
本名:ルシアス・ヴェネイブル(Lucius Venable)
1910年8月8日アラバマ州アニストン生まれ。
1966年9月28日ニューヨークにて死去。
スイングとリズム&ブルースのビッグ・バンドのリーダー。
読んだり書いたりすることができず、楽器を演奏せず、たまに歌うことはあったが、
自身のショーマンシップと音楽の好みが彼のバンドを成功に導いた。
彼のバンドはリズム&ブルースを演奏する最も偉大なビッグ・バンドと言われ、
後にロックンロール時代の黎明期に影響力を持つ多くのミュージシャンに仕事を与えた。
1986年にアラバマのジャズ殿堂入りを果たした。
子供の頃からミリンダーという姓を名乗り、シカゴで育った。
1920年代には、シカゴのクラブ、ボールルーム、劇場で、司会者として働いた。
1931年にRKOシアター・ツアーで初めてバンドを率い、
1932年にはハーレムのドク・クロフォードのバンドのリーダーを引き継いだ。
1933年、ヨーロッパへツアーを行い、モンテカルロとパリで演奏した。
1934年にニューヨークに戻り、ヘンリー・"レッド"・アレン、チャーリー・シェイヴァーズ、
ハリー・"スウィーツ"・エジソン、J・C・ヒギンボサムらが所属するミルズ・ブルー・リズム・バンドのリーダーを引き継ぎ、
コットン・クラブのレギュラー枠を持った。
1938年、ピアニストのビル・ドゲットとチームを組み、ドゲットのグループのフロントを務めた。
1940年までに、ミリンダーはドゲットとドラマーの「パナマ」フランシスを加え、全く新しいバンドを結成した。
1938年にデッカ・レコードから4曲で初めてレコーディングを行った。
彼のバンドには、トランペット奏者としてディジー・ガレスピーが在団していたことで知られる。
1940年代半ばまでに、バンドはリズム&ブルースへの志向を強めて行き、数々のヒット曲を吹き込んだ。
1952年までにはラジオDJとしても働き始めました。
しかしバンドのツアーを続けたが、彼のスタイルは人気を失っていった。
1954年、しばらくの間、アポロシアターのハウスバンドのリーダーを引き継いだが、1955年頃には音楽界から引退した。
その後は、音楽出版やウイスキー蒸留所の広報活動などをしていたが、1966年9月ニューヨークで肝臓の病気のため亡くなった。
「MCAブルースの古典」(MCA VIM-22)