にSs、Bsも登場する異色作であると油井氏は書くが、大和明氏はこの2つのソロは陳腐でルイとの差がはなはだしいと手厳しい。
一方シュラー氏は、この演奏は古いニューオリンズのビッグ・バンドのアンサンブルのスタイルに戻っているという点で、ホット・ファイヴやホット・セヴンのレコードと鋭く対照的だとし、このアンサンブルは、サム・モーガン、ニューオリンズ・アウル、セレスタンのオリジナル・タキシード・オーケストラなどによってニューオリンズで行われた1920年代の録音と、特に後者の「オリジナル・タキシード・ラグ(Original tuxedo rag)」とそっくりだというが、僕にはこの辺りの音源がなく分からない。
ルイは、サンセットのダンスのためにはより伝統的な音楽を演奏し、より革新的なスタイルとよりソロ的な楽想による実験には小グループで行っていた。「シカゴ・ブレークダウン」が我々の関心をそそるのは、これが初期のアール・ハインズのソロを前面に押し出しているからでもある。ハインズの革新的な「トランペット・スタイル」のピアノは直接ルイと結びついたものであるが、このおかげでバンド全体が、リル・アームストロングのふやけたピアノからは決して得られないリズミックな高揚を獲得する。ハインズのスタイルはこの時点では確かに全面的には完成されていなかったが、その本質的な諸特徴のすべてがそこにあったと、まずハインズに対して極めて高い評価をしている。正直僕にはこのPはストライド奏法が元になっていると思うし、いわゆるどこがトランペット・スタイルかよく分からない。最後の部分は少し破綻しているように感じる。
このレコードもまた―何度も指摘されてきたことではあるが―ルイの演奏は、彼の仲間たち、ここではSs奏者のボイド・アトキンス(ルイの最初の商業的ヒット曲「ヒービー・ジービーズ」の作曲者として有名)、Bsのスタンプ・エヴァンス(?)との興味深い対照を示す。彼ら二人のぎくしゃくしてスイングしない演奏はルイの現代的な楽想とは大変かけ離れていたとルイ以外には大変厳しい意見を書いている。
僕の感想はルイは相変わらず素晴らしいソロを吹いており、全体的な水準も満たしているのでそれなりに良いレコードだと思う。

そして翌5月10日には再びホット・セヴンのレコーディングを行っている。

「ルイ・アームストロング傑作集 第3集」レコード・ジャケット

<Date & Place> … 1927年5月10、11、13、14日 シカゴにて録音

<Personnel> … ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・ホット・セヴン(Louis Armstrong & his hot seven)

Cornet & Bandleaderルイ・アームストロングLouis Armstrong
Tromboneジョン・トーマスJohn Thomas
Clarinet & Alto saxジョニー・ドッズJohnny Dodds
Pianoリル・アームストロングLil Armstrong
Guitar & Banjoジョニー・サンシールJohnny St. Cyr
Tubaピート・ブリッグスPete Briggs
Drumsベビー・ドッズBaby Dodds

ここでのTbはジョン・トーマスであろうとしながら、ジェラルド・リーヴス(Gerald Reeves)の可能性もあるという。

<Contents> … 「ルイ・アームストロング傑作集 第2、3集」(Odeon OR-8003,4)&「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)

B面4.CD2-6.アリゲイター・クロウルAlligator crawl5月10日
B面5.CD2-7.ポテト・ヘッド・ブルースPotate head blues5月10日
B面6.CD2-8.メランコリー・ブルースMelancholy blues5月11日
B面7.CD2-9.ウェアリー・ブルースWeary blues5月11日
B面8.CD2-10.12番街のラグ12th Street rag 5月11日
A面1.CD2-11.キーホール・ブルースKeyhole blues5月13日
A面2.CD2-12.S.O.L.ブルースS.O.L. blues5月13日
A面3.CD2-13.ガリー・ロゥ・ブルースGully low blues5月14日
A面4.CD2-14.ザッツ・ホエン・アイル・カム・バック・トゥ・ユーThat’s when I’ll come back to you5月14日

B面4.CD2-6.アリゲイター・クロウル
ファッツ・ウォーラーの作。ウォーラーよりもルイが先に録音した作品という。まとまったコレクティヴ・インプロヴィゼーションやその前後のドッズとルイのソロも見事、サンシールの特色あるニューオリンズ・スタイルによるギター・ソロも聴きものである。
シュラー氏はルイのソロについて、「オクターヴを半音階的楽句で飛躍しようとする興味深い試み(ルイのソロの17小節目)は失敗であり、ブレークの末尾はいびつとしか言いようがない。」かなり意見が違う。
「ポテト・ヘッド・ブルース」譜例9 B面5.CD2-7.ポテト・ヘッド・ブルース
大和氏は、この頃になると2ビートから4ビートへの移行を明確に示し、ルイの表現力が一層強力になってきているのが分かる。
アンサンブル部でのTbの弱さを除けば、後は非の打ち所がない演奏であり、ドッズのソロも優れたものだが、その影を薄めてしまうほどストップ・コーラスにおけるルイのブレークはまさに天馬空を行くがごとき見事なものと言える。それは集大成されたもっとも輝かしいブレークであるだけでなく、ソロに入った時から優れたアイディアを論理的に発展させていることが窺い知れよう。当時ほかのプレイヤーが競って自分のソロの一部に採り入れていったことからも、その素晴らしさが立証される。
ストップ・タイムをバックにルイが聴かせるソロは圧倒的でひときわ抜きんでている。女優のタルラ・バンクヘッドは映画「私生活」がロング・ラン興業をやっているころ、このレコードを聴かずにベッドに入ったことはないと語ったそうである(油井・正一氏のエピソード)。
シュラー氏が11曲中わずか1曲だけが真に素晴らしいというのはこの曲である。「有名なストップ・タイムのコーラスである。ホット・セヴンの多くの録音と異なって、この曲でのテンポはピッタリと正確だし、第2小節(弱起の小節を数えないで)における6度への進行を持つ最初の楽句は、第3小節の大胆なシンコペイションへと後続されるのだが、この楽句ほどに均整が取れて、完璧なものはあり得ない。後半(第12小節)には、D7のコード上で、驚異的なD♭音が登場し、C音に解決される。そして次いで第25小節では、ルイの最も忘れがたい楽句の一つ(譜例9)が登場する。この楽句は、彼の音とヴィブラートが心震える悲しみをたたえているだけに一層忘れがたい。(※スターダスト)これらは全体としてはルイの過剰なまでの実り豊かな想像力を示すソロの長所に過ぎない。
しかしこのストップ・タイムのソロは偉大ではあるけれども、ホット・セヴンのレコードの他の10面にも存在する葛藤にささやかながら苦しんでいるところもある。「ビッグ・バター・アンド・エッグ・マン」でははるかに落ち着きがあるのに、このソロの場合には、時折かすかな緊張が現れる。とりわけ第17小節以降では、「ルイは本気でやっているのかな?」という疑問も湧いてくる。ルイのブリッジの転換にかろうじてついていくだけで、最後の16小節の中のいくつかの箇所では、(バンドは対応しているが)いささか躊躇っている。指と心が必ずしも一体になっていないところがいくつかある。コーラスの最後の2小節に至って、ようやくルイは落ち着くように見える。このソロの大胆な試みを考慮すれば、そうした不安定はよく理解できるとしている。
「ルイ・アームストロング傑作集 第3集」レコード・ジャケット B面6.CD2-8.メランコリー・ブルース
「ワイルド・マン・ブルース」同様ブランズウィック盤の再演であるが、ただの再演ではなく大きな飛躍を示していて面白い演奏である。(油井氏)その大きなポイントに一つがストップ・タイムの多用するようになったことは、「ワイルド・マン・ブルース」と同様である。この当時ルイが如何に急激な躍進を遂げつつあるかを示しているかを示している。
前回に比べて緊張感あふれるルイのブルース・プレイとドッズの情熱的なすすり泣きスタイルのソロやソロ・プレイにおける各ソリストの気力充実したプレイなど、聴き処を上げればきりがない。
B-7.CD2-9.ウェアリー・ブルース
大和氏は、その後もディキシーのスタンダードとなった曲。各メンバーのソロが十分にフューチャーされている。
それに後者での見事なコレクティヴ・インプロヴィゼーション(チューバが効果を上げているリズム陣に注目)やソロ・プレイにおける各ソリストの気力充実したプレイなど、聴き処を上げればきりがない、と述べている。
一方シュラー氏は半音階的なメロディ・ラインの扱いがうまく行かないために(彼にふさわしくないことだが、どう見ても常套句である)、出だしがおかしい、立ち直りはするのだが、その場合には「12番街のラグ」を必死になって引用し始める。ところがその曲はたまたま同じ日に録音されたものであるとこれも厳しい見方をしている。
B-8.CD2-10.12番街のラグ
通常早めのテンポで演奏されるディキシーのスタンダードだが、これを緩やかなブルース・テンポで演奏した異色作。吹き込んだままオクラ入りになっており、1940年ジョージ・アヴァギャンが見つけて初めて発売したものという。ルイの高音プレイに対するドッズのブルージーなプレイが対照的である。Tbはキッド・オリーのように聴こえるのだが…とは油井氏。
録音当時は発売されず、1941年になってジョージ・アヴァギャンの手によって倉庫から母盤が発見され陽の目を見た。ドッズのブルージーなプレイが良く、トーマスのTbもアンサンブル・プレイによい味を出している。
A面1.CD2-11.キーホール・ブルース
ルイは、最初のスキャット・ナンバー「ヒービー・ジービーズ」の好評を受けて、さらに奔放で大胆なスキャットを披露している。
シュラー氏は最後のブレークは知的過ぎてうまく行っていないというが、よく意味が分からない。確かに何か尻すぼみのような感じはするが。
A面2.CD2-12.S.O.L.ブルース
録音当時歌詞が卑猥(歌詞の中の“box”は女性性器を指す)だということで、会社側から録り直しを命じられたそのためこの録音が陽の目を見たのは14年も経ってからで、特にコレクター向けの78回転SP盤として初公開されたものである。
演奏はドッズのソロの途中でテンポ・ダウンするなど変化のある構成で、ルイのヴォーカル、ドッズのサブトーン、そして高音を重ねるルイと続き、ブルース・フィーリングに溢れた好演が展開する。
シュラー氏は、「ウェアリー・ブルース」よりも成功している。「ウェスト・エンド・ブルース」の先駆となる興味深い音楽を作り出している。5つの下向楽句は、各々が高いB♭音で開始するもので、後期の作品の感動的な特質と説得力をすでに備えているという。
A面3.CD2-13.ガリー・ロゥ・ブルース
前日録音した「S.O.L.ブルース」の別テイク的な存在の録音。
シュラー氏によるとしかし翌日録音された「S.O.L.ブルース」と同じブルースを「ガリー・ロウ・ブルース」という題名で再び録音したが、艶のあるインスピレーションはすでに失われていたという。
ルイのソロは機械的で、歌唱はおざなりである。前日の「S.O.L.ブルース」におけるひどく失敗したアンサンブルのまずい部分については注意深い練習がなされた跡が見受けられる。
たった24時間、時間を空けて行われた同じ曲の異なる録音を比較してみて、ジャズというものの移ろいやすさについて考えてしまう。おそらくは録音のほんの数時間先か、後かに録音スタジオの外で、ルイはたくさんの素晴らしいソロを演奏したはずなのである。
A面4.CD2-14.ザッツ・ホエン・アイル・カム・バック・トゥ・ユー
ルイとリルの夫婦によるヴォードヴィル調の掛け合いヴォーカルがフューチャーされる。
この曲を含めて27年5月に吹き込まれた一連のルイの演奏には目を見張るような飛躍と輝かしさを感じる。

この後5月13、14日と吹込みを続け、1927年前半の録音はひとまず終了し、次は9月までスタジオには入っていない。
ルイ・アームストロングの1927年後半の録音は7人編成のホット・セヴンから基本5人編成のホット・ファイヴに縮小される。「基本5人編成」というかというと、12月の一部の録音にはギターのロニー・ジョンソンが加わり6人編成となっているからであるが、バンド名は「ホット・ファイヴ」なのでロニーはゲスト扱いということなのであろう。
ところで、キッド・オリィはキング・オリヴァー楽団のメンバーとしてニューヨークに行っていたが、1927年9月2日からまた復帰することになる。確かにキング・オリヴァーの1927年の回を振り返ると、4月の録音のメンバーにオリーの名がみえるが、11月から他の奏者の名がTb奏者として記されている。どういった事情からオリーはシカゴのルイの下に戻ったのだろうか?ニューヨークの水が合わなかっただけだろうか?それとも…。

「ルイ・アームストロング傑作集 第3集」レコード・A面ラベル

<Date & Place> … 1927年9月2、6日 シカゴにて録音

<Personnel> … ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・ホット・ファイヴ (Louis Armstrong & his hot five)

Cornet , Vocal & Bandleaderルイ・アームストロングLouis Armstrong
Tromboneキッド・オリーKid Ory
Clarinetジョニー・ドッズJohnny Dodds
Pianoリル・アームストロングLil Armstrong
Banjoジョニー・サンシールJohnny St. Cyr

キッド・オリィが久しぶりに復帰する。

<Contents> … 「ルイ・アームストロング傑作集 第3集」(Odeon OR-8004)&「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)

A面5.CD2-15.プット・エム・ダウン・ブルースPut 'em down blues9月2日
A面6.CD2-16.オリィーのクレオール・トロンボーンOry's creole trombone9月2日
A面7.CD2-17.ザ・ラスト・タイムThe last time9月6日

9月に録音された2曲(「プット・エム・ダウン・ブルース」、「オリィーズ・クレオール・トロンボーン」)は、聴いた感じがとても軽い。軽いと言っては誤解を招くかもしれない、軽快なのである。ガンサー・シュラー氏もこの軽快さは、これより前の録音には全く見られなかったことであるとしている。オリーは、快適なパンチの効いた、堅固なスタイルで自分の作品を巧みに演奏し、ルイはブレイクにおいてごまかしの演奏をやっているが、その他は好調であるという。どこがごまかしなのかは僕にはよく分からないが。この辺りのルイのプレイは、「安定して凄い」という感じだ。CD2-16.オリィーズ・クレオール・トロンボーンとCD2-17.ザ・ラスト・タイムは1941年まで陽の目を見ずオクラ入りとなっていたものである。
A面5.CD2-15.プット・エム・ダウン・ブルース
当時としては珍しい48小節で構成された愛らしいというかポップなメロディーを持った曲である。ルイのヴォーカル入りだが、このヴォーカルも目をむいてシャウトするのではなく、一種軽味を感じさせる。
A面6.CD2-16.オリィーのクレオール・トロンボーン
復帰したキッド・オリーのオリジナルで、オリー自身のトロンボーン・ブレイクが活躍する。この曲のオクラ入りの原因はラスト近くルイのソロのいくつかの音程ミスであるという。
A面7.CD2-17.ザ・ラスト・タイム
歌詞に難があったためオクラ入りになっていたという。
シュラー氏は、この曲におけるオリーは、ひどい常套句に後戻りし、自分の曲では吹いていなかったミス・トーンを連発しているのに対し、ルイは極めて聴き応えのあるブレイクを披露するとオリーに厳しい。確かにこの曲ではオリーに冴えが感じられないのは僕も感じるところではあるが。

シカゴ・ワーウィック・ホール

大和明氏のCD解説に拠れば、11月にルイはハインズ、ズッティ・シングルトンとともに自分たちのクラブとして“ワーウィック・ホール”(写真右)の経営を始め、彼らのバンドである“ルイ・アームストロングと彼のホット・シックス” をフューチャーしたが、折悪しく付近に強力な“サヴォイ・ボールルーム”が開店したため、数週間でその経営は失敗してしまう。この”ホット・シックス”のメンバーがどういう布陣だったかは記載がなく分からない。しかしこの後12月に”ホット・ファイヴ”にゲスト参加したロニー・ジョンソンを加えた6人ではなかったろうと思う。それはドッズなどが語っているように”ホット・ファイヴ”や”ホット・セヴン”というのはあくまでもレコーディング・バンドでドッズ自身クラブなどではルイと共演していないという意外とも取れる発言があるからである。
ともかく次に残された録音は12月に行われた。シュラー氏によれば、12月の録音は9月よりもさらに良くなったとする。まとまりがあり、くつろぎと緊張感を絶妙に配合したものとなっているという。この6面分は傑作揃いであるが、特に偉大なギタリストであるロニー・ジョンソンが加わった4面分は素晴らしいとし、ロニーの加入によって、ルイはもはや孤立無援ではなく、強力な援軍を抱えることになったという。ロニーのスウイング感あふれるリズミックな伴奏とルイとの有名な2小節の交換はクラシック・ジャズの華やな成果の一つという。
さらにロニーの影響は、ドッズとオリーにも及んでいて、彼らもルイとの録音の中で最高の演奏を行い、さらにリルでさえ一つ上の演奏を行っているのである。これに加えてピアノの低音部の音域が何らかの理由でうまく録音された。ホット・ファイヴに初めてある種の低音が与えられたのである。このためこれらの録音は過去のどの録音よりも首尾一貫して音楽的に素晴らしい響きを持つことになったとロニー・ジョンソンベタ誉めである。
それほどまでシュラー氏が評価するロニー・ジョンソンという人物は、ジャズの歴史の本にも登場しないし、人名辞典にも登場しないが、初期ジャズ、ブルース・ギターのパイオニアの一人で、ルイと共演出来るとしたらこの人物をおいて他にはいないと言えるであろう。

「黄金時代のルイ・アームストロング」解説

<Date & Place> … 1927年12月9日、10、13日 シカゴにて録音

<Personnel> … ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・ホット・ファイヴ (Louis Armstrong & his hot five)

Cornet , Vocal & Bandleaderルイ・アームストロングLouis Armstrong
Tromboneキッド・オリーKid Ory
Clarinetジョニー・ドッズJohnny Dodds
Pianoリル・アームストロングLil Armstrong
Banjoジョニー・サンシールJohnny St. Cyr

<Contents> … 「ルイ・アームストロング傑作集 第3集」(Odeon OR-8004)&「黄金時代のルイ・アームストロング」(EMI TOCJ-5221-28)

A面8.CD2-18.ストラッティン・ウィズ・サム・バーベキューStruttin’with some barbeque12月9日
B面1.CD2-19.ガット・ノー・ブルースGot no blues12月9日
B面2.CD2-20.ワンス・イン・ア・ホワイルOnce in a while12月10日
B面3.CD2-21.アイム・ノット・ラフI’m not rough12月10日
B面4.CD2-22.ホッター・ザン・ザットHotter than that12月13日
B面5.CD2-23.サヴォイ・ブルースSavoy blues12月13日

A面8.CD2-18.ストラッティン・ウィズ・サム・バーベキュー
大和明氏によれば、リルの代表曲であり、ホット・ファイヴのグループとしてもまとまりのある演奏の代表的なものの一つ。確かに明るいメロディーで聴いていて楽しくなる。ルイ自身のソロも見事。ストップ・タイムを駆使したソロの構成力の素晴らしさ、ルイのソロの終わりに入るアンサンブル・ブレイクやコーダでのアンサンブルの洗練された斬新さは目を見張るものがある。
僕は最初にソロを取るドッズお得意の低音部を主体としたソロも面白いと思う。一方シュラー氏は、次のように極めて詳細に評している。
豪奢な輪郭を持つ旋律と圧倒的な生命力を備えたルイの華麗なソロを含んでいる。幾つかのブレイクでは、スピードと名人芸の感覚を伝えるためにその他の箇所よりも音価を低めに使用する伝統的な技法を用いて、すさまじい速度で3連符を転がす。ルイはこの時期ほとんどすべてのブレイクが証明するように3連符の時代にあったようである。
ソロの冒頭はオリーが直前に使用したフレーズと同じフレーズをなぞっているが、華麗な高い音がふんだんに使われ、スイングするクロス・リズムと第25,26小節におけるゴースト・ノートがとりわけ秀逸である。
B面1.CD2-19.ガット・ノー・ブルース
ポピュラー形式で書かれた曲で、ルイのラストのプレイが美しい。
シュラー氏は、さらに詳しい。モチーフの連続性に関するルイの感覚を聴き取るのに格好の曲である。彼の最初のブレークの末尾の3連符の音型が次のブレイクで再び使われ、このブレイクでは新しい調性へ転調して彼のソロを終了する。モチーフの反復と転調は当時としてはどちらも異例な手法であったと述べている。

ロニー・ジョンソン

12月10、13日の録音にはギターにロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)が加わる。
この4面分の僕の感想を最初に書いておこう。一言でいえば素晴らしい。この年に録音されたレコードを今聴いているわけだが、そしてまだフレッチャー・ヘンダーソン、キング・オリヴァー、ジョニー・ドッズしか聴いていない段階で言ってしまっていいか迷うが、この録音は他のプレイヤーたちに比して一頭地抜けているのではないか?ただ、ロニー・ジョンソンとの共演は、ブルース・ギタリストという少しばかり異種のプレイヤーとのコラボがうまく行き、面白みの多い聴き応えのある作品に仕上がったということのように思える。しかしシュラー氏などはもっともっと高く評価している。
シュラー氏によれば、「ホッター・ザン・ザット」と「アイム・ノット・ラフ」に至っては、我々は美学的、演奏技術的な側面での改革者としてのルイの成長のほとんど頂点に対面することとなる。ここで初めてジェリー・ロール・モートンの水準にほぼ匹敵する高度に発達した形式感覚と多彩なテクスチュア―に出会うのであるとする。んー、すごい!
僕の思うところは述べたところで、大和氏とシュラー氏の評価を紹介していこう。特にシュラー氏はその著作「初期のジャズ」5ページ半を費やし詳細に記述している。僕には理解できない個所もあるが、賢明な皆さんは膝を打つ場面があるかもしれないと思い引用させていただく。

「ワンス・イン・ア・ホワイル」

B面2.CD2-20.ワンス・イン・ア・ホワイル
アンサンブルからルイのメロディックなリードが群を抜いており、ソロでもルイが絢爛たるプレイで圧倒する。特にストップ・タイムに乗ったソロで繰り出す豊かなアイディアが素晴らしいとは、大和氏。
そしてシュラー氏は、ルイによる興味深い最終のストップ・コーラスを含んでいる。これは右の2小節のパターン、すなわち曲の最初の4小節に由来するチャールストンのリズムの拡大型の上で、展開される(譜例12)。

「ワンス・イン・ア・ホワイル」譜例12

この不均等なパターンの上では、ルイの居心地は必ずしも良くないようで、オリー同様、入りを一度間違えている。彼のコーラスには緊張の気配が漂っており、録音の3分間が終わろうとしていることに突然気付いたかのように、不意に終了する。これと同じような凡庸な終止やしくじりその他の欠点は、ホット・ファイヴとセヴンの録音はほとんど録り直しがなかったというオリーの証言を裏付けるものかもしれない。

「アイム・ノット・ラフ」

B面3.CD2-21.アイム・ノット・ラフ
大和氏は、最も初期のソロ・ギター奏者であるロニー・ジョンソンが客演し、美しく響かせるギター・ソロがフューチャーされる。ラストはリフ・アンサンブルで盛り上げる。
一方シュラー氏は、この曲の出来映えも「ホッター・ザン・ザット」に劣らず素晴らしい。ここでも興味深い形式枠組みが展開される(譜例11)。ロニーが冒頭部で多彩で興味深い音色のみならず異様な強度を加味した、チターのような響きのトレモロ音を導入することによって、この演奏の異例な音調を設定する(A1)。 A1とA2との相違は、後者が真ん中のドッズの2小節の「長い音」のブレイクを含めて、参加者全員によってはるかに威勢良く演奏されている点にある。全体としてアンサンブルによる演奏が、小節の数の点でも質的にも優位を占める。
アンサンブルがニューオリンズの本物のアンサンブルの精神、半ば笑って、半ば泣いてとでも形容するしかないあの異様な精神を取り戻している(スタイル変化うの意気盛んな演奏にしては誠に意外と見えることであろう)。最後のコーラスの真ん中の4小節で驚くべきことが持ち上がる。ルイがアンサンブルを弾むようなダブル・タイムに連れ込む刹那に、オリーが正反対のリズムで2小節の上向するグリッサンドを吹き出す。その結果ここで生まれた対照は、活気あるアンサンブルの即興の中で芽生える直感が偶然もたらす幸福なひと時の一つなのである。
この曲の最初の4小節にはめ込まれた小さな呼びかけと応答のパターン(A1の箇所のTpとTbの間)が、これに続くアンサンブルの3コーラスの中の2つの中に、A3のTpとGt、A6のClとTbの楽句の中に、保存されていることに注目することもまた興味深いところがある。9月と12月のホット・ファイヴの録音が以前のどの録音よりもアンサンブルによるアンサンブルによる演奏を含んでいたことも重要である。奏者の数が減っただけに、長いソロを強調する替わりにソロを最もうまくやれる2人の人間、ルイとロニーに委ねたのである。

「ホッター・ザン・ザット」譜例12

B面4.CD2-22.ホッター・ザン・ザット
これもリルの作品で「タイガー・ラグ」を素に書かれた。既に3管アンサンブルはほとんど使われず、ソロのリレーで演奏は進行し、次のスイング時代におけるコンボ演奏の在り方を示唆している。ルイのスキャットとロニーのギターとの短いやり取りも面白い。
ロニー・ジョンソンの加入が重要な役割を演ずる注目すべき演奏である。
アンサンブルとソロは、“ホット・ジャズ”という用語が作られた理由が納得できるようなやり方でスイングしている。その点は別にしても、この曲の形式的な枠組みは、その32小節の下位区分の内部においてのみならず、全体構造においても相当な多様性を示しいているという点で、興味深い(譜例10)。
偏在する2小節のブレイクが演奏のテクスチュアな多様性に貢献していることは明らかである。ついでながら、ルイのブレイク(A1の箇所)は、シュラー氏の記憶では楽句の終止ではなく、次の即興的要素への関連楽句としてのトランペットのブレイクの最初の事例である。楽器編成が冒頭部のフル・アンサンブルから二つのソロのコーラス(リズム・セクションのみ伴奏)を経由して声とギターだけに縮小されると、次いで最初の3コーラスにおける2小節のブレイク群が、これらの2小節のブレイクの全連鎖で構成された半コーラスの楽句を極めて論理的に導く。続いてピアノの間奏が登場し、次第に楽句編成が拡大されて、やがて再びフル・アンサンブルへと復帰し、興味深い断片を織り込んだ最終コーラスの後、はじめの方の2小節のTpとGtのやり取りを回顧して演奏が終了する。
この構造的な枠組みの中に数多くの刺激的な契機が盛り込まれている。まずは歌唱のコーラス(譜例10のA3の箇所)のブリッジにおけるルイのリズム上の創意、チャールストンのリズムの一類型を使って、ルイは、24の符点4分音符の連鎖を組み立てる。この楽句の比類のないスイング感は別にしても2つの点で、これは革新的である。第一に、二つの符点4分音符の単位が3拍に相当すること。したがってルイは、ジョンソンが4/4拍子の伴奏を付けているのに、本質的には4/3拍子で即興していることになる(今日のモダン・ジャズにおいてはありふれていることだが、これが1927年では異例であったことは言うまでもない)。
第二に、このシンコペイションの連続が、ソロイストたちが(とりわけ20年代においては)教条的なまでに固執する傾向にあった伝統的な8小節の分割の枠内で、それを超越して首尾一貫して行われることである。ルイは、このコーラスの26小節目の冒頭に至って初めて3/4拍子のパターンから抜け出るわけだが、このようにして驚異的なほどに現代的な味わいを持つ非均衡を導入したのである。これは、演奏者の無能力によってそうなる場合を別にすれば、同時代の人間がほとんど聞いたことのない感覚だった。
ロニー・ジョンソンは、ルイと2小節のブレイクの交換の際に、相手のフレーズを自由自在に変更し、模倣する(譜例10のB)。その卓抜な技量によって彼の手腕が判断できるというものである。
オリーのソロの後、ルイの自信あふれる華麗なブレイクがフル・アンサンブルを呼び戻すわけだが、そこではまだ彼の切り札を出さず、4小節のストップ・タイム(最終コーラスの第25~28小節)に至って素晴らしい演奏を披露する。時折彼の歌唱のコーラスの3/4拍子のパターンを回顧しながら、その4小節を颯爽と跨ぎ超えていく。この壮観に耳を澄ませていただきたい。
B面5.CD2-23.サヴォイ・ブルース
オリーが録音前夜に書き上げたという作品。アンサンブルも3管の絡みではなく、ハーモニーで進行するなど新しい行き方を示している。ロニーのGtソロに続くルイのソロに心のぬくもりが感じられる。なお、当時(1927年)のルイはCorとTpを併用していたと言われるので、これらの演奏のいくつかはCorではなくTpかもしれない。
この曲と「ワンス・イン・ア・ホワイル」の2曲は成果として他の4曲比べて出来映えとして劣る。
この「サヴォイ・ブルース」はルイが火花を散らすようなソロに終始する。3か所のアンサンブルによる演奏のうち、2か所はごく単純な編曲で、一つだけがアンサンブルの即興演奏である。

何かジャズの歴史的な本を読んで、ルイ・アームストロングのピークは1928年と思っていた。これは自分の耳で確かめたわけではない。1927年まさにピークに向かいつつあるルイの凄みを持ったプレイがすでに始まりつつあった。

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